31話『ユーリ、雨降る闇夜を跳ぶ』 その4
「易々とお通しする訳にはいきませぬな」
合掌したままゲマイさんが答える。
隙のない構えだ。
うかつに攻撃をしてもきっと簡単にかわされ、反撃を食らってしまうだろう。
しかもただ倒せばいいってもんじゃない。
殺さず、なるべく重傷を負わせずに相手を制圧しなければならない。
ミスティラの心に影を落としちまわないように。
これ以上身内を失くさせるのは可哀想だからな。
上手く加減できるだろうか。
いや、やるんだ。
難しいのは分かってるが、やるんだよ。
「ユーリさん。ゲマイさんはわたくしの師だったお方。先程体験されたように、強大な魔力だけが武器ではありません。かつては世界の戦場を駆け回った強者……」
「ミスティラ様、お言葉が過ぎますぞ。全ては彼方に過ぎ去りし過去。忘れなされ」
ミスティラの忠告を遮り、ゲマイさんは魔力を放出し始めた。
「今の私は一介のローカリ教信徒。いつ朽ちるとも知れぬ老骨なれど、全霊を以て御二方の壁となりましょうぞ。参る!」
「行きます!」
よし、やるか。
両の拳を握り、前に出す。
大包丁は使わない。
傷付けないためじゃなく、むしろ邪魔になりかねないからだ。
「志は無限、果てなく漂う空気の彼方……」
少し強まった雨脚に飲み込まれそうなくらいの声量で、ゲマイさんが詠唱を開始する。
幾らなんでも、それをただ見守ってやるほどお人好しじゃない。
右手を開き、人間大の球体状にしたクリアフォースを飛ばす。
一応、当たっても死なない程度の加減はした。
悪いが戦闘不能になってもらう。
……なんて余裕をかましているのは間違いだったようだ。
無色透明な力の塊がはっきりと目に見えているかのように、容易く横へかわされてしまった。
「マジかよ!」
そんな遅い速度じゃねえのに。
「――信念こそ人の可能性、象徴の翼、"解放の羽化"をここに体現する」
驚いている内に、詠唱を完成させたゲマイさんの体が宙へと舞い上がった。
あれは俺も知っている。風系統の飛行魔法だ。
「その力、この耄碌には見当がつきませぬが、回避できぬことはありませぬな」
第一堂の屋根辺りの高さから俺を見下ろしながら、ゲマイさんが言う。
何でだ? 何であっさり避けられた?
戦闘経験の賜物か? 雨で軌道を読んだのか?
「ユーリさん! 呆けている場合ではなくてよ!」
ミスティラの叱責が飛ぶ。
おっと、そうだった。
分からねえことを考えても無駄だ。
「岩として分かたれど朽ち果てず、我に連なるは"石紡ぐ鎧"」
更にゲマイさんが素早く魔法を唱える。
ファミレでクィンチが使ってた魔法か!
寺院の周辺にあった大小の石が次々と浮き上がって上空のゲマイさんに付着し、全身を覆う鎧になる。
杖や魔石での補助もないってのに、かつてクィンチが使ったのとは全然質が違うってのが一目見ただけで分かった。
全身を石の鎧で覆って空を飛ぶ様は異様であると同時に、相手が並外れた魔法の使い手だってことをありありと突きつけていた。
世の中には複数の魔法を同時発動させられる人間がいることは知ってたが、確かそうそうお目にかかれないはず。
おまけにこっちの呼吸の周期から何まで、全ての挙動を読まれている気がしてならない。
ミスティラが師匠と認めるだけあって、やっぱ相当な実力者だな。
……本気でやるしかねえか。
「いかがなされた。老いぼれと言えど、これしきの風雨に晒されて弱るほど惰弱ではありませぬぞ」
どうやら戦略までクィンチと同じみたいだ。
人間性から意味合いまで、奴とは天地の違いだが。
ゲマイさんが攻撃してくる様子はない。
ホワイトフィールドを警戒しているのと同時に、あっちも俺をあまり傷付けたくないと思ってるんだろう。
どうやって崩す?
