31話『ユーリ、雨降る闇夜を跳ぶ』 その1
夜の帳が降りてすっかり静かになった石造りの街中を、俺とミスティラは2人歩いていく。
まだちらほらと人通りがあるのが意外だった。
なんでも四大聖地と言われているだけあって、アビシスは治安がいいらしい。
夜に出歩いても大丈夫なくらいなんだそうだ。
「へえ、綺麗なもんだな」
眺めのいい高台に差し掛かった所で、つい立ち止まってしまう。
上から見る夜のアビシスの景色はとても美しくて、強く俺の記憶に焼き付けられた。
あちこちで焚かれていた火は夜間でも絶えずにその身を躍らせていて、どこか前の世界の夜景を思わせる。
印象深く感じるのはそのせいだろうか。
「見とれるのはお父様をお止めになってからにして下さる?」
「ああ、悪い」
やっぱピリピリしてんな。
ここは1つ小粋な冗談で和ませたいところだが、逆効果に終わるだけだろう。
「ユーリさん。伺ってもよろしいかしら」
と思ったら、向こうから話しかけてきた。
「何だ? 話が弾むようなネタにしてくれよ」
「タルテさんとはどういったご関係ですの?」
無視すんなよ。
「どういったって……普通だよ」
「具体性の欠片もない回答ですわね」
更にはわざとらしくため息をつかれる。
「交際されてますの? 婚姻を意識されてますの?」
「どっちもねえよ。つーか何でんなこと聞くんだよ」
「重要な話題ですわ。今回の依頼が成功した暁には、貴方はわたくしと婚姻する権利を得られるのですから」
「……は!?」
慌てて自分で自分の口を押さえる。
危うく夜の街中で大声を出しちまうとこだった。
「最初に説明したはずですわ。"この世界で最も尊い名誉と至宝を差し上げる"と。光栄に思いなさい。わたくし、引く手あまたですのよ。この前もエル・ロションの一等地に居を構える大貴族の御子息から、交際を申し込まれましたの」
自画自賛もそこまで行くと、突っ込みを入れる気力さえ失せる。
まあ確かに、特に胸の辺りはそう評しても差し支えないかもしれないけど。
「無理せずそっちと結婚すりゃあいいじゃん。俺は謹んで辞退すっから。礼だったら、何か美味いものでも食わせてくれりゃそれでいいよ」
「なっ……わたくしよりも食事が大切だとおっしゃるのですか!?」
「俺は絶対正義のヒーローだからな」
しまったと思いつつ取り繕う。
「強固な信念と言うべきか朴念仁と言うべきか……ローカリ教の教主としては相応しいかもしれませんわね」
自由が制限されそうだから、できればそっちもお断りしたいんだがな。
当然ながら、夜のメイツ寺院はしっかりと扉が閉ざされていて、出入りできないようになっていた。
そこで俺達は第一境内の横へと回り、信徒の人たちが出入りするための裏口(横口?)へ足を運んだ。
「……ミスティラ、様? こんな夜更けにどうなされましたか?」
戸を叩いて出てきたのは、昨日最初にミスティラが呼び止めた新入りの若い男の信徒だった。
「火急の用ですわ。通してちょうだい」
「で、ですが」
「いい加減学習なさい。わたくしを誰だと思って?」
侮っているのか信用してないのか、ほとんど理由も説明せず、ミスティラは押し切ってしまった。
とりあえず代わりに俺がすれ違いざま「すんませんね」と詫びておく。
夜の境内はほとんど完全な無人状態で、街中以上に森閑としていたが、不気味さや恐怖感は全くなく、むしろ安らぎすら覚えるほどだった。
焚かれているかがり火のおかげで、思いのほか明るかったのも助かる。
またミスティラのおかげで、信徒の人と出くわしても会釈だけが戻ってきて、特に咎められもしない。
「マジで顔が通行証みたいになってるんだな」
ミスティラは、当然ですわ、と言わんばかりの顔で一瞥するだけだった。
第二堂、第三堂は真っ暗になっていたが、信徒たちの宿舎ではちらほらと窓から灯りがこぼれているのが見える。
一斉に就寝するって訳でもないんだろうか。
何者にも遮られず、第一堂のある敷地まで辿り着くことができた。
