23話『ジェリーの故郷、トラトリアの里』 その3
中に入った瞬間、とてもいい香りが鼻から全身を駆け抜けていった。
なるほど、これが本場のコクスの木ってやつかと、一発で理解する。
ボエム・リタのとは違って、何ていうか、押しつけがましさがないんだよな。
すっと自然に肺まで入ってきて浄化されるっていうか。
あの時ジェリーが首を傾げていたのも納得だ。
「わぁ、まえとおんなじままだ!」
当の本人は、懐かしそうに我が家を眺め回している。
木で作られた家具や工芸品、玩具、かまど、天蓋付きの大きな寝台、窓際に飾られた花……
ここで家族がどんな日々を過ごしていたのか、容易に想像できた。
そして、娘を失っていた間、残された二人がどんな思いでいたのかも。
「ジェリー、それは?」
「これはね、パパが作ってくれた木彫りの鳥さん」
アニンに話を振られて、嬉々として答えるジェリー。
「ほう、羽根の一枚一枚まで緻密に作られているのだな」
「いえいえ、まだまだ未熟で……お恥ずかしいです」
「ママ。ジェリー、ひさしぶりにママのつくったパイがたべたいな」
「はいはい、作ってあげますから。皆さんはアップルパイ、お嫌いではありませんか?」
「大好物です! いやー、楽しみにしてたんすよ。お母さんの作るパイは絶品だって聞いてましたから」
「この子ったら……お恥ずかしいですわ」
夫婦揃って言うことが似ているな。
よっぽど仲がいいんだろう。微笑ましい気持ちになる。
完成まで時間がかかるため、アップルパイは後の楽しみになり、ひとまず今は普通に食事をごちそうしてもらうことになった。
感動の再会で一時的に忘れちまってたが、まだ昼メシを食ってなかったんだよな。
料理ができあがるのを待っている間はジェリーの話を聞いたり遊び相手になったりして、食事中にこれまでの経緯をかいつまんで両親――ナータさんとコデコさんに説明した。
「……まさか遠く海を隔てたワホンまで連れて行かれていたとは。タリアンやフラセースは探したのですが……見つけられず、こうして一度里に戻ってきた所だったんです」
どうやら時機としてはちょうど良かったらしい。
入れ違いにならずに済んだようだ。
「あの、遠方から娘を連れてきて頂いて、大分費用がかかりましたよね。失礼ですがおいくらほど……」
と、ナータさんが言いにくそうに切り出してきた。
「あ、そこはお気になさらず。全額犯人に負担させましたから。それに娘さんに関係なく、元々旅に出るつもりでしたし」
「ですが……」
「その分、これから娘さんを幸せにするのに使ってあげて下さい。なあ二人とも」
「ええ。わたしからもお願いします」
「うむ」
別に金のためにジェリーを助けたんじゃあないしな。
「……あなた方は、本当に優しい心根をお持ちなのですね」
「そうだよ。おにいちゃんもおねえちゃんも、すっごくやさしいんだよ」
「娘を連れてきて下さった方たちが皆さんで良かったと、改めて思いましたわ」
「いやいや、とんでもないっす」
もう何を言っても好意的に受け取ってくれるんじゃないだろうか、この人たちは。
「ナータさん、ちょっといいかい」
食後にハーブティーを頂きながらのんびりしていると、入口から里の人がぬっと姿を現した。
「どうかしましたか」
「いやね、今さっき皆で話し合ったんだが、今夜は旅の方たちをもてなす会を開こうと思うんだ。ジェリーちゃんを無事に連れ戻してくれた恩人だからな、何もしない訳には行かないだろう」
「いいですね。私たちもお手伝いしますよ」
「そんな訳で勝手に決めてしまったんですが、良かったでしょうか、旅の方」
「そりゃあもう、願ってもないですよ。ありがとうございます」
美味いものが飲み食いできるのは掛け値なしに嬉しい。
一も二もなく了承させてもらう。
しばらくの間、コデコさんとジェリーから色んな思い出話なんかを聞いたりして時間を過ごしていると、再び里の人がやってきて、準備が整った旨を告げられた。
家を出て、池とは逆の森側にある広場に案内される。
元々集会場として使われているんだろう、左右で燃えるかがり火に挟まれた空間には丸太を切って作られた椅子が規則的に配置されていて、奥側には壇も設けられている。
