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29話『ユーリ一行、ローカリ教本拠・メイツ寺院に入る』 その3

「お父様……」


 ミスティラの独白は、わずかな震えを伴っていた。


 扉の中から1人の老僧が浮かび上がるように姿を現すと、頑なに守護を続けていた2人の信徒が、両手を合わせて深く一礼した。

 あの人がミスティラの父親か。


 第一印象は、まさしく修行僧って雰囲気だった。

 剃髪し、日に焼けた体は既に大分痩せこけていて、枯れた古木に黄土色の法衣を被せているように見えた。

 ただ外見に反して生気までは衰えておらず、落ち窪んだ目には強い光が宿っている。

 それとよく見ると、目の青さなど、所々にミスティラと似た面影が見受けられる。


「御苦労であった」


 父親は俺達を一瞥した後、しわがれた声で門番をしていた2人をねぎらった。


「教主様、もう瞑想はお済みになったのでしょうか」

「いや……贅肉が落ちて研ぎ澄まされた感覚が、じゃじゃ馬娘の魔力の揺らぎを捉えたのでな。こうもしつこく早く出て来いと急かされては、瞑想も捗らぬわ」

「申し訳ありませぬ」

「構わぬ。今のはただの戯言だ、聞き流すがいい」


 ここでようやく、父親が俺達の方に体を向けた。


「お父様……何故です!」


 ミスティラが、高い声を更に高くして叫ぶ。

 それだけなら分かるが、一歩前に進み出て、かつ大げさな身振りまでつけられると、何かの劇に見えてしょうがない。

 こんな状況でまで芝居がかった仕草を崩さないとなると、やはりこれが素なんだろうか。


「何故、あれほどお止めしたのに修行を始めてしまうのですか! どうしてこう、いつもいつも勝手に……嗚呼、最後にお見かけした時よりも一層痩せ衰えてしまわれて……!」


 父親は、じっと青い眼を向けながら、無言で娘の叱責を受け止めていた。

 やがて追撃が止まると、


「お前達は一度中で休むがいい」


 門番の2人に声をかけて、第一堂の中へと入るよう命じた。

 この場にいるのが、俺達だけになる。


「……そちらの方々は?」

「お父様が脳髄に埋め込んでいらっしゃる、頑迷たる石を打ち砕く鎚ですわ。お覚悟なさいませ、路傍で転がるように売られている魔具とは格が違いますわよ」


 父親は小さく息を吐いてかぶりを振った後、俺達4人を順々に見た。


「娘が大変御迷惑をおかけして申し訳ありませぬ。愚僧はモクジと申します。非力ながら現在、ローカリ教の先頭に立つ役目を先代より仰せつかり、精進しております」

「ユーリ=ウォーニーと申します」


 モクジさんの角張った自己紹介につられて、俺もつい硬くなってしまう。

 タルテたちも同様の反応を示した。


「全く、お前は何を考えているのだ。余所様まで巻き込みおって……」

「語弊がありますわ。わたくしはユーリさんたちへ正式に依頼を申し込み、承諾を得たのですから。わたくし、本気ですわよ。不心得者と蔑まれようと、万民からの火矢の如き憎悪をこの身に浴びようと、お父様の行を止めさせてみせますわ」

「お前が何を言おうと、誰を連れてこようと、私は変わらぬ。飢えし民の為、化天道の行を完遂するのみ」

「嘘ですわ……っ!」


 ここで何故かミスティラは口をつぐんだ。

 どう見ても不自然な切り方だ。

 まあいいや、口を挟むにはちょうどいい間だ。


「あの、すいませんモクジ様」

「何でしょうか」


 ミスティラに向けていた時の棘は、瞬時に収納されていた。


「差し出がましいのは承知ですが、個人的に俺もあなたを止めたいと思っているんです」

「……部外者の其方がそのように思う理由を伺ってもよろしいですかな」


 生えかけの髭が皮膚の表面に出るように、棘の先っぽが姿を現す。


「ユーリさんは、ローカリ教の信徒ではないにも関わらず、飢えた人々に救いの手を差し伸べる信念を持つ御方だからですわ。そう、例え相手が悪党であろうとも」

「私は彼本人に尋ねているのだ」


 モクジさんに言われ、再び黙り込むミスティラ。

 俺としてもそうしててもらいたい。

 概ね合っているが、完全な正解じゃなかったからだ。


「大体は娘さんが言った通りの理由です。……そう思うのは、俺自身、飢える辛さを嫌ってくらい体験してきたからです。だからどうしても見過ごせないんですよ。どんな理由があっても、誰かが飢え死にしようとしているのを。

 修行で断食する必要があるのは理解できますし、別にローカリ教自体やモクジ様のすること自体を否定するつもりは全然ないんです。俺の個人的な感傷だっていうのは分かってます。

