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4話『タルテは独り戻っていく』 その2

 怪物はわたしを背に乗せたまま、大きな体に似合わない俊敏さで街中を駆け抜け跳躍していく。

 街の人たちの短い悲鳴や驚いた顔が、高速で前から後ろへと流れていく。

 恐らく一応は人気の少ないところを選んだのだろう。誰かとぶつかったりすることはなかった。


 両脚だけでなく、時間の感覚までもマヒしてしまっていて、実際どれだけの間乗せられていたのかは分からないけど、日没よりも早くわたしは大きな屋敷の前まで移動させられた。

 ここがクィンチの屋敷……

 よほど大儲けしているのだろう。実家(と呼ぶとあの人たちは怒るだろうけど)よりも広く、大きかった。


「これからクィンチにどんな扱いを受けるか、想像できているか?」


 門番の一人が取り次ぎに行ったのを待っている間、不意に怪物から質問される。


「……一応」


 さすがに何も分からないほどバカでも無垢でもない。

 故郷からここファミレまでの道中、あの下品な手下たちから、言葉や命令で尊厳を傷付けられても、物理的な手出しは一切されなかったことからも予想はできる。


 つまり、そういう"使い方"をされるのだろう。飽きられるまでは。

 改めて現実を突きつけられると、暗澹たる思いが朦々と湧き上がってくる。

 それにつられて、先日、家族に売られた時の記憶が蘇る。






「タルテ。お前はこれから、この方にお仕えするのよ」


 両親が死んだ時点でいっそう扱いが手酷くなるのは薄々予想できていたけど、まさかこうも露骨に売られてしまうとは。

 とは言っても、あの時のわたしは、思いのほか冷静に事実を受け止めていた。

 ……ううん、実際はショックが大きすぎて、マヒしていたのかもしれない。


 どちらであろうと、関係はない。

 わたしの意向を差し置いて、わざわざ見せつけるように、眼前で話は進行していった。


「ほほう、この娘を……良いではないか良いではないか。本当に頂いても良いのかね」

「ええ、クィンチ殿のお好きなようにお使い下さいませ。妾の子ではありますが」

「構わぬ構わぬ。感謝するぞ、ザッハ殿」


 臭い息を撒き散らしながら、下卑た笑みを隠そうともしない肥満体の男。

 まともな商売をしていそうにないのは誰が見たって分かるくらい醜怪な外見。黒い雰囲気。

 この人間(とはあまり思いたくないけど)こそ、わたしを買い取った商人・クィンチである。


 一目見ただけで思い知らされた。

 わたしはこれから終生、まともな人生を送れないのだろう、と。


「……お義母様」

「何ですかその反抗的な目は! クィンチ殿に失礼でしょう!? それに母などと呼ばないでちょうだい! 耳が汚れる!」


 あなたの目つきや声も同じようなものじゃありませんか、とは言い返せなかった。

 気力もなく、絶望に取り乱しもせず、ただ成す術なく静かに深い深い闇の底へと沈んでいく。そんな感覚だけがあった。

 先のことを細かく想像したくはなかった。というよりできなかった。

 無意識のうちの防御なのだろう。


「よいよい、ワシは気にしておりませぬでな」

「そうですか。ではこちらが契約書ですわ」

「うむ、確かに。……署名しますぞ――」


 契約が済んで二日後、わたしは故郷から引き離されることになった。

 土地や家屋そのものに思い入れはなかったから、そういった意味での寂しさはなかった。

 クィンチは急ぎの仕事があるらしく、わたしを連れて行くための手下を残して一足先に出発した。

 まだ少しの間はあの姿を見たり、悪臭を嗅がされずに済んで、少しだけほっとする。

 とはいっても、死刑執行を待つ罪人にも似たほの暗い気持ちは決して消えない。


