27話『ミスティラ、派手で大仰な依頼人』 その2
かくしてミスティラと名乗る女の依頼を引き受けた俺達は、急遽リレージュではなくアビシスへと向かうことになった。
ちなみにアビシスに寄っても、リレージュから遠ざかってしまうということはない。
フラセースの四大聖地――リレージュ、ラフィネ、アビシス、テルプは、聖都エル・ロションを中心として、それぞれ東西南北に位置している。
うちアビシスは聖都の南、リレージュは東に位置しているため、順路的には問題ないのだ。
「わぁ、すごくおっきなひとがいるよ! あそこあそこ!」
窓から外を覗いていたジェリーが、驚きの声を上げた。
「うおっ、な、何だありゃあ!?」
ジェリーじゃなくても、初めてあれを見りゃ驚くだろう。
青色の体をした何十メーンもあろうかという巨人が、山のふもとをうろついていた。
「あれは32の目を持つ巨人ですわ。不正に国境を越えようとする者がいないか絶えず目を光らせている、眠らずの監視者……ですが、太陽の下を歩む存在であれば全く危険はありませんわ」
「ほら、無理にブラックゲートで行こうとしなくてよかったでしょう」
「まったくだ」
以前タリアンで乗ったそれよりも格段に乗り心地のいい馬車に揺られて、国境城塞から伸びる街道を北に進んでいく。
街道の周囲には延々と荒野が広がっていた。
空気も乾燥しているような気がする。
他の地域は違うのかもしれないけど、この辺りはあまり聖なる国って感じがしないな。
はっきり言ってしまうと、眺めていてあまり面白味のない風景だ。
自国民だからか、ミスティラはハナから外に興味を示さず、本を読んでいた。
いや、そもそも俺達ともあまり交流する意志がないようだ。
俺達4人を一列に押し込めて、自身は片側の座席を占有し、完全に己の世界に没入している。
俺達の方も口が重たくなってしまう。
父親の命がかかっている、といった焦りは特に見られないんだが、ついつい気を遣ってしまう。
もっともタルテは先の召使い発言をまだ根に持ってるみたいだが。
あからさまに顔をそらして、ミスティラのことを見ようとすらしない。
「ねえねえミスティラおねえちゃん。なんのご本をよんでるの?」
ジェリーだけは特に気にせず、話しかけたりしていた。
こういう時、無邪気な子どもってのは凄いと思う。
「……物語ですわ。竜と人の、悲しい恋物語」
ただ、この子に対するミスティラの態度は、思いのほか柔らかだった。
目線を上げて、ふっと小さな微笑みをジェリーへと向ける。
せっかくだから、これを取っ掛かりにして話を振ってみるかな。
「そういやさ、フラセースの王様って竜なんだって?」
「ええ、御存知なくて?」
ぴしゃりと突っぱねるように言われる。
おいおい、俺に対しては随分冷たいな。
「それと、王様ではなくて聖竜王ですわ。聖竜王・トスト様」
「ふーん。……国はローカリ教に口出ししたりしないのか。国教じゃないだろ、確か」
「トスト様のお心は果てしなき蒼穹、そしてローカリ教の教えは恵みの大地。不可侵を守り合って調和こそすれど、相争う理由がありましょうか」
「やたら喩えが大仰だけど、要は問題ないってことか。で、今更だけど、部外者が勝手にローカリ教のことに首突っ込んでも大丈夫なのか」
「構いませんわ。もし歯向かってくる者がいても、わたくしが黙らせます」
「頼もしいことだな」
アニンが腕組みをしたまま、言葉を投げかけた。
「親を思う子の心は、何よりも強靭な剣となるのです。逆は盾。……さて、もうよろしいかしら。これ以上わたくしの読書の邪魔をしないで頂けます?」
再び手元の本に視線を落とす。
やれやれ、簡単には心を開いてくれないみたいだな。
馬車に乗ってもアビシスまで一日では辿り着けなかったため、この日は野営することになった。
ここまで判明しているミスティラの性格や事情からして、夜通し走らせてでも到着させるんじゃないかと思ってたんだが、言い出してきたのはあっちからだった。
街道沿いだし、そんなに危険もないだろう。
さっそく準備にかかる。
「不思議なものをお持ちですのね」
木の天幕を張ると、ミスティラが感嘆の声を上げる。
「もっとも、わたくしは馬車で休みますから関係ありませんが。……準備が整ったら声をかけてちょうだい」