第一堂の中も一見灯りがついているようには見えないし、魔力も気配も感じないが、扉の前にはしっかりと見張りが立っていた。
モクジさんは今もずっとあの中で瞑想を続けているんだろう。
俺達が近付いていくと、門番たちの警戒具合がぐっと増したのが肌に伝わってくる。
が、特に相手から何かをしてくる様子はない。
「モクジさんが出てくるのを待とう。この前話した時、ブルートークの"回線"を繋いどいたから、待ってる間にも呼びかけてみるわ」
「承知しましたわ」
まだ強行突入をする時機ではない。
まずは木の天幕を張り、居座る準備にかかる。
第一堂の右側面、正面扉と修行場へ続く道を同時に目視できる所に位置取りを行う。
事前の調査で裏口は1つしかないのは確認済みであり、中に入り込んだ経験のあるミスティラ曰く、お堂の中に秘密の通路なども存在しないらしい。
この位置だと裏口を直接見ることはできないが、大きな問題はない。
地面に挿した木が急成長して天幕になるのを見て、門番たちが驚いていた。
そりゃ驚くよな。
ただそれでも自分の仕事を忘れず、その場を一歩も動かなかったのは流石だと思う。
「じゃあとりあえず呼びかけてみる」
頭の中にモクジさんの姿を思い浮かべ、第一堂の方角へ意識を向けてブルートークを使う。
――モクジ様、聞こえますか? ユーリ=ウォーニーです。聞こえたら何か返事して下さい。
「お父様は何かおっしゃられました?」
「いや、反応なしだ。これからもマメに飛ばしてみるわ」
「お願い致しますわ。……わたくしにもその力があれば、貴方の手をお借りする必要は無かったのですが。リレージュの魔法図書館でも、そのような魔法は見たことがありませんわ」
緩やかな癖のついた毛先を指で梳きながらミスティラが言う。
そういえばこいつ、最初から餓狼の力を知ってたにしても、やけにすんなり受け入れてたな。
「世界には未知である事象の方が圧倒的に多いのではなくて? その度に驚いていては心臓を2つ3つと取り付けていても足りませんわ」
その疑問を口にすると、こんな答えが返ってきた。
大物なんだか冷めてるんだか。
「ですがその力の使い勝手や強大さに羨望を抱いているのも本音ですわ。一体どちらで習われたのですか?」
「秘密だ。強いて言うなら遠い星の自分からだな」
「ふ、そのような答え、嫌いではありませんわ」
めんどくさいから適当に答えただけなんだが、意外と好評だった。
でもこれからこいつと2人でいて、間が持つかなー。
ちょっと不安だ。
「あらかじめ申し上げておきますわ。依頼の遂行上やむを得ない場合、わたくしの名の下、寺院や修行場の破損や破壊を許可しますわ。全ての責はこのミスティラ=マーダミアが負いましょう」
ミスティラはしごく真面目な顔で確約をくれた。
傲慢というより、本気の表れだろう。
どうなっても構わないから父親を思い止まらせたい、と。
「なるべく穏便に済ませるよう気を付けるぜ」
「そうしてもらいたいものですわね。……それともう1つ。今の内に、お父様が化天道の行を強行する理由をお話致しますわ」
「ああ、そうだな。聞かせてくれよ」
「わたくしの推測も多分に混入している、という前提を考慮して下さいませ」
そう前置きし、ミスティラは一拍間を開け、声を潜めて語り始めた。
「お父様はきっと、楽園に魅せられてしまわれたのですわ」
「楽園?」
「わたくしが目にした書物にはこのように記されておりました。化天道の行を成し、"楽園の燦"を用いた者の魂は、此処より決して手の届かぬ、遥かなる地に在る楽園へと導かれると」
「そんな場所が本当にあるのか?」
「分かりませんわ。ですがその楽園では様々な食物を好きなように、容易に得ることができて、決して餓えることがないと記述されておりました」
「……つまりモクジさんは、人を救うという理由以上に、自分がその楽園に行きたいから、修行を完成させようとしてるってことか?」
無言で頷くミスティラ。
そしてこの時、一度話すのをためらった理由が分かった。
大方、父親の面子を慮ったからだろう。