26話『チョラッキオ、国境付近の町』 その3
退屈が両足の裏にまで浸透してピリピリしっ放しだったが、結局最後まで我慢して並び続ける羽目になった。
受付自体は日没が近付いたからといって列の途中でぶった切ったりせず、現時点で並んでいる分はやってくれたので、無駄にはならずに済んだ。
というか、係の人の苦労がしのばれる。
俺達の番になった時、明らかに疲労が顔に出てたもんな。
で、肝心の手続きだが、つつがなく通過できた。
俺とアニンは一応傭兵組合に加入しているから、その証明札を見せれば問題ない(ワホンからタリアンに移動する時もそうだった)
何より、ジェリーの両親から預かった、花精の試練を受けるために必要な書類が役に立った。
「ああ、リレージュに行かれるんですね。頑張って下さい」
フラセースへ行く理由を係員から尋ねられた時、書類を見せながら説明したら、途端に友好的な雰囲気になった。
試練を受けることと、その護衛を任されるのにどれだけの外部的信用があるのか分からないが、とにかくその恩恵に俺達、特にジェリーとタルテがあずかれた。
「いいのかしら、こんなあっさり済ませてもらって」
「お役所様のお墨付きなんだ。いいに決まってんじゃん。つーか俺ぁクタクタだよ。延々と並ぶのって、戦うより疲れる気がするわ」
空はすっかり橙色に染まっていて、労ってるのかバカにしてるのか、どこからかカラスの鳴き声が聞こえてくる。
「市場見学は明日に持ち越しだな」
「おお、今日は宿取って休もうぜ」
受付所と違って宿はいくつもあったため、部屋に辿り着く頃には真夜中になっていた……なんて悲劇は起こらずに済んだ。
我ながら現金なもので、部屋に着いた途端、疲労より食欲が強く主張し出してくる。
ただ流石に俺一人の都合で振り回すのは悪いから、皆の疲れが抜けるのを待ってから晩メシを食いに移動した。
そして翌日、チョラッキオの北にある国境城塞へ向かう前に、町中央の建物で開かれている市場へと足を運んでみた。
デカさも密度も半端じゃなかった。
円形闘技場と似た建物はどこからでも自由に出入りが可能で、中に入り切らなかった人や物が外にまで溢れている。
「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! テルプで汲んだ聖なる水の瓶詰だよ! 飲めば百薬に勝り、かければ魔物退散! おまけに開封しない限り永遠に保存できるんだ!」
「タリアンの鉱山でしか取れない紅蓮鋼玉を徹底的に鍛えに鍛えて作った魔剣だ! 魚鱗象もスッパスパだぜ! 今なら大特価……」
あっちこっちから飛ぶ売り子の声、人口密度の高さ、息苦しささえ覚える熱気、ゴチャゴチャ乱雑な物の配置……
この懐かしい雰囲気、ファミレを思い出す。
みんな元気にやってるだろうか。
商売だけじゃなく場所取りでも戦場になるのはどこの国も変わらないんだな。
きちんと場所を確保できているのは一部の有力商人と思われる連中ぐらいで、あとは所定の売場空間もクソもないみたいだ。
それでも、この場所にもちゃんと警備兵は配備されていて、絶えず不正に対して目を光らせているようである。
特に問題は起こっておらず、ギリギリの所で秩序が保たれている。
「わぁ、すごいね!」
「あっ、離れたら迷子になっちゃうわよ!」
タルテとジェリーが、がっちりと手を握り合う。
あながち言い過ぎでもない。
不規則にうねる人の奔流はそれほど強い力がある。
「せっかくだし、なんか買ってくか?」
「でも、今は特に必要なものはないし……なるべく節約しておいたほうがいいんじゃないかしら」
うちの財務大臣の財布の紐は相変わらず堅い。
まあ、おかげで俺はほとんど考えずに済んでるし、資金繰りも上手くいってるんだけど。
並んでいる物品はほとんどがフラセースとタリアンのもので、ごく一部他国製も混ざっているのが確認できる。
……と、不意に横を歩いていたアニンが立ち止った。
気になるものを見つけたんだろう。視線がじっと、敷物の上に並べられた売り物へ注がれている。
「タルテ殿。これが欲しいのだが」
そう言ってアニンが指差したのは、ジェリーの手の平にも乗るほど小さな壺だった。
「……何に使うの、それ」
タルテが指摘してきたのは、ひとえに意匠のせいだろう。
目を閉じたカエル、か? 何とも言えない、珍妙というか不気味な顔っぽいものが掘り込まれている。
「心の慰みになるやもしれぬ」
……時々、こいつの美的感覚や価値観が分からない時があるんだよな。
「おっ、お客さん、それに目をつけるとは流石だね! それはフラセースの遺跡で見つけた骨董品だ。今なら安くしとくよ」
俺達のやり取りに目敏く気付いた売主のおっちゃんが、早速売り込みをかけてくる。
「……うーん、まあ、それくらいなら」
アニンが交渉を行って値段を下げると、タルテも納得して、めでたく壺を手に入れることができた。
「感謝する、タルテ殿。心からな」
「そんなにかしこまらなくてもいいわよ」
「よかったね、アニンおねえちゃん」
「ジェリーも、なにか欲しかったら買っていいわよ」
こういう所がタルテらしい。
「ほんと? ありがとう!」
「ユーリは何かない?」
「ああ、俺は別にいいや。食い物がありゃ幸せだからな。それよかお前が買えよ」
「え、わたし?」
「目は口程に物を言う、ってな。このユーリさんの眼力でお見通しだぜ」
「……恥ずかしいわ」
とは言いながらも、すぐさまジェリーと一緒に嬉しそうに品定めを開始した。
最終的にジェリーは黄色い蝶の飾りがついた髪留め、タルテは筆記具を買い、俺達は未だ大混雑している市場を後にした。
もっとじっくり見ていたいのは山々だけど、国境城塞でどれだけ時間を取られるか分からないからな。
市場近くの屋台で牛モツと野菜の煮込み、ジェラートを少し遅めの昼メシとして食べ、町を北に抜けて道なりに歩いていく。
国境城塞は割とすぐに見えてきた。
東西に連なる険しい山の間に築かれている堅固な城塞は、かつて大昔にタリアンとフラセースが戦争してた頃、重要な拠点として何度も奪い合いが起こったらしい。
元々はどっちの国が所有してたんだっけ。……忘れた。
とにかく、今は両国が権利を分け合って管理しているらしい。
"国境城塞"とだけ呼ばれて名前がついていないのも、元の所有国が権利を半分手放して相手と分け合う意志を示すためにそうしたんだそうだ。
城塞は、国境の壁としての機能だけを維持して、後はほったらかしになっていた。
所々壊れたままになっていて、戦争の傷跡を今もまざまざと残している。
理由は費用が勿体無いのと、下手に修繕活動を行うことで戦意があると相手国に誤解されないようにするためだろう。
ま、その辺りの事情や歴史にあんまり興味はないから、さっさとやること済ませて通過して、フラセースへ入るか。
案の定城塞の中には大勢の通行者がいたが、想定よりも大分マシだった。
身分や乗り物の有無などによって複数の道筋が用意されていて、効率的に捌ける仕組みになっていた。
退屈やその他諸々の感情を我慢して並び続け、順番が来たらチョラッキオでもらった通行許可の札を番人に渡し、荷物検査を受ける。
「……よし、通っていいぞ」
「どもっす」
何の支障もなく、俺達はタリアンからの出国に成功する。
問題は、国を分けている物々しい門を抜けて、フラセース側に足を踏み入れた時に起こった。