18話『アニン達はユーリを元気づける』 その4
「答えられた褒美に、もっと良いことをしようか」
「まだこれ以上があんのかよ」
「今ふと思い出したのだが……女子の体を使って洗うと、殿方は喜ぶのだろう?」
「喜ぶけどさあ、流石にそこまで行っちゃまずいだろ」
やんわりと否定しながらも、ユーリ殿が明らかに狼狽し始める。
「私は一向に構わぬぞ。なに、ジェリーもいるゆえ、節度はわきまえるつもりだ」
「なになに? おにいちゃんがうれしいことなら、ジェリーもやる」
「いや、大丈夫、気持ちだけで充分スベスベになったからマジで。おいタルテ、お前も何とか言ってやれ」
「……何か言った? ごめんなさい、聞いてなかったわ。ちょっと集中してたから」
「集中って、お前」
「ねえ、もっと奥まで洗った方がいいわよね。正しい力加減ってどのくらいか、教えてくれないかしら」
「お前まで何言ってんだよ!」
「え……あ、そういえばそうね。でも何か、ちょっとドキドキというか、やらなきゃいけないみたいな変な気分になって……」
まったく、タルテ殿の真面目ぶりには驚かされる。
熱の籠った空気や殿方の裸体にあてられたのかは定かではないが、妙な方向に進むことで、こうにも面白くなるとは。
「はははは、いい加減肚を括られよ。良いではないか、身を委ねて愉しめば。誰も不幸にはならぬのだから」
泡まみれのユーリ殿が、ふうっと一つ大きなため息をついた。
そして、
「もう、我慢しなくてもいいってことだよな」
従来とは明らかに質を異にする"雄"の眼光を、私とタルテ殿に向けてくる。
「む……うむ」
おかしい。
ここまで私が主導権を握っていたはずなのに、その眼で見られただけで手綱がするりと抜け落ち、逆に縄で縛り上げられてしまったかのようだ。
タルテ殿も私と同じ状態になったようで、目を伏せて逸らし、曖昧に小さく頷いていた。
「じゃあやれよ。ほら、気分よくさせてみろ」
……本当の私は、命令され、支配される方に喜びを見出してしまう性なのかもしれない。
ユーリ殿の低音によって魅了の魔法をかけられてしまったかのように、体がゆらゆらと誘引されていく。
「ジェリーもやる」
「気持ちだけもらっとくよ。先に湯船に入ってな」
「むー」
「ジェリーは一番多く洗ってくれただろ? お姉ちゃん二人がその分、頑張りたいんだってさ」
「うん、わかった。じゃあお湯入ってるね」
決して分別を忘れない所も魅力的だ。
また、ジェリーを遠ざけたということは、つまり"大人"の振る舞いをしても異存ないということであろうな。
図らずも、タルテ殿と二人、顔を見合わせてしまう。
赤面、首肯。
良い覚悟だ。
ならば――参るか。
マントを取り去るように、身に纏うタオルを捨てようとした時、ガラリと扉の開く音がした。
さしもの私も意表を突かれ、動きを止めてしまう。
「私の~、素敵~な軽業は~♪ ワッワオ~♪ 誰も彼も目を止めて~♪ 拍手喝采ダンダンドンデン~♪ ワワワ~♪」
調子外れな歌を歌いながら、湯気の向こうから闖入者が体を左右に揺らして近付いてくる。
この声は……シィス殿?
今は貸切状態のはずなのに、何故この場へ足を踏み入れている?
「ドゥルドゥルドゥルドゥル……世界が廻るよあの子も廻るよ胎児も跳ぶよ~♪ ダンダンドンデン♪」
シィス殿は我々の存在に全く気付いていないようだ。
流石にタオルを巻いてはいるものの、初めて見るほどのご機嫌ぶりで、完全に自分の世界へと没入している。
「はいっ、あなたもご一緒に……」
泡が弾けるように、かけられた魔法は一瞬の内に解けてしまっていた。
我々はただただ茫然と、シィス殿の独唱を観察していた。
「あっ、シィスおねえちゃん」
ただ一人、ジェリーを除いて。
「……に?」
浴場だというのに、場が一瞬凍り付いた。
シィス殿は手足や首、腰を軽く曲げたまま、私とタルテ殿はタオルに手をやったまま、そしてユーリ殿はやや前傾姿勢になって座ったまま。
数拍の間を空けた後、最初に行動したのはシィス殿だった。
「……えっと、ジェリーちゃん?」
「うん」
「聴いちゃい、ました?」
「うん」
「~~~~ッッ!!」
声にならない悲鳴を上げ、シィス殿が大袈裟な動きで頭を抱える。
眼鏡が曇っていたため、表情の全てを知ることはできなかったが、さぞかし歪み切っているのだろう。
「だいじょうぶだよ、おもしろい歌だったから」
いやジェリー、それは慰めになっていないぞ。
「あううう……優しい子ですね。あの、もしや他にも入浴されている方が……?」
「うん、いるよ。おねえちゃんたちが」
察したのかどうか定かではないが、ジェリーはユーリ殿の存在を口にしなかった。
ユーリ殿もまた心得たもので、既に気配を消しており、息を潜めていた。
「うごっ! ま、ますます恥の上塗りを……あ、あの、醜い歌を聞かせてしまって大変申し訳ありませんでした。いつも誰もいない時間帯に入浴するようにしているのですが、まさか今日は皆さんも遅くに入っていたとはこの愚かな頭では考えもできなかったのでつい」
「う、うむ、気にすることはないぞ」
一応慰謝してみたものの、シィス殿の自己嫌悪は一向に薄れる様子なく、まるで生気が抜けてしまったかのようだ。
そのままふらふらと危なっかしい、不格好な踊りのような足取りを刻む。
右か左か、前か後ろか、行く先がさっぱり分からぬ。
「あ」
そのため、「危ない」と忠告できなかった。
「え、えっ?」
シィス殿が、床に置いたままだった石鹸を踏んだ。
それが見事に足を掬う形になり、蹴り上げるように足を、体を浮かせる。
常人ならばそのまま尻餅をついて終わりだったろうに、彼女の場合は身体能力の高さが逆に災いしたのだろう、何かに掴まろうと咄嗟に右手を伸ばしたのはいいが、対象がまずかった。
「え?」
何という偶然か、タルテ殿がたまたまシィス殿のすぐ近くに立っていたのである。
距離もまた絶妙で、手が届くか届かないかの所だった。
シィス殿の指が、タルテ殿の体に巻かれていたタオルの裾を掴み……勢いに任せて思い切り引っ張ってしまったのだ。
鈍い音が、最悪の結果を招いたことを告げる合図だった。
シィス殿は尻や背中をしたたかに打ち、タルテ殿は生まれたままの姿を晒す形となってしまった。
ちなみにタルテ殿の全てを目にしたのはこの時が初めてだったが……美しいではないか。
「おおう」
ユーリ殿が感嘆の声を漏らす。
彼の視線は完全に、ひっくり返ったシィス殿にではなく、タルテ殿に釘付けになっていた。
タルテ殿がそれを受け入れたのかというと、決してそんなことはないようだ。
表情が見る見るうちに驚愕から羞恥、そして怒りへと変化していく。
「……み、見ないでぇぇぇぇぇっ!!」
蹲りながら放たれた、