26話『チョラッキオ、国境付近の町』 その1
久しぶりに夢を見た。
歳を重ねるたび、段々と頻度も減って、記憶からも薄れていってるのに、ここ最近は立て続けに見ている。
あっちの世界で生きていた頃――俺が安食悠里だった時のことを。
正直、あまり嬉しいもんでもない。
いい思い出って奴があんまなかったからな。
大体、信じられるか?
飽食と言われてた日本で飢え死にするなんて。
計算上では1日辺りでも何人も餓死していたらしいが、そんな数字はどうでもいい。
どんだけ運が悪いんだって話だ。
まず親の時点でダメだった。
まともな育児はできねえし、そもそもロクに食わしてももらえなかったし。
そんなだったからか、自分を取り巻く環境を楽園だなんて思えなかった。
助けてくれる人が全くいないでもなかったけど、世界からの疎外感は消えなかった。
どうして周りと自分で、こんな差があるんだろう。
どうして自分ばかりが、こんな目に遭うんだろう。
お腹一杯にごはんを食べたい。
美味しいものを食べたい。
毎日そんなことばかり考えていた。
夢の中でまで寸分違わず再現してたのは、我ながら呆れちまうが。
そして……死ぬ直前に思っていたのは……
「なんでもいいから食べたい」
じゃなくて、
「早く死んで逃げたい」
だった。
俺がこうやって別の世界に生まれ変わったのは、神様がそれを聞き届けてくれたんだろうか。
いるかどうかは知らないが。
ま、今となっちゃどうでもいいけどな。
こっちの世界では家族や仲間に恵まれてるし、しっかりメシも食えてるし。
終わったことよりも、今の人生をもっと充実させなきゃな。
「……おっとっと」
つま先を木の根に引っかけ、危うく転びそうになって、俺の思考は中断させられた。
「なにボーっとしてるのよ。まだ寝ぼけてるの?」
「いや、ちょっと人生について考えてた」
「……熱でもあるの?」
「失敬な。俺にだって真面目な考え事に耽りたい時ぐらいあるわ」
真面目に答えたつもりだったんだが、タルテは大げさに肩をすくめてため息をつきやがった。
これ以上反論しても泥沼なので、早々に諦めることにする。
トラトリアの里を出発した俺達は今、コクスの大森林を北に進んでいる。
別れるはずだったジェリーとまた一緒に、4人で。
一人前の花精になる試練を受けるため、この子の両親に護衛を頼まれたのだ。
「♩~♪♪~」
当の本人はまだ試練の緊張感も何もなく、ご機嫌な様子で少々音程が外れ……いや、唯一無二な歌を歌いながら、タルテと手を繋いで歩いている。
「それは何の歌なのだ」
「トラトリアにむかしからある歌だよ」
アニンに尋ねられると、ジェリーは歌の続きのように抑揚をつけて答えた。
「ふむ。それにしても良い歌声だな。ジェリーはいい歌い手になれるかもしれぬぞ。なあユーリ殿」
「そうだな、ぜんえ……個性があっていいんじゃないか。歌で第一に重要なのはやっぱ個性だからな」
慌てて訂正する。
こっちの世界には前衛音楽なんて存在しないんだった。
つーかアニン、お前本気で言ってるのか?
「えへへ、ほんと?」
「うむ、嘘は言わないぞ」
「俺もな」
個性的なのは嘘じゃない。
「でもね、ジェリー、ほかになりたいなって、ちょっとかんがえてるものがあるんだ」
「そうなの。何になりたいの?」
タルテに聞かれて、ジェリーは少し恥ずかしそうに下を向いた。
が、すぐに顔を上げ直して、俺の方をじっと見る。
なんだなんだ?
「あのね、ジェリーね。おおきくなったら、ユーリおにいちゃんのおよめさんになりたいな、って」
「お? おお、そっか。じゃあ早く大きくなろうな」
「うんっ!」
この無邪気なキラキラした笑顔を見て、誰がすげなくあしらえるだろうか。
少なくとも俺にはできない。
「ちゃんと先のこともかんがえてるよ。リレージュで魔法をおぼえて、もっとおべんきょうしてれんしゅうしてママみたいな花精になって、大きくなったらけっこんして、おにいちゃんの"ひーろー"のおてつだいをして、おにいちゃんが疲れたら、トラトリアかファミレにもどるの。それでね、子どもは2人ほしいな。名まえは……」
随分具体性のある人生設計だな。
と、隣のタルテが何故か苦い、というかやや引きつったようなぎこちない笑顔を作っているのに気付く。
「おやおやタルテ殿、すぐ近くから強力な好敵手が現れたな」
「ど、どういうことよ。なにか勘違いしてない? 別にわたしだっていいと思ってるわよ、微笑ましくて」
「ははは、そういうことにしておこうか」
ふふん、いい気味だ。
さっき俺をすげなくあしらったから、それが跳ね返ってきたんだ。
「ねえおにいちゃん、ゆびわはどうしよっか」
ジェリーがそう言ってきたのは、別にませてるからじゃない。
出発の際、母親のコデコさんからもらった、今この子が紐を通して首にかけている指輪が関係していた。
俺達は、当初の予定より1日遅れて出発することになった。
里の人たちが今度は送別会を開いてくれるというので、そりゃありがたくお受けするしかないだろ?
で、また美味いメシや酒を頂いたり、感傷的な音楽に耳を傾けたり……花精の姉ちゃんたちの誘惑をタルテに物理的に断ち切られたりと、まあ色々あって。
「――では、どうか娘をよろしくお願い致します。こちらは旅費と報酬の前金です」
「確かに受け取りました。任せて下さい」
「それと、こちらを」
出発当日の朝、ナータさんからお金と、剣の柄ほどに縮小した木を受け取った。
生きた葉がついてるし、模型じゃないみたいだが……
「これは?」
「根の部分を地面に埋めればひとりでに伸び、天幕代わりになります。魔物除けの効果もありますので、必ずや旅のお役に立つでしょう」
「ありがとうございます」
手入れは不要で、しかもこの中で休むと体力と魔力の回復、傷の治りまで早まるらしい。
こいつは便利なものをもらってしまった。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「うん……いってきます」
一方、母娘は目に涙を浮かべて抱き合い、別れを惜しんでいた。
「そうそう、お守りを渡すわね。ジェリーにはちょっとぶかぶかになっちゃうから、紐を通して首飾りにしちゃいましょうか。……はい、これをママだと思って、頑張って」
「うんっ、がんばる」
コデコさんの左手薬指から離れた指輪を握りしめて、ジェリーは頷いた。