5話『魔獣ビンバー、痛い目を見る』 その1
「……随分とあっさり行かせたものだな。で、どうするのだ?」
タルテが出て行った後、さほどの間を置かず、アニンが両腕を組んだ姿勢で問いかけてきた。
「もしやとは思うが、まさか……」
「おっと、それ以上言うなよ。決まってんだろ。誰がこのまま布の端かじって『キーッ悲しいけどさようなら』なんてお見送りするかよ」
当人にうざったがれようが関係ない。
ここはまず助けるのが、ヒーロー以前に人間としての"正しい"道だ。
「とりあえずあの場はいったん行かしてやらなきゃダメだって思ったんだよ。あいつにもメンツってのがあんだろ。結構自尊心高そうだからなー。さ、そろそろクィンチさんとやらにご挨拶しに行くか」
「うむ。それでこそユーリ殿だ」
俺がどう答えるか、アニンにはとっくにお見通しだったんだろう。
顔つきに厳しさがないのがそれを表している。
「屋敷まで瞬間移動はできぬのか?」
「無理。入ったことないし、場所も分からん」
「流石にそこまで万能ではないのだな」
「そういうこった」
思わず互いに苦笑してしまう。
「つーわけだ、ささっと一っ走り、屋敷に行こうぜ」
「うむ」
家を出た俺達は、ファミレの中央に位置する大食堂へと駆け出した。
様々な人間が集まるあの場所は、メシ食うだけじゃなく情報収集にもうってつけだからだ。
屋敷の場所も聞き出せるだろう。
クィンチとは実際に会ったことはなかったが、かなりあくどいことをやってる奴だってのは噂で知っている。
ファミレに拠点を置くようになってからまだ日が浅いらしいが、金と力にモノを言わせて好きにやってるって話だ。
チッ、こういう事態になるんなら、もっと早くに一度会っときゃよかったかもな。
そんなことを考えていると、道端でさっき大食堂にいたおっちゃんと出くわした。
だが今はのんびり話してるヒマはない。
「おっ、ユーリ! アニンも一緒か!」
「おっちゃん悪い、今急いでんだ!」
「それどころじゃねえよ! おめえの連れの嬢ちゃんがよ、へんちくりんな化物に連れてかれちまったんだよ!」
「な、何だって!?」
「嬢ちゃんには言うなって言われてたんだがよ……」
どうやら聞き込みをする手間が省けたようだ。
大まかにとはいえ、おっちゃんはクィンチの屋敷のある場所を知っていた。
それに、モタモタやってる場合じゃないってのも分かった。
「今の腹具合だと……あっちの住宅街に差しかかるぐらいまでは行けるか。跳ぶぜアニン。つかまれ」
「待たれよユーリ殿。それほどならば瞬間移動して距離を縮めたところで、さして所要時間は変わらぬのだろう。ならば念の為に力を温存しておくべきだ。恐らくはタルテ殿を連れ去った化物とも戦う羽目になるはずだからな」
「それもそうだな」
アニンの言うことももっともだ。
「よっしゃ、だったら全速力で走るぜ! アニン、ちゃんとついて来いよ!」
「承知した!」
「ついでに言っといてくれよー! "おじさま"扱いしてくれてありがとよ、ってなー!」
「自分で直接言えよ!」
この辺は庭みたいなもんだ。ぶつからず、かつ急いで進む方法も心得ている。
ファミレ中央の混雑した空間を最短ですり抜け、市北東部の高級住宅地へと到着。
普段はとんと縁がない区域なので土地勘がないんだが、おっちゃんに聞いた通り進んでいく。
羽振りの良さそうな殿方や、お上品そうなご婦人の怪訝そうな視線などに構っちゃられない。
にしてもこっちの方は道がきれいに舗装されてんだな。
この辺みたく家の外壁をしっかり作れとまでは言わんけど、うちの方も少しは歩きやすくしてくれりゃあいいのに。
それはともかく、目的地は思いのほか簡単に見つけられた。
金色にギラギラ光る変な像が、屋根から目印のように伸びていたからだ。
何だありゃ。人なのか動物なのかも分からねえ。前衛的すぎんだろ。
「陽が沈む前に着いて良かったな」
「まったくだ。さて、行くか」
下らねえことを考えてる余裕も、呼吸を整えている暇もない。
長身の人間よりも更に高く築かれた壁に囲まれた敷地は、明らかに周辺の家よりも広い。
俺んちの何倍、いや十何倍あるんだろうか。
「おいコラァ! てめえら、何立ち止まってやがる!」
ちょっと見てただけで、ヤクザの事務所よろしく、さっそく門番が二人駆け寄って怒鳴りつけてきた。
「どうもどうも。俺、ユーリ=ウォーニーってもんですけど、主人のクィンチさんにお話があって来ました」
「ああァ!? てめぇみてぇなのと会うなんて話は聞いてねえぞ!」
「そりゃそうだ。カチコミに来たんだから」
「んだと……んごっ!」
「ユーリ殿、悠長すぎるぞ」
アニンは問答無用で、二人の門番に拳打を見舞って気絶させてしまった。
「ここまで来れば後は迅速に行動。いいな?」
「……ウッス」
流石はアニンさん、容赦ねえぜ。
気を失った門番から鍵を頂き、門扉を開ける。
中に入る直前、互いに得物を出しておく。
俺は大包丁を、アニンは細身の剣を。
ケンカ腰で行こうと決めたからじゃない。
扉を開けた瞬間、人間離れした異様な気配が奥から漂ってきたのを感じたからだ。
「後ろにいろ」
アニンを背後に置き、念のため"障壁"を展開。
薄布のようなわずかに白色を帯びた膜が眼前に広がる。
これなら不意打ちは避けられる。
離れた所にある館には所々火が灯っていたが、今俺達がいるこのだだっ広い庭に照明はなかった。
もう日没が迫っている時間帯で、見通しがいいとは言えないが、まだ肉眼で目視できないことはない。
まあ、灯りについても俺の力なら何とかなるんだが、まだ使わなくていいだろう。
庭には大小様々な岩石が大量に散らばっていた。
小さなものは本当に小石程度だが、大きなものは人間よりも遥かにでかい。
加工されているものもあれば、そのままなものもある。
芝生がそれなりに手入れされている分、その様子はなおさら奇妙に映る。
……と、そんなことを気にしてる場合じゃないようだ。
「ユーリ殿」
「ああ」
互いに声をかけ合った瞬間。
地面を蹴る鈍い連続音と共に、仄暗い闇の方から重量感を伴った巨大なモノが段々とこちらへ近付いてくる。
俺達は剣を構える。
「早速、化物がお出迎えしてくれたようだぜ」
「ほう……ただの人間ではないようだな。そこそこ使える臭いがするぞ」
独特のざらついた声が、目前に現れたそいつから発せられた。