30話『ユーリ、頭を働かせながら事前調査を行う』 その1
俺達は一度、ミスティラの家で作戦を練り直すことにした。
メイツ寺院を出、再びアビシスの旧市街に戻って、彼女の家へと向かう。
旧市街を抜けて、折り返すような坂道を何度も登り、北東部の高台に出る。
そこからはアビシスの街並みがよく見えた。
少し暮れかかった空、太陽が照らし出す石造りの建物群がとても綺麗だ。
それとこうやって高所から見てみると、あちこちで焚かれている火がまるで意思を持って互いに呼び合っているようにも映る。
「わぁ、きれいだね!」
くるくる回るように動きながら街を見渡し、ジェリーが目を爛々と輝かせる。
「ふむ、四大聖地と呼ばれるだけあって、景観も素晴らしいのだな」
「本当ね」
「見とれるお気持ちは理解できますが、早々に切り上げて下さるかしら」
後ろから抑揚のないミスティラの声が飛び、俺達は慌てて意識を引き戻し、追従を再開する。
彼女の顔つきや雰囲気にはまだ狼狽の余韻が残っていたものの、涙は一切なかった。
この乾燥した空気が滲むそばから乾かしている訳ではなく、単純に本人の意志で押し留めているようだ。
高台に位置しているだけあって、この辺りは高級住宅地のようだ。
ミスティラの家はその一角にあった。
やっぱりというか、一目見ただけで「ああ、こいつの家はあれか」って分かった。
石造りなのは辺りの家と一緒だが、壁に花や蔦といった植物の彫刻が施されていたり、窓枠が赤く塗られたりしていて、やたらと自己主張が強い。
ただ派手ではあったけど、下品さは感じられなかったことは一応付け加えておく。
唯一意外だったのは、思ったほど広くはなさそうだってことぐらいだ。
庭もこじんまりとしている。
それと手入れがよく行き届いていて、花壇では赤や黄色の綺麗な花が咲いていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
中に入るとすぐに中年の女性が……使用人だろう。
パタパタとやってきて、ミスティラを出迎えた。
「戻りましたわ。この方たちはわたくしの客人。粗相のないようおもてなししなさい」
「かしこまりました」
使用人が一礼して左側の別室へ消えていくと、ミスティラは正面奥を指して言う。
「夕食と湯浴みの準備が整うまで、話し合いを致しましょう」
応接室に通されるまでの間、赤い絨毯の上を歩きつつ、家の中をざっと観察してみる。
するのが苦手な自分が言うのもなんだが、掃除が大変そうだなというのが第一印象だった。
作者の想像上の楽園を描いたと思われる絵画や、ピカピカに磨かれた板金鎧、青白い壺などが各所に置かれていて、ちょっと拭くにも凄い気を遣ってしまいそうだ。
人の勝手なのは承知しているが、こういうのを集めたがる心理が俺にはよく分からん。
ミスティラの家は二階建てのようで、上階へ続く階段は玄関の右側についていた。
豪邸というほど広くはないが、1人で住むには空間を持て余しすぎているくらい広い。
父親のモクジさんもここに住んでいた時期があったんだろうか。
あ、そうだ。
「他の家族はいないのか?」
「血を分けた存在はおりませんわ。お母様も、病で既に旅立たれました」
「そっか……悪い」
「同情は不要ですわ。最期の語らいも、心の折り合いもとうに済ませましたから」
何の感情も込めずに言うミスティラ。
気丈に振る舞っているのか、本当にそう思っているのか、俺には判断がつかなかったが、本人がそう言っている以上それが正しいんだろう。
俺ができるのは、唯一の肉親を死なせないようにすることだけだ。
応接室にも絵画や彫刻が飾られていたんだが、
「カッキ=グゥリが好きなのかしら」
絵を見たタルテが独り言のように呟いた。
「あら、ご存知だったとは意外でしたわ。この方が平面上に描き出す美麗で調和の取れた理想の世界はまさしく、凡人とは懸絶した才、汚れなき心の表れ。マーダミア家の者は皆この方を愛しておりますのよ。その鋭い目つきは伊達ではない、といったところでしょうか」
そういやこいつ、元々は結構な家柄だったっけと「余計なお世話よ」と無言で抗議している姿を見て思う。
当のミスティラは自分の発言を全く省みる素振りなど見せず、上座に座って、
「今は芸術について語らう時ではありませんわ。それで? ユーリさんはどうお考えですの。わざわざ一度退いたのです、相応の策を既に用意されていらっしゃいますわよね?」
早々に口火を切ってきた。
唐突に水を向けられ、俺は反射的に息を止めてしまう。
これから考えようと思ってたから、まだ何も用意していない。
なんて言うと怒り出すだろうな。
「とりあえず俺達も座っていいか」
「ええ、お好きな所へお掛けなさいな」
いつもより動作をゆっくりにして時間を稼ぎつつ、頭を働かせてみる。
「そうだなぁ……まず、すぐ再挑戦するのはうまくないと思うんだよ。頑なになってる所を押しても、一層固まられるだけだし。少し間を空けるべきだな。『もう来ないかも』と油断しかけた時が狙い目だ。悠長に思えるかもしれないけど、俺達が最優先にすべきなのは修行の完成、つまり魔法を発動させないことだろ? だからそこまで焦る必要はないんじゃないか?」