俺達用と思われる、壇上に置かれた3つの椅子と卓は別の場所から運び込まれたようだ。
檀上にも壇下にも、雨天でも使用できるように柱と屋根がついていた。
言うまでもないが、全ては木で作られている。
「随分な歓待だな」
アニンが微かな笑みを浮かべながら呟く。
「ジェリーちゃんの恩人ですからね。さあ、あちらへどうぞ」
里の人々と話すためか、ジェリーとはいったん離れ離れになって、俺達は導かれるがまま壇上に上がって椅子に座る。
すると、早速料理が運ばれてくる。
これまでアリゼイサやプレゴで食べてきたタリアン料理とはまた趣が違っていた。
簡単に言うなら、森の恵みを活かした、わりかし健康的な献立だ。
木の実を混ぜ込んだ握り拳くらいのパン、見るだけで瑞々しさが伝わってくる色鮮やかな野菜、それと豆を使ったサラダやスープ、果物……
「申し訳ありません、我々はあまり肉食をしないもので……肉や魚を召し上がりたかったですよね」
「いえいえ、お構いなく」
本音を言えばそうだけど、文句などあるはずはない。
それに、これはこれで凄い美味そうだ。
加えて、トラトリアでしか取れない果実を使って作ったという酒も振る舞われて、アニンがひどく喜んでいる。
どんな風味なのか俺も興味があるが、その前に念の為確認しておく。
「…………」
席が席だからか、タルテは意味ありげな眼差しをちらっと送っただけで、何も言ってこなかった。
つまり、程々になら飲んでいいってことだな。
「いただきます」
「どうぞどうぞ。……いかがです?」
……甘味が結構強くて、でも口当たりが爽やかで、美味い。
俺の好きな種類だな。いくらでもイケそうだ。
「果物の味がはっきり出てるんですね。凄い美味しいっすよ」
「うむ、素晴らしい。名酒の一つに数えられているだけのことはある」
そういや、知り合って間もない頃、そんなことを話してたっけ。
「おや、タルテさんはお酒が飲めませんでしたか」
杯を手に持ったまま、タルテは戸惑いの表情を浮かべていた。
好奇心と、かつて醜態を晒した恐怖の間で葛藤してるんだろうな。
「ああ、こいつ酔っ払うのを怖がってるんですよ。せっかくだし飲んじゃえよ。別にちょっとくらい羽目外しても大丈夫だって」
多分。
「ちょっと、余計なこと言わないでよ」
「はは、そうだったんですか。ご安心下さい、幻滅したりしませんよ」
タルテは飲む前から、耳まで真っ赤にしていた。
「……せっかくですし、いただきますね」
が、やがておずおずと切り出し、果実酒を一口飲み下す。
「……おいしい! 今まで飲んだ中で一番です!」
「喜んで頂けて良かった」
今までって、通算2回目じゃんか。
だけどまあ、喜んでる所に水を差すのも悪いか。
めちゃくちゃ美味いのは事実だしな。
とまあこんな感じで、みんなで食事と酒を楽しみながら、里の人たちが奏で始めた音楽に耳を傾ける。
腕に抱えられた打楽器へ規則的に打ち付けられる小さな撥が土台の音を築き、その上で竪琴と、弓で弾く弦楽器、小さな縦笛が、渋みとわずかな憂いを含んだ美しい主旋律を担う。
音楽に関しては素人だからよく分からないが、とにかく聴いてて浸れるというか、気持ちよくなれた。
それこそ、時々飲み食いすることさえ忘れてしまうほどに、郷愁の念に駆られてしまう。
二つの故郷――ロロスと、あっちの世界……
ちょうど日も落ちて、かがり火が更に雰囲気を演出しているせいもあるだろう。
途中から曲に合わせて、花精の女の人たちが踊り始める。
言うまでもなく、俺は踊りに関してもド素人なんだが、目が離せない魅力があるのは確かだと断言できる。
お色気要素がなくても、こんなにも惹きつけられるもんなんだな。
花霞の中舞うような、風に揺られる花々のような、まさしく花の化身を思わせる可憐さと幻想性を軽やかに振りまいていた。
タルテやアニンも、手を止めて音楽や踊りに釘付けになっていた。
「ジェリーもおどるー!」
そう言って突如、横からジェリーが乱入してくるまでは。
「いいぞー! 踊れ踊れー!」
「頑張ってー!」
周りからの囃し立てる声に加え、二人も手を叩いたり、声援を送る。
演奏者も踊り手も笑顔で迎え入れていた。
「うんっ、がんばるー!」
肝心の踊りはというと……まあ、頑張ったなと。