22話『コクスの大森林』 その1
コクスの大森林は、ティパスト川のすぐ近くから始まっている。
徒歩にて道なりに少し進むだけで行けるらしい。
事実、木々がこの川岸からも目視できるほどだ。
渡し守のおっちゃんと別れ、食事を取りがてらしばらくその場で休息を取った後、俺達は歩き出した。
頼むから魔物が出てきたりなんかすんなよ。
流石に今は相手にするのがめんどくさい。
大森林までの距離と反比例して、ジェリーの薄赤色の瞳ががますます明るい輝きを増していく。
疲れもどこかに吹き飛んでいってしまったようだ。
跳ねるように、頭の両側で結んだ長い髪を揺らして軽快に足を進めている。
そりゃ高揚もしちゃうよな。
やっと故郷に帰れるんだから。
……それにしても。
「ずいぶん大きくない? わたしの目の錯覚じゃないわよね」
タルテも気付いていたようだ。
そうなんだよ、段々と近付いてくる木の一本一本が、やたらとデカい。
あっちの世界で言う高層ビルぐらいあるんじゃないか?
もうぼんやりとしか思い出せないが、大都市のビル群を遠くから眺めていた時のような感覚に少し近いかもしれない。
「そうだよ、コクスの木は長生きだからおっきいの。それと精霊さんたちもいるから」
「なるほどなあ」
大森林って名前は伊達じゃないってことか。
土の栄養は足りてるんだろうかなんて思ったりもするが、魔力か何かが満ちてそうだから大丈夫なんだろう。
「そういやツァイにも、めちゃくちゃデカい木があるんだっけか」
「うむ、"ウォイエンの大樹"のことだな。一本しか生えておらぬが、恐らくあの大森林のどの木よりも高く伸びているはずだ」
「実際に行ったことないのか?」
「人里から遠く離れた秘境にあるのでな。辿り着いた人間は世界中を探してもほとんどいないのではないか」
「そんな凄えとこなのかよ」
なんて言ってはみたが、食い物に関係なさそうだから、正直あんまり興味はない。
多分今後も行く用事はなさそうだしな。
……しっかし、改めて間近で見るとでっけえ木だ。
流石に平均した幹の直径はビルほどじゃなく、大人10人前後が手を繋いで輪を作ったくらいだが、それでも圧迫感が凄い。
ただ、植物だからか、息苦しさはなかった。
むしろ空気が綺麗だし、心地良くすらある。
「わぁ、なつかしい! ねえ、早くいこっ?」
「気持ちは分かるけどさ、今日の所は休憩しようぜ」
「えー、つかれてないし、夜でもだいじょうぶだよ。お花や精霊さんが道をおしえてくれるもん」
珍しくジェリーが反発してきた。
いや、むしろこれまでが聞き分けよすぎたぐらいなんだが。
「タルテがもう死にそうなくらい疲れちゃってるみたいなんだよ。若いジェリーと違ってもう歳だからな。休ませてやってくれないかな」
「歳って、あんたと同い年じゃない!」
「はい、捻りのない突っ込みをどうも。だからさ、頼むよ」
ぐぬぬっているタルテを尻目に、再度ジェリーに頼み込む。
「……うん、わかった」
完全には納得していないようだったが、こっくりと首を縦に振ってくれた。
「ありがとな」
という訳で俺達はコクスの大森林に入る前にいったん、その手前にあるボエム・リタという大きな宿屋で一泊することになった。
森に入る連中だけでなく、大森林よりも更に北、フラセース聖国との国境付近にあるチョラッキオという町との中継地点としても利用されているらしい。
そのため宿の中ではおあつらえ向きに、旅用品や食糧などの販売も行っていた。
更には森の中で迷った時のための有料救助申請や、その他保険まで受け付けているようだ。
商魂たくましさに恐れ入るが、仲間に地元人がいる俺達には必要ないだろう。
ちなみに宿泊料も割高だと思った。
「本当にどこもかしこも木ね」
案内された部屋を見渡しながらタルテが言う。