 それでも、モクジ様には思い止まってもらいたいんです。生き続けてやれることが、まだあるんじゃないでしょうか」


 話の間もその後も、モクジさんは微動だにせず、強い光を宿した目でじっと俺を見据え続けていた。

 流れる沈黙。

 時折吹き付ける乾いた風が瞬きを促すが、モクジさんは目を細めすらしない。


 真贋を問われ続けているような、鏡のような瞳から、俺は目を逸らせなかった。

 怖くはなかったが、眩しすぎた。

 しかし、ここで逸らしたら信じてもらえないと思った。


「……其方の信念、人品、魂、偽りはないと受け取りました。愚僧への心遣い、痛み入ります」


 ふっと、木像のようだった顔が少し緩んだ。

 どうやら信じてもらえはしたようである。


「ですが、今更中断する訳には参りませぬ。どうか我が愚昧なる不退転の所行、察して見届けて頂けないでしょうか」


 しかし続けて並ぶ言葉は、やはり一切の説得を拒絶するものだった。

 これは予想通りだったので、失望や動揺はない。

 つい今知り合ったばかりの赤の他人にちょっと何か言われたくらいで心変わりするぐらいなら、ミスティラもわざわざ俺達を呼んだりはしないだろう。


「見届ける前に、お聞きしたいことがあるんですけど。モクジ様は、空腹になるほど強くなる力のことを知りませんか。魔法とはまた違ったものなんですが」

「存じませぬな」


 モクジさんは訝しげな顔をする。


「本当に知りませんか? こういう力なんですが。ちょっと、俺と頭の中で会話している想像をしてもらえませんか」


 ――聞こえてますか?

 ――これは……!


 モクジさんが初めて目に見える動揺を表した。


 ――"餓狼の力"と自分は呼んでます。こういった力を持っている人間が他にいないか、知りませんか?

 ――いや、本当に存じませぬ。しかし驚いた、まさかこのような魔法とは異なる力が存在したとは。


 よし、これでいい。

 別にモクジさんが知ってるかどうかは問題じゃない。

 重要なのは、ブルートークの"回路"を繋げられたという点だ。

 この後、何かの役に立つかもしれないからな。

 打てる布石は打っとくに越したことはない。


「どうでしたか。他にも色々できることはありますよ」

「……素晴らしい。其方ならばその力を正しく用い、多くの人々を救済せしめるでしょう。愚僧も安心して旅立てます」


 嫌いな人間の発言を全て負の方向に結び付けてしまうように、この人は誰が何を言っても死ぬつもりらしい。

 こりゃあ相当な難題だな。


「ミスティラよ、今夜はこの方達を家へ御案内し、丁重にもてなして差し上げなさい。そして私が光になった後はゲマイの言葉をよく聞き、一層多くの民を救うよう励むのだ」

「嫌です。ゲマイさんは既にわたくしの師ではありません。お父様以外の方に従うなど考えられませんわ!」

「我儘を言うでない!」

「父への我儘は娘の特権ではなくて!? お父様はわたくしのことを愛していないのですか!?」

「言うな! ……愛していない訳がなかろう。だがお前とてローカリ教教主の娘。真に我が身を案ずるのならば、教主の本懐を成そうとする父を送り出すのだ。恨んでも、憎んでも構わぬ」

「お父様……!」


 これ以上親子喧嘩をするつもりはないとばかりにモクジさんはかぶりを振って遮り、俺達の方を向く。


「愚僧はこれより再び化天道の行に入ります。わざわざ御足労をかけてしまい申し訳ありませんでした。ですが最期に素晴らしき御仁と出会えたこと、幸運に思います。良い土産話が出来ました」


 俺達は何も言わなかった。言えなかった。

 モクジさんはそれを肯定と受け取ったのだろう、先程門番の信徒がしたように両手を合わせて深々と一礼をし、


「失礼致します」


 と、開けられたままの扉の奥へ戻って行こうとする。

 もうミスティラの懇願には一切耳を貸さず、彼女に縋りつかれれば、その体のどこに秘めていたんだと思うような力で振り払う。

 娘が地面に膝をついても、一切気に留める素振りを見せない。


 ただ最後に、お堂の中に一歩足を踏み入れて一度立ち止まり、


「別れは先の夜に済ませたが、改めて言おう。……さらばだ、我が娘よ」


 背を向けたまま、茫然としたままのミスティラに一言残して、お堂の奥へと消えていった。


「お父様! 行かないで下さい! わたくしは……まだ……!」

「ちょっと待った」


 今度は俺が阻止する番だった。

 つんのめるように駆け出そうとしたミスティラの腕を咄嗟に掴む。


「は、離しなさい! そして貴方も早くお父様を追って止めなさい! 何のために雇ったと思っているのです!」

「いや、今はこれ以上食い下がっても無理だ」


 手や肩を激しく叩かれる痛みに耐え、穏やかな声色になるよう努めて伝える。


「"北風と太陽"の寓話を知らないか?」

「知りませんわ! 作り話をでっち上げないで下さる!?」


 あ、そうだった。

 こっちの世界にはない話だった。


「……とにかく、押せ押せなだけじゃあダメってことだ。時にはやり方を変えなきゃな。まだ時間は残ってるんだ、ここは一旦出直そうぜ」

「ですが……!」

「俺を信じろ。絶対親父さんを思い止まらせるから」


 そうだ。

 今度こそ、絶対に成功させなきゃならない。

 コラクの村の時のような思いは、二度としたくない。


「そのために国境で俺を待ってたんだろ? 約束する、最後はきっとめでたしめでたしにしてやるから、な」

「……はい」


 素直に頷かれる。

 あれ?

 疑う言葉の二つ三つは覚悟してたのに、思いのほかしおらしく受け入れたな。


 まあいいや。

 それはともかく、まだ何も終わっちゃいない。

 勝負は次の回以降だ。

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