3話『アニンが帰宅し、タルテは出ていく』
「ま、ほとんど受け売りみたいなもんだけど。俺が元いた世界……ああいや何でもない」
「?」
ここまでは話さなくてもいいか。胡散臭くなっちまう。
「ただなあ、個人でチマチマやるにも限度があるんだよなあ。別に俺一人の頑張りで全世界を救えるなんてハナっから思っちゃいないけど、やるからにゃ一人でも多く助けてやりたいじゃんか。だから将来的にはもっとデカい規模でやりたいよな。変な話、王様にでもなってドカンとやれりゃいいよなぁぁぁあ……」
つい後半の方があくび混じりになった。
一応腹六~七分目くらいにはしたんだが、眠くなってきちまった。
ちょっと食休みするか。
「悪い、ちょっと寝るわ。タルテも休んどけよ。空いてるベッド使っていいからさ」
「まだ聞きたいことがあるんだけど」
タルテも部屋の奥へとついてきて、ベッド脇に腰を下ろした。
流石に俺だけが寝そべったまま話をするのは行儀がよくないので、少し重たくなった体を動かし、上であぐらをかく態勢を取る。
「あなた、ここで女の人と同居してるのよね」
いきなり、タルテが話題を切り替えてきた。
またその話かよ。
「ああ、最初の時にも説明しただろ」
「……二人、同じベッドで寝てるの?」
俺達のいる側と、もう一つのベッドを交互に指差して言う。
何故にそんなことを尋ねてくるんだ。
「そんな日はあんま無えよ」
「あまり?」
だから、何故に食いついてくる。
「あいつは結構帰ってこないことがあるんだよ。仕事で」
「聞きたいのはそんなことじゃないの」
「ああもう! 何も無えよマジで! 俺とアニンはただベッドで寝てるだけ! クリーン! ホワイト!」
「……そうなんだ」
怒りでも軽蔑でも悲しみでもない、何とも言えない顔でタルテは呟く。
ったく、マジに何だってんだ。
「…………」
「…………」
場の空気がおかしくなりかけた時、まるで図ったように玄関の扉が開いた。
あいつが帰ってきた。
「おや? なんということでしょう! あれだけ散らかっていた部屋がきれいになっているではないか!」
続いてよく響く、すっかり耳慣れた、少し掠れた低めの声。
それは役に立つのかと見る度に思うビキニアーマー。
炎のような赤い髪に、日に焼けた健康的な肌。
すらりと伸びた肢体についた、しなやかな筋肉。
腰に手を当てて扉を背に立っている女戦士、彼女こそが俺の同居人・アニンだ。
「ユーリ殿。戻ったぞ」
「お帰り。早かったな」
「当初の見立てよりも早く仕事の片がついたのでな」
アニンは荷物と得物の剣を床に下ろし、人懐っこい笑みを浮かべながらこちらへ近付いてくる。
翡翠色の瞳はしっかりと、ベッドから飛び上がり突っ立っているタルテを捉えていた。
「そちらの女性は?」
「さっき知り合ったばかりのタルテだ」
「そうか。私はアニン、一介の剣士だ。縁あって現在ユーリ殿と行動を共にしている。よろしく」
「ど、どうも。タルテです」
一介の奴隷です、とはさすがに言わないか。
握手を交わし合うものの、タルテのやや緊張した面持ちは未だ崩れずにいた。
対照的にアニンはやたらとニヤニヤしている。
手を握ったまま俺の方を向いて、
「いやー、ユーリ殿も家へ女子を連れ込む歳になったか! いい所で邪魔をしてすまなかった。しかしこれはとても喜ばしいことだ。今晩は祝杯を上げよう」
「上げなくていい、上げなくていい」
絶対言うと思ってたことを完璧に実現してくれた。
「いやはや、ユーリ殿はもしやそちらの気があるのではないのかと思っていたのだが……何せ私が横で眠っていても、自分からは髪の毛一本触ろうとしないのだからな」
「わーうるせー! 言うな黙ってろ! そりゃアレだ、お前が女らしくしないからだ!」
取り繕うどころか、これが更に墓穴を掘っちまったらしい。
「……女性にそんな言い方をするなんて、最低」
今度は明らかな軽蔑を込めた眼差しでタルテが見てくるし、