本当に、なんて言葉をつけたのは、
『当宿はコクスの木をふんだんに使っております!』
なんて謳い文句が入口にあったためだ。
建物だけでなく家具も全部木製で、更に部屋に入る際食堂をちらっと覗き見たんだが、食器類までそうなっていた。
素朴さを前面に押し出している印象だが、先に商売っ気の方を感じてしまったせいか、どうも純粋に受け取れない。
「部屋中に良い香りが漂っておるな」
アニンの言う通り部屋中、正確には宿に入った瞬間から、材料となった木材の放つすんとする芳香が空気中に含まれていた。
何となくだけど、心身が解れていくような効果もある気がする。
これは認めてもいいかもな。
「俺もこういう匂いは嫌いじゃないな。……お、どうしたんだ?」
丸太を利用して作られた椅子に座り、少し首を傾げているジェリーに尋ねてみる。
一日待たされる羽目になった不満をまだ引きずっているみたいではなさそうだが、気になった。
「うーん……すこしちがう気がするの」
「違うって?」
「ジェリーのおうちもコクスの木でできてるんだけど、もっといいにおいがするよ」
「え、じゃあこの匂いはインチキってことか」
「ウソじゃないと思うけど……なんだかちがう」
「まあ良いではないか。良い香りがするのは事実なのだから」
「それもそうだな」
「うん、ごめんなさい」
アニンに頭を撫でられ、ジェリーはふっと相好を崩した。
宿賃が割高だとぼやきはしたが、居心地自体は悪くはなかった。
単に大きすぎるからか、客入りが悪いのかは不明だが、広さの割に宿は空いていた。
好意的に捉えるならば、俺達だけで贅沢に空間を利用できたってことにもなる。
風呂なんか俺が入った時は他に誰もいなくて、思わず湯船で泳いじまったくらいだ。
ちなみに風呂場はヒノキ製でいい香りがしたけど、別にコクスならではって感じはしない。
そもそもヒノキならあっちの世界にもあったし。
メシも、アリゼイサやプレゴで食ったのには負けるものの、美味かった。
ちなみに食ったのはミートソースパスタやシーザーサラダなどで、そこまで森に関係した献立でもない。
「おにいちゃんおねえちゃん、早くおきて! 朝だよ!」
翌朝、ジェリーは誰よりも早く目を覚ましていたらしい。
ゆさゆさと体を揺さぶられ、強制的に夢の世界から引きずり下ろされる。
「おいおい、随分早起きだな。まだお日様も出てないじゃんか」
ぼやけた目で見る窓の外はまだ暗く、東の空がわずかに群青色になりかけていた。
「だって、待ちきれなかったんだもん」
まるで遠足当日の子どもみたいだ。
まあ、一日待たせちまってるし仕方ないか。
「はっはっはっ、ジェリーは元気だな」
何でお前は目を覚ました瞬間からそんな普通に行動できるんだよ、アニン。
「ユーリ殿も早く寝台から降りたらどうだ。それとも、生理的反応で起きられぬのか?」
……あながち的外れでもなかったりする。
急かせてくるジェリーをなだめつつ、体が落ち着くまで少し時間を置いてから、食堂で朝メシを食う。
その後、売店で食糧や水石を補給、それと念のために大森林の地図も購入する。
地図にはトラトリアの里や水場などの大まかな目印しか書かれていないが、その分割安だった。
いささか記載が不親切なのは手抜きしてる訳じゃなく、"細かく書こうにも書けない"という売り子からの弁明があった。
「待たせたなジェリー。んじゃ、行くか」
「うんっ!」
太陽が本格的に空を明るく照らし出した頃、ボエム・リタを出て、二つに分かれた道の左側、建物のすぐ奥にそびえて果てしなく広がっているコクスの大森林へと向かう。
ジェリーを故郷に送り届ける旅も、いよいよ大詰めだ。
ちなみに右側は、森を迂回してタリアン北部へ直接行ける道になっている。