 契約完了から出発までのことは、まだ比較的最近だというのによく覚えていない。

 これは絶望感というより、あまりに空虚すぎたのが理由だと思う。

 ただ起きて食べて寝るだけだったのだろう。


 そして家を追い出される直前、半分血の繋がった兄とすれ違ったから、一声かけてみたけど、


「話すことなどない。私は忙しいのだ、早く行け」


 あの人は、最後まで無関心だった。

 今さら驚きはしなかったけど。

 昔から、貴族としての面子や仕事の方が大事な人で、継母と同じくわたしを疎んじていたから。


 妾の子ということで、わたしは全く貴族扱いされず、ずっと敷地の離れのあばら家で暮らしていたけど、今の境遇を考えるとよかったかもしれない。

 なまじいい暮らしをしていたら、突き落とされたことによる格差に苦しんで、心が壊れていたと思うから。




 そこまで思い返したところで、大きな玄関扉が軋みを上げて開かれ、意識が現実に引き戻される。


「おお、来たか来たか! ワシの新しい奴隷よ」


 中に入ると大広間があって、この場所の主――クィンチが、先日と変わらない趣味の悪い服装で出迎えてきた。


「ビンバーよ、ご苦労だったな」

「報酬分の働きをしたまでだ」


 怪物が素っ気なく答えると、背中越しに光が瞬いた。

 わたしの脚に感覚が戻される。

 つい本能でしゃがみ込んでしまい、脚を撫で回して柔らかさと体温を確かめてしまう。

 後遺症などはないようで、ほっとする。

 しばらくの間体が動かないということが、こんなにも怖いとは思わなかった。


「極上の石を取り寄せておいた。庭に置いてあるから喰うがいい」

「ほう。楽しみだ」


 怪物はもうわたしから興味が失せた様子で、鈍く重い足音を立てて庭へと出ていった。


「さて、半貴族の小娘。名は何と言ったか」

「……タルテです」

「ふむ。まあ、名などどうでもよいわ」


 だったらどうして聞いたのよ。


「これからお前はワシの人形だ。存分に嬲り抜いてやるぞ。半分だけとはいえ元貴族、しかも上玉だ。愉しみだのう」


 ああ、わたしなんかに執着してるのは、そういう部分についてなのか。


「身分を堕とされ、家族に売られたというのはどういう気分だ? んん?」

「……良くはないです」

「ウワッハッハ! そうだろうな!」


 意地の悪い質問をして、一体何が面白いのだろう。


「手下共は手をつけておらぬだろうな。おい、ここまでの道中、手下共に犯されたりはしてないだろうな」


 あまりに品性の欠けた物言いに呆れてしまうが、ここで機嫌を損ねるのが怖かった。

 小さく頷くことしかできない。


「まあ、直に分かることよ。さて、ここで一旦始めてもよいのだが……やはり最初は"道具"を色々と使った方が良いだろう。お前もそう思うだろう?」

「何のことでしょうか。わたしには、よくわかりません」

「とぼけおってからに! まあよいわ、じっくりと教え込んでやろう。さあ来い!」


 脂ぎった手で腕を掴まれ、無理矢理屋敷の奥へと連れていかれる。


 それにしても、相変わらずの醜さと臭さ。

 頭が痛くなりそうだけど、早く慣れないと。

 これから頭痛どころでは済まない扱いを受けるのだろうから。

 自我を、人間を捨ててでも……


 ――え?


 人間を捨てる?

 そんな最低限の尊厳を捨てるなんて、できるの?


 貴族や奴隷がどうとか、身分に関係なく、単純にわたし個人の本心として。

 できる。わたしはできる。

 だからここまで来たんじゃない。


 ――ウソよ。それは単に、弱いからでしょう。


 うるさい。心の声が耳障りだ。


 ――だったらどうして、あの時人前で犬のように食べることに抵抗したの?


 心を守ろうと、考えるのを止めたの?

 継母や兄を見たの?

 ユーリについていって、一緒にご飯を食べたの?