まだ具体策を出せず、即興で思いついたことをポンポン放ってみただけだが、一応納得はしてくれたようだ。
ミスティラは「もっともですわ」と呟いて頷く。
「ねえ、ユーリ」
ここで、話の切れ間を待っていたタルテが小さく手を挙げた。
「お、意見か?」
「魔法の発動を止めるなら、シィスさんからもらったあの呪符を使えば……」
「ああ、いい考えだと思うぜ」
別に俺も忘れてた訳じゃあない。
ここまで切り出さなかったのは、ただ単に魔法を止めるだけでは意味がないと思ったからだ。
呪符が無くなってしまえば、また再挑戦されてしまうだけだろうから。
最終的にはモクジさんの心を変え、自発的にやめてもらわなければいけない。
でも確かに、魔法を止められるというのは、それだけでも大きな優位性を得られる。
「いざって時、使うのもアリだな。いいか?」
「ええ、もちろん」
「呪符? あの、ツァイの奥地で作られているという? そのようなものをお持ちでしたのね」
ミスティラが感嘆した様子を見せる。
タルテが実際に"絶蓋の呪符"を取り出して見せると、
「これが呪符……初めて見ましたわ。これは一体何と……ただの魔文字ではありませんわね」
興味深げに、あのミミズがのたくったような文字を覗き込んでいた。
「強力な封印の力を秘めているという話は耳にしておりますが、お父様が完成させようとしている魔法にも通用しますの?」
そう聞かれても、正確な効力は俺達にも分からない。
「魔力を封じるって言われてるんだから、最悪発動を遅らせるぐらいはできるだろ」
「皆さんが強力な道具をお持ちなのは理解しましたわ。それでユーリさん、どうしますの?」
分かってたし当たり前だが、グイグイ来るな。
「まずは修行の具体的な手順と、モクジ殿が現在どこまで修行を進めているのかを知ることが先決ではないか」
助け舟を出してくれたのはアニンだった。
でかしたぜ。
「そういえばまだご説明していませんでしたわね。失礼しましたわ。
お父様が挑んでいらっしゃる"化天道の行"を成すためには、大別して2つの段階が存在します。まず第1に粗食――霊性を高めるため、特別な水と木の実だけをわずかに摂るよう食事を切り替えますの。その中途で瞑想も行い、心身を整えつつ魔力を高めるための土台を作るのです。
充分に心身が浄められたならば次の段階へ――メイツ寺院の最も奥にある、石と岩に閉ざされた部屋へと坐す場所を移し、一切の飲食を断って詠唱を行い続けます。
化天道の行が成ったとみなされるのは、そうして命が尽きた時。同時に究極の魔法……"楽園の燦"は完成し、数多の人々を飢餓の苦しみより救うと言われていますわ」
いつもとは違い、ミスティラは平坦な言葉で事実だけを淡々と述べた。
「ふむ、つまりモクジ殿は現在第1段階、それもおよそ中盤程ということだな」
「"めいそう"のとちゅうなのに出てきてたからだよね。おわりのほうだったら、ずっと中にいるはずだもん」
「その通りだ。ジェリーは賢いな」
「お二方の推察通りですわ」
「その"楽園の燦"っていう魔法で、どうやって人を救うんだ?」
「巻物によりますと、命果てた術者の肉体が太陽の如き眩い輝きを放ち続けるようになり、その暖かな光を浴びると、たちどころに空腹が満たされていき、活力が湧いてくるそうですわ」
「そんなおあつらえ向きな凄い魔法があったのか」
植物の光合成みたいなもんか?
栄養が偏ったりしないのかとか疑問はあるが、魔法を完成させないことが仕事だから、気にしてもしょうがない。
「ローカリ教の歴代教主で、化天道の行に挑んだお方は幾人もいらっしゃいましたが、誰1人として成し遂げられなかったそうですわ。強靭な精神力、そして何より魔法発動の為に莫大な魔力と才能を必要とするため、絶命するまで詠唱ができても、力足りずにそのまま人として朽ちてしまうという事例も1つ2つではなかったようです」
「ミスティラ殿、よろしいか」
アニンが挙手する。
「誰も完成させられなかった魔法にも関わらず、何故効果が判明していて、かつローカリ教に伝承されているのだ?」
「さあ? そこまではわたくしにも分かりかねますわ」
ミスティラはさらりと答えた。
「あの、どうして教主以外知らないはずの極限の行を、あなたが知っているのかしら?」
が、アニンに続いて遠慮がちにタルテから尋ねられると、わずかに顔をしかめる。
「……インスタルトが月にかかる夜、第一堂の奥へ足を踏み入れ、巻物に目を通したからですわ」
「おいおい、忍び込んだのかよ」
「人聞きの悪いことを仰らないで下さる? 親を思う子の真心とは、時に何よりも優先されるべき法典ではなくて? もっともお父様には分かって頂けず、お叱りを受けてしまいましたが……ふ」
ミスティラがあっちの世界にいたら、家族の携帯電話を勝手に見る類の人間になってるなと、この時直感した。