……と、あまり考えるまでもない。
取るべき手はほぼ限られている。
俺もやってみるか。
「ふんッ!」
開いた右手に、クリアフォースを集中させる。
空気を握るように、凝縮した見えない力の塊を生成。
掛け声を出したからといってより力が出るとは限らないが、主張にはなる。
「今からこいつをゲマイさんに叩き込みます! 覚悟して下さい!」
何をやっても動きを読まれるなら、あらかじめ宣言した方がスッキリする。
ゲマイさんは何も言わなかった。
しかし一切の隙を感じさせないその佇まいが、雄弁に物語っているに等しかった。
……だったら。
――食らえッ!
上にいるゲマイさんを睨み付け、心で叫ぶ。
使ったのは発火能力――レッドブルーム。
威力よりも範囲の広さを重視した。
闇と雨の空に赤い大きな炎が咲いて、花火のように周囲をパッと照らす。
しかしゲマイさんは、空間に火の粒が生まれた瞬間から回避行動を取り、まるでトンボのように急発進してレッドブルームの炎から離脱した。
だろうな。
これは予想通り。
次はこれだ!
炎が消失する前に、俺はすぐさまブラックゲートで跳ぶ。
足元の感覚が消える。
「!?」
今まで見上げていたゲマイさんを、今度は見下ろす形になる。
そう、到着点は、横へ逃げたゲマイさんの正面。
正確には、そこよりもやや少し上。
レッドブルームは攻撃のためではなく、牽制と、ブラックゲートの移動を正確に行うための照明になればよかった。
以前、コラクの村の山奥でサカツを捕まえた時の経験が役に立った。
ほとんど狙い通り、完璧に近い位置取りだ。
……と、すぐさま重力に引かれての落下が始まる。
後は右手に溜めていたクリアフォースを、団扇状に変形させて勢いのまま振り下ろす。
ここまでの流れ全てを読まれていようといまいと関係ない。
読み合いじゃあ勝てないとなれば"どうあっても避けきれない一撃"を作って食らわせるしかない。
魔法とは違うが、連続発動はゲマイさんだけの専売特許じゃない。
お膳立ては整った。
行く。
「おおおおッ!」
加減なしの、激しい空腹感によって強化された力を最大限に引き出した一撃を振り下ろす。
ゲマイさんはこちらを見もせず、再び急発進しようとした。
が、今度ばかりは気配だけを察知してかわそうとしてもダメだ。
何しろ、広げられるだけ面積を広げてぶっ放したんだからな。
「ぬうっ!」
命中。
石の兜が砕け、ゲマイさんの素顔が露わになる。
喩えが悪いが、そのままハエ叩きを食らったハエのように落下していく。
……って、やっぱやりすぎたか!?
結構な勢いで地面に激突しちまったけど、大丈夫だろうか。
「ゲマイさん、大丈夫ですか!?」
着地してすぐに、ゲマイさんの様子を確かめる。
魔法は既に解けており、石の鎧は体から分離されてはいたが、息はしている。生きてはいるみたいだ。
まずは一安心だ。
死んでなければグリーンライトで何とかなるからな。
「……成程、強い…………これでは最早、打つ手がございませんな……貴方の、勝ちです」
意識も何とか繋ぎ止められていたようだ。
焦点の定まらない瞳ながら、ゲマイさんは己の敗北を認めてくれた。
強敵だった。
餓狼の力が強化されていない普通の状態でやり合ってたら、勝ち目は薄かっただろう。
「……申し訳ありませぬ、モクジ様」
そう呟いた時の表情はどこか満足げで、肩の荷が降りたようにも見えたのは、俺の気のせいだろうか。
「すいません、全力をぶつけないと勝てないと思ったんで。すぐ治します」
「いいえ、結構でございます」
ゲマイさんは、俺の申し出を拒んだ。
「傷が癒えれば、再び壁となって立ちはだかりましょう。それに、私のような者に御力を使うことはありますまい。構わずに進みなされ」
「その通りですわ」
ミスティラが駆け寄ってくる。
「ユーリさん、見事な戦いぶり、確かに見届けましたわ。この場はお任せ下さいませ。わたくしが代わりに留まり、医者と殿を守る戦士の二役を演じますわ」
「分かった、頼んだぜ」
「本来はわたくしがお父様の元へ赴くべきですが、貴方の方が適役なのは明白。どうかお父様をよろしくお願い致します」
ミスティラは腹部に両手を重ね、深く頭を垂れた。
「ああ、お腹に優しい食べ物と花束を用意して待ってな」
できれば俺の分もな。
と、冗談を飛ばし忘れたのに気付いたのは、闇を駆け抜け、修行場へ続く扉に近付いた頃だった。