 グルル……


「ん?」

「あ……」


 情けないやり取りを止めたのは、もっと情けない生理現象。

 おなかの鳴る音だった。

 クィンチではない。わたしから出たものだ。


 状況が状況だからか、不思議と恥ずかしいとは思わなかった。

 こんな時でもお腹って空くのね。

 ユーリの言った通りだわ。


 お鍋、もっとちゃんと食べておけばよかったな。


「何を笑っておる」

「……いえ、すみません」




 クィンチの私室は、やっぱり悪趣味極まりなかった。

 "道具"だけじゃない。調度品の選び方も含めて。

 実家もあまり趣味がいいとは言えないけど、こちらはもっと成金じみているし、何か悪魔を崇拝してるんじゃないかと思えてくる。


 ううん、単に悪趣味なだけならまだよかった。

 わたしですら、恐怖を上回るほどの怒りを覚えるほどの"最悪"が、そこにはあった。


「それが気になるか。グフフフ、どうだ美しかろう。海を隔てた遠い国で見つけた逸品よ」


 何も知らなければ、分からずに済んだかもしれない。

 だけど、わたしは、あの怪物と既に出会ってしまっていた。


「ひどい……こんな小さな子に、なんてことを……」


 ベッドの脇に、まだ年端も行かない女の子が、一糸纏わぬ姿で飾られていた。

 ただし、手下たちやさっきまでのわたしとは違って、全身を石にされている。


 女の子は、恐怖とも茫然自失とも取れる表情をしたまま、固まっていた。

 ただの石像だなんて思えるはずがない。

 どのような背景でこうなってしまったのか……想像するだけで空腹感は消えていって、代わりに熱いもので満たされていく。


「何故酷いと思うのだ? どうせ完全に石化させてしまえば意識が無くなるのだから構わぬだろう。下手に意識が残って、壊れられては美しさが損なわれる」

「ふ……ふざけないで! 人間はモノなんかじゃないのよ!」

「怒るな怒るな。眺めるのに飽いたら元に戻してやるわ。その後の、別の使い道も考えておる。"人間"としてのな」

「っ……このッ……!」

「バカめが!」


 一発叩いてやろうと手を振りかぶった瞬間、頬に熱を伴う衝撃が走る。

 予想に反して、クィンチの打撃はわたしのそれよりもずっと早かった。


「奴隷の分際で主人に歯向かいおって……」


 強く焼きつけられた痛みで、ほんの一瞬とはいえ、我を忘れてしまったことを後悔する。


「と、言いたいところだが、褒めてやるぞ」


 クィンチは怒るどころか、嬉しそうに笑う。

 理由はすぐに分かった。


「そのくらいの気位の高さがなければ、わざわざ買い取った甲斐がない。少しずつだ。岩石を削るように、お前の心を削いでどん底に堕としてやろう……グフフフ」


 この、悪魔め!


「言葉で責め、道具で嬲り、一部だけを石として痛めつけ……そして、最終的にはお前も部屋の飾りにしてやろう。希少さゆえ、あそこにある逸品ではやらなかったことを、存分に味わわせてくれる」

「……!」


 ダメだ。

 わたしは、やっぱり弱い。

 これからの処遇を具体的に突きつけられて、精神の支柱部分がぽっきり折れてしまったのが分かった。


 怖い。イヤだ。

 もう石にされたくない。壊れたくない。人のままでいたい。


「グワハハハハ、いいぞいいぞ、じわじわと絶望していく顔! 昂るぞ!」

「い……いや! 来ないで! 助けて……助けてぇっ!」


 ――ユーリ!!


「たのもォォォォォオオッ!!」

「…………え?」


 ユーリの声?

 幻聴?


「むうッ! な、何者じゃあ!? バカでかい声を出しよってからに!」


 クィンチにも聞こえてる? 本物?

 でも、どうして?


 ああ、そうだった。

 答えは簡単。

 彼は、物凄いお人よしで……"ひーろー"なんだった。

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