30話『ユーリ、頭を働かせながら事前調査を行う』 その3
一旦ミスティラの家に戻って、昼メシを少し食べさせてもらった後は、皆でメイツ寺院の内外をじっくり見て回ることにした。
本当は一人で調べるつもりだったが、寺院の中を歩き回るにはミスティラがいた方がいいからだ。
理由を説明したら、二つ返事で付き合ってくれた。
広場で行われている炊き出しは今日も盛況だ。
いい匂いの誘惑にやられそうになるのを、ぐっと唇を結び、唾液で妥協して堪えて、本来の目的に専念する。
見るのは、どこに何があるか、警備の信徒はどのように配置されているのか……
ブラックゲートがあれば潜入は難しくないけど、一応知っておいた方がいい。
モクジさんは相変わらず、第一堂の中で瞑想にふけり続けているらしい。
お堂の中へは入れてもらえなかった。
その際ブルートークで一度呼びかけてみたが、完全に無視された。
まあいいさ、まだ答えてもらわなくても問題はない。
そういえば、モクジさんの修行については信徒を含めてほとんどの人間に知らされていないようだった。
秘中の秘と言われてるだけあって、魔法の発動が成功するまでは内々に行われることになっているらしい。
調査の間、ミスティラはどうしてたかというと、言葉や行動に現したい己の衝動を必死に抑え込んでいるようだった。
ここで爆発されては困るから、助かった。
彼女の強い精神力に感謝だ。
化天道の行の第2段階を行うための、寺院の最奥にある場所にも入ることはできなかった。
修行をやらない時以外は固く閉ざされているらしい。
厄介なことに、化天道の行の修行場は土中にあるようだ。
第一堂の裏手は山になってるんだが、斜面が急になっている所に両開きの扉がついていて、その内側へと潜り込むように通路が続いていると想像できる。
閉ざされた扉の前には常に見張りが立っていて、ご丁寧に錠前もかけられている。
魔力由来の障壁は張られていないみたいだけど、警備はかなり厳重だ。
家に戻るなり、またミスティラから現状を打破できるような新しい策の提出を要求されたが、こちらからは「まだ慌てるような時間じゃない」としか言いようがない。
とりあえず、止めるのに最適な機は、モクジさんが第一堂から出てあの扉の中へ入るまでの間だってのは分かった。
張り込みを行うか、遠方に身を潜めてブラックゲートで急襲するか。
そうなると、今後は寺院内、あるいは周辺に居続けた方がいいだろうか。
ああああ、頭を使うのってめんどくせえなあ!
ただでさえ俺は賢い方でもないってのに!
沸騰しそうな脳みそを抱えながら時を過ごして、日没前に差し掛かった頃だった。
「ユーリ様、ゲマイ様がお見えになっています。2人で話したいことがある、と」
使用人の女の人がやってきて、来客を告げた。
何で俺だけなんだろうと思いながらも、みんなには部屋で待っててもらい、1人で玄関へと向かう。
ちなみに今この場にミスティラはおらず、自室にこもっていた。
「突然の来訪、お許し下され」
玄関で対面するなり、老信徒は深々と一礼した。
「いえ。どうかしたんですか?」
「……これより私が口にすること、どうか御内密に願います」
声を低めて頼まれる。
俺は「分かりました」と答えて、ゲマイさんと共に家の外へ出た。
「美しい花ですな」
庭の花壇の前に立ち止まり、ゲマイさんが表情を緩めた。
「そうですね」
「シュフレ様……ミスティラ様の母君も、この花をよく愛でていらっしゃいました」
シュフレって、どっかで聞いたことのある名前だな。
思い出すよりも前に、ゲマイさんが話を始めてしまった。
「私はローカリ教の一信徒である身。ゆえに教主の示す道に従い、また教主の行かんとする道を、頭を垂れて送り出すのが使命でございます」
老いた声で紡がれる話を、もっともだと思いながら傾聴する。
「ですが、打ち明けさせて頂きますと、迷いが…………いえ、本心は、私もミスティラ様と同じ思いでございます。それに、私は到底教主の器ではございませぬ」
ん? 風向きが変わってきたぞ。
これはもしかしたら……
「化天道の行が成った後、ただ独り残されるミスティラ様のことを思うと不憫でなりませぬ。あのお方が幼少の頃よりお世話をさせて頂いておりまして、僭越ながら孫のようにも思っておりますが、所詮は血の繋がらぬ他人。私では支えにはなれぬでしょう。
……ミスティラ様は、その、少々個性的な部分はありますが、心根はとてもお優しく勤勉、ローカリ教の教えにも真摯に取り組まれていらっしゃるお方です」
慎重に言葉を選んでいるのがよく伝わってくる。
「幼い日、母君が亡くなられた時も、モクジ様を悲しませまいと涙を見せず気丈に振る舞っておられましたが、その裏に一体どれだけ御自身のお心を押し殺していたのか。この上モクジ様まで喪われては……
ですが同時に、化天道の行の成就を求めるモクジ様の思し召しも私には分かるのです。モクジ様にもミスティラ様にも大恩を受けた身としましては、一体どちらを尊重して差し上げれば……」
芝生の上に長く伸びた影を覗くように、ゲマイさんはしわくちゃの顔を少し俯かせた。
きっとこの人は、本当に親身になってミスティラ親子のことを考えてるんだろうな。
「ゲマイさん、話して下さってありがとうございました。偉そうに聞こえたらすいません、血が繋がってるかはそんなに関係ないと思いますよ」
実の親子なのに、まともに食わせてもくれない人間だっているんだし。
「お優しい言葉、痛み入ります。なるほど、こうして短い間ではありますが話をしてみて、ミスティラ様が貴方を気に入られているのも頷けましたぞ」
微笑むゲマイさん。
御者の人も同じようなことを言ってたけど、そうなのか?
