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4話『タルテは独り戻っていく』 その1

 変な人。

 彼への第一印象を正直に表すなら、そう言わざるをえない。


 だって何の利益もないどころか、痛い目に遭う可能性だってあるのに、わざわざ堕ちた身分の女を助けてくれたのだから。

 それだけじゃなく、身銭を切ってまでして他人にご飯を食べさせている。

 体目当てなどの下心も見せず、ただ"絶対正義"などという独特の信念に基づいて行っているらしい。

 これを変人と言わず、何と言うのだろう。


 ……でも、それ以上に、彼は善人なんだと思う。

 行為に加えて、あの屈託のない笑い顔が、温かな雰囲気が、時間なんてかけなくてもすぐにわたしに教えてくれた。


 そんな変な善い人に、もっと早く出会いたかった。

 そうすれば、わたしは、きっと救われていたと思うから。




「なにを考えてるのよ……」


 この期に及んで、まだ他力本願か。

 我ながら呆れてしまう。

 これからは独りで命を繋いでいかなければならないのに。


 いや。

 わたしに生きる意味なんてあるのだろうか。

 未来に何があるの?

 血の繋がった両親は死に、半分だけ同じ血の兄と無関係の母には疎まれ、蔑まれ、見捨てられ、わずかなお金と引き換えに醜悪な商人に売り飛ばされ。


 契約書の細かい書式なんて、本当はどうでもよかった。

 両親が死んだ時点で、全ては終わったのだから。


「……ニャア」


 か細い鳴き声が自分を呼んだ気がして、家と家の間、物陰を見てみると、丸まっていた野良猫がいた。

 かわいそうなくらい痩せこけていて、毛も煤けている。


「あそこのお家に行けば、お節介な"ひーろー"さんがご飯を食べさせてくれるわよ」


 先程までお邪魔していた家を指差して教えてあげたけど、無視されちゃった。当然か。

 今のわたしは、あの子よりも価値がない。

 そのうちぷいっと、更に奥へと消えていってしまった。


 そうよね。

 これからはせめて、誰の迷惑にもならないように過ごそう。

 あの猫よりも静かに、心を殺して。

 わたしがわたしを保っていられる間だけは。


 できる。きっとできる。

 わたしには、まだ縋れるものがあるから。

 本当のお母様と過ごした、幸せだった昔の記憶と、さっき少しだけだけど、本音を出せたユーリやアニンさんとの思い出が、わたしの力になってくれる。


「さよなら」


 届いていないだろうけど、最後に二人にお礼を言って、わたしは歩き出した。

 道筋はまだ覚えている。

 とりあえず大食堂の辺りまで行こう。

 そこで待っていれば、向こうの方から見つけてくれるはず。


「おっ? ユーリと一緒にいた姉ちゃんじゃねえか」


 クィンチの一味よりも早く、別の人間に見つかってしまった。

 昼時、食堂にいたおじさんが、笑い顔を作りながらこちらへ近付いてくる。

 どうしよう。ちょっと苦手なんだけど……


「あ、あの、その」

「どうした。大丈夫大丈夫、おじさん、取って食べたりしないから」

「え、ええ……すみません」

「で、姉ちゃん一人でどうしたんだ? ユーリとケンカでもしたのか?」

「いえ、そういうわけではないんですけど」

「ふぅん……まあ、詳しく首突っ込むつもりはねえけどな」


 そこまで話した時だった。


「見つけたぞ! 奴隷女だ!」


 あの嫌な胴間声が、大食堂へと続く道の方からわたしの耳へと飛び込んできた。


「オラァ、どけどけ! 邪魔だ!」


 人を散らしながら、あの手下三人組が、乱雑な足音と共に近付いてくる。


「このアマァ! 手間かけさせやがって!」

「そこ動くんじゃねえぞ!」


 一瞬息が止まった後、心臓がバクバクと急激に動き始める。

 体が竦み上がり、手足の自由が失われる。

 本能に訴えてくる恐怖感というのは、鎖や縄よりも、こんなに人の心身を激しく締め上げるものなのだろうか。

 もちろん、男たちが怖いというのもある。


 でも、それ以上に、あいつらの後ろにいる怪物が恐ろしかった。


 怪物は、今まで感じたことのない不気味さと禍々しさを孕んでいた。

 石像の怪物が、動いている。