「うううっ、私は悲しいぞ……これでも一応女だというのに、まるでそのように扱ってくれないとは」
アニンも面白がって、わざとらしく悲しんでみせる。
知り合って間もないってのに、大した息の合い方じゃないか。
「ところで、この食欲をそそる香りは?」
と、アニンが台所の方を一度ちらりと見た。
「タルテが作ってくれたんだよ。ちょうどいい所に帰ってきたな。美味かったぞ」
「よかったらアニンさんも食べて下さい」
「ほう、それは楽しみだ。心遣い感謝する、タルテ殿」
「いえ」
「堅苦しい、堅苦しいな。もっと馴れ馴れしく話していいのだぞ」
「で、でも」
「言う通りにしてやってくれ。こいつは雑に扱われるのが好きなんだ」
「そうだな、燃えてしまう部分は無きにしもあらずだな。何というかこう、体の芯がカッと……」
「な、何言ってんのよ! やっぱりあんたたちって……」
「ないない、何もない! 勘弁してくれよマジで!」
「うううっ、やはりユーリ殿は私のことを……」
「いやそうなったらまた話が元に戻っちまうだろ」
「――そういえば」
しょうもない三人組漫才でひとしきり笑い合った後、ふとアニンが真顔に戻って言った。
「帰る途中、あの悪名高きクィンチの手下共に遭遇したぞ」
「えっ」
クィンチという名を聞いた途端、タルテが息を詰まらせて一瞬体を震えさせた。
「『逃げた奴隷女を探している』と尋ねられたのだが……」
「それで、何て答えた?」
「『うむ、見たぞ。海へ飛び込んで泳いで逃げていった』と返答しておいた」
「おっ、流石はアニンだな」
「だろう? はっはっは!」
高笑いするアニンとは対照的に、タルテの顔は青白くなっていた。
「おいおい、そんな深刻な顔しなくたっていいぜ。迷惑なことなんて何一つないんだからな。こいつもこういう性格だから、むしろ楽しんでるんだ。あ?」
「そうだぞ。私は楽しいことが大好きだからな、むしろ感謝しているくらいだ」
「いや、流石にそりゃ能天気すぎんだろ」
「人生を楽しむコツは、カラっと明るく生きること。ユーリ殿も普段からよく言っているではないか」
「そりゃま、そうだけどな」
「……おや? いかが致したタルテ殿。楽しくないのか?」
さっきのように、タルテが話に乗っかってくることはなかった。
「…………ごめんなさい。でも、やっぱりわたし、どうしても……」
あーあ、せっかく気にすんなって釘を刺しておいたのに、タルテの奴あっさり抜いちまった。
やっぱ根が真面目ちゃんなんだな。
「あなたたちだけじゃなくて、町の人にも迷惑がかかっちゃうかもしれないから。やっぱり気になっちゃうのよ」
しかもそう言われたら、こっちとしても言葉を慎重に選ばなきゃいけなくなる。
「それに……わたしもね、"ひーろー"とまでは行かなくても、最低限誰かを傷付けないで済むくらいにはなりたいの。せっかく助けてくれたのにごめんなさい。わたし、行ってくる。ちゃんとクィンチと話をしてくる」
「話っつったって相手が相手だ、まともに聞いてもらえねえだろ」
「その通りだ。話を聞いていない以上、まだ詳細な事情は分からぬが、焦ることはない」
アニンも笑みを消し、真剣な顔で言う。
二人で説得をしてみたが、タルテはもう、これ以上は受け付けないとばかりに大きく首を振った。
「これ以上いっしょにいたら、きっと甘えすぎてダメになっちゃうから」
「タルテ殿……」
「アニンさん、よかったら鍋の残り、食べてください。ユーリ、色々親切にしてくれて本当にありがとう。嬉しかった。もし縁があったらまた会いましょう。その時は、別の料理も作ってあげるわ。……さよなら」
「お、おい」
タルテは小さく頭を下げ、ゆったりとした足取りで扉の方へ向かい、最後に俺達二人を一瞥して、出て行ってしまった。
その去り際に見せた、寂しさと不安が色濃く混じりながらも、気高い覚悟の表れた表情が、俺の心の深い部分に強く刻み付けられてしまった。
タルテから俺へと施された、消えない刻印だった。