後半部分は、せっせと折り畳み式の椅子や卓などの用意をしている御者に向けられたものだった。
当の本人は悠然とした足取りで、馬車の中へと引っ込んでいってしまう。
……うーん、お嬢様だ。
「ちょっとユーリ、ぼさっとしてないでよね」
「ああ、悪い」
そうだ、あんまり人のことを気にしてる場合じゃなかったな。
こっちの作業を終わらせねえと。
ミスティラ側の方が早く準備が終わったのは、料理の手間の差だ。
晩餐の雰囲気を可能な限り野外で再現した、やたらお上品な食卓に反比例して、ミスティラの食事はとても質素だった。
黒っぽいビスケット数枚と、水石で冷蔵していた野菜を少々、それと水だけで、肉や魚の類は一切ない。
それらをわざわざ皿に乗せ、ワイングラスに注いで飾り立てている。
おまけに御者は給仕役に転職していた。
俺からしたらある意味受け狙いにも見えちゃうんだが、本人的には大真面目なんだろうな。
それよりも……普段の食事内容は不明だが、どうやってその胸を育てたのか知りたい。
「お先に頂きますわ」
「どうぞ」
こっちはもうちょっとかかりそうだし、別に待ってもらわなくてもいいか。
返答すると、ミスティラは目を閉じて祈りを捧げ始めた。
短い間そうした後「いただきます」と呟き、ビスケットを少しずつ食べ始める。
「それ、おかし?」
ジェリーが、ビスケットを指して尋ねた。
「いいえ、主にローカリ教の修行者が口にする保存食ですわ。栄養がありますのよ。わたくしの美貌を更なる天の高みへと押し上げるために欠かせない一品ですわ」
「ねえねえ、ジェリーもたべてみたい。それでもっときれいになりたいな」
ジェリーの無邪気なおねだりに、ミスティラは明らかに苦い顔を作った。
「え、ええっと、ジェリーちゃんは充分可愛らしいのですから、気にしなくていいと思いますわ」
蒼い目を左右に泳がせながら言う。
一人占めしたいのではなく、別の理由があるように見える。
「ダメ? そっかぁ……」
「今食べたら、タルテの美味しいごはんがあまり入らなくなっちゃうぜ。もうちょっと待ってような」
「うん……」
ちょっぴりしょんぼりしているジェリーの頭を撫で、俺達の食べる分の完成を待つ。
既に他の準備は終わっており、あとはタルテの調理だけだ。
今日の目玉は、タルテ特性の肉野菜スープである。
ミスティラと出会うのを想定せず食糧を買ったので、ここらでパパッと使ってしまおうということになったため、具材も大盤振る舞いだ。
こいつの作るスープは本当に絶品なので、掛け値なしに楽しみである。
何でも短い時間で味に深みを出すには、味付けの繊細な配分が重要なんだとか。
ほどなくして、食欲をそそる香りがくっきりと濃く鍋から流れてくる。
これこれ、たまんねえよな。
「そろそろ完成だよな。早く食いてえなー」
「もう少し待ってて。最後にこの隠し味になる実を入れて、かき混ぜて……はい、できたわ」
「よっ、待ってました!」
「ジェリー、すごくおなかすいちゃった」
さあて存分にスープを貪ってやろうかと息巻いていると、アニンがふっと顔を明後日の方に向けた。
「ミスティラ殿、いかがした」
椅子に座っているミスティラが、視線をある一点に注いだまま固まっていた。
先を追うまでもなかった。
「……はっ! 時の流れから身を切り離す幸福にしばし浸っていただけですわ」
意味不明な供述が更に予想を裏付ける。
ミスティラは慌ててグラスの水を飲み干し、給仕役の御者に給水を促す。
……こいつ、すぐ表に出るんだな。
「食いたいなら俺の分を分けてやるぞ。来いよ」
「べ、別にわたくしはそのようなつもりで……決して卑しい気持ちなど……」
などとブツブツ言ってたが、
「……どうしてもと仰るのであれば、試食してあげてもよろしくてよ」
すぐに本音を吐露した。
あまりに典型的だから、俺とアニン、揃って吹いてしまう。
「タルテ、俺の分からだから、いいよな」
「……しょうがないわね」
渋々といった感じだが、タルテは承諾してくれた。
それを耳に入れたミスティラが早速御者に皿を持ってこさせる。
同時に俺達も各自、スープとパンを受け取って、いつでも食べられる態勢を取る。
地面に敷物をして座ってる俺達と、椅子に腰かけているミスティラ。
なんか見下ろされてるみたいだけど、別にいいか。