 恐怖が、それ以上冷静に考える余地を与えさせてくれない。

 なんであんなものが街中に……


「ビンバーさん、あの女っす!」

「……ほう」


 怪物の、のっぺらぼうの顔に小さな裂け目ができる。

 ざらついた声をしていた。

 知性を持っているということは、魔獣の一種だろうか。


「中々良き気配を放っておるではないか。クィンチの奴、相変わらず目鼻の効くことだ」

「……えっ!?」


 わたしはその時気付いてしまった。男たちの様子がおかしいことに。

 さっきユーリにやられたケガだけじゃない。

 三人の体の一部がそれぞれ、石像のように固められていたのである。


「おい、どうしてくれんだコラァ! てめえとあの野郎のせいで俺らはこんな目に……!」


 片腕を固められた男が、恨みがましい目でわたしに吐き捨てるが、


「黙れ。耳障りだ。腕だけでなく、物を言えぬようにするぞ」

「うっ! す、すいませんビンバーさん!」


 怪物に凄まれると、顔を引きつらせて縮こまる。

 顔の右半分と腹部が石になっている他の二人も同じだ。

 完全に、怪物より格下という構図が出来上がっていた。


「……さて、娘」


 それをバカになんてできなかった。わたしだって例外じゃない。

 魔法が使えないどころか、戦う術さえ持っていない、それ以前に立ち向かう勇気もないのだ。


「我が雇い主・クィンチが呼んでいる。来い」


 はいとも、いいえとも答えられなかった。

 ただ両脚が頼りなく震えるばかり。


 しかしこのビンバーという怪物にとっては、抵抗さえしなければ、わたしの返事などどうでもよかったらしい。


「ついてこい」

「おうおう、ちょっと待てや! 俺の前で人さらいたぁいい度胸じゃねえか!」


 その時、これまで静観していたおじさんが突然割り込んできた。

 腰の短刀を抜き、啖呵を切る。


「何だ貴様は。まだいたのか」

「当たりめえよ! 完全に無視してくれちゃってよお! 黙って行かせると思うのかよ!」

「……イーッシシシシシ! 軟弱な人間如きが、いい度胸をしている。どれ――」


 根拠なんて何もない、完全な直感だった。

 だけど、正しい判断だったという確信はある。


「ま、待って下さい!」


 考えるよりも先に口が動いてしまったものだから、完全に声が上擦ってしまった。

 でも、わたしが何も言わなかったら、このおじさんは……

 あの三人の男たちよりもずっと、悲惨な目にあっていただろう。


「は、早く、行きましょう。わたし、抵抗しませんから……」

「……イシシ、かばったつもりか? 買われた奴隷の癖に見上げたものだ」

「……そういうつもりでは、ありません」


 ただ、これ以上、わたしなんかのために誰かを巻き込んで傷付けたくはない。

 一人で来た意味までなくなってしまう。


「じょ、嬢ちゃん……!」

「ありがとう、おじさま。わたしをかばってくれて。ユーリにも知らせなくて大丈夫ですから。心配しないでください」

「命拾いしたな。娘に感謝するがいい。行くぞ」


 怪物の合図で、三人の男たちがわたしを取り囲んだ。

 男たちは恐怖に怯えながらも、嗜虐心を滲ませた顔でわたしを見ていた。


 不思議なことに、そこまで気にならなかった。

 自暴自棄になったからじゃあない。

 世の中そんなに捨てたものじゃないということが分かってよかった。

 こんな価値のないわたしでも、見てくれる人はいるんだ。


「我は一足先に戻る。貴様らは歩いて帰ってこい。娘、再び逃げ出さぬよう、念の為に担保を頂いておくぞ」


 怪物が言った直後、つるつるの顔に一筋の亀裂が走った。

 中から覗き見えたのは――瞳。

 そう認識したのと同時に、強烈な光がそこから放たれた。


「きゃっ……!」


 眩しさよりも、激しい違和感が勝った。

 脚が重い? ううん、なんだか感覚ごと切り離されたような……


「イーッシシシシシ! それで少しは我好みの姿になったぞ! 見てみるがいい!」


 う、うそ……!?

 両脚が……石になった!?

 あの三人がああなったのも、やっぱりこの怪物の……!


「では行くぞ。イッシッシ」

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