「いやいや、昨日のやり取りを見るに、ゲマイさんの方が慕われてるじゃないですか。俺、あんな柔らかい口調で話しかけられたことないですよ」
「ほっほっほっ、それはきっと照れていらっしゃるのですじゃ。人に心を開かれるまで、少々時間をかけられるお方ですからな」
剃った頭を掻いて笑うゲマイさん。
ここでふと、空気が弛緩したのに気付く。
これは降って湧いた好機かもしれない。
「ゲマイさん。ミスティラのために手を貸してはもらえないですか。皆が上手くいくように、俺も努力しますから」
「……私からはこれ以上何とも」
笑みを浮かべたまま拒絶の空気をうっすら滲ませ、曖昧に濁されてしまう。
ダメだったか。
やっぱりゲマイさんは、良くて中立と見た方がいい。
計算に入れない方がいいな。
「申し上げられるのは、モクジ様はじきに、恐らく明日の日没後には心身の浄化を終えられるであろうということのみです。どうやら行に入られるよりも前に食事を切り替えて準備されていた上、瞑想の方も捗が行かれている御様子。
モクジ様は歴代の教主の中でも抜きん出た才をお持ちと評されております。このまま進めば、きっと行を成されることでしょう。
このお話は、ミスティラ様にお伝えして下さっても構いませぬ」
だが、充分に有用な情報を提供してくれた。
ってマジかよ。
予想よりずっと早いじゃんか。
「分かりました、ありがとうございます。最後にもう一つ聞かせて下さい。モクジ様が修行する、本当の目的って何なんですか」
「それは無論、より多くの飢えし民達を救うためでしょう」
ゲマイさんは即答した。
当初に聞かされた内容と一致しているが、本当にそうなのか? 知らされてないんじゃないのか?
ミスティラが口ごもったのとは釣り合いが取れない。
「では、そろそろ寺院に戻らねばなりませぬゆえ、私はこれで。長々と失礼致しました」
帰ろうとするゲマイさんに、寺院まで同行しましょうかと申し出たが、丁重に断られた。
正直言うと送る時間も惜しかったので、そう言ってもらえたのはありがたい。
早い所ミスティラに伝えてやらねえと。
……ん?
そういえば化天道の行の詳細って、基本的に教主以外は知らないんじゃなかったっけ。
何でゲマイさんが知ってたんだ?
まあいいや。今は問い質してる場合じゃない。
きっと次期教主に指名されてるから、それでモクジさんから知らされてるんだろう。
「では今夜から一時的に寺院へ居を移し、お父様を見張りましょう」
ゲマイさんとの約束通り、伝えてもいい部分だけミスティラに話すと、そんな答えが返ってきた。
「ゲマイさんったら、もっと正直になられればよろしいのに。ユーリさんもそう思いませんこと?」
「さあね、俺からは何とも」
「ふ、まあいいでしょう」
ミスティラは意外とこういう場合の空気を読んでくれる性格なのは助かる。
例の如く、晩メシは少しだけにしておいた。
ちなみに皆には、俺に気にせず食うよう言ってある。
付き合わせちゃあ悪いからな。
「おにいちゃん、だいじょうぶ?」
「おお、余裕余裕」
心配そうに俺の腹部に触るジェリーの頭を撫でながら答える。
今の時点でもそれなりにキツい状態だが、まだまだ耐えられる。
餓死どころか、減量中のボクサーよりも楽なはずだ。
何だかんだ、行動に支障ないぐらいは食ってるし、食い物の品目を制限してる訳でもない。
本当に辛い状態ってのはこんなもんじゃない。
頭は回らなくなるし、体中の神経が剥き出しになったみたいになるし……おっと、考えがずれちまった。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるから、みんな待ってろよ」
実際事に臨むのは、俺とミスティラの2人だけである。
戦う訳じゃないから人数を増やす必要はないし、説得の成功率が上がる訳でもない。
それに餓狼の力を駆使する状況が起こり得ることを考えると、少数の方がいいだろう。
タルテから"絶蓋の呪符"を忘れずに受け取り、準備を済ませる。
「気をつけてね」
「ユーリ殿の方が餓死せぬよう、ゆめゆめ気を付けるのだぞ」
「分かってる、俺としてもそうなるのはごめんだ」
2度も餓死したかないからな。
「早く出発しますわよ」
「ああ、行こうぜ」
「……ユーリ!」
踵を返そうとした直前、タルテに呼び止められる。
「どうした?」
「帰ってきたら、あんたの好きなもの、お腹いっぱい食べさせてあげるから」
「ああ、楽しみにしてるぜ」
やる気がモリモリ湧いてきた。
よっしゃ、絶対成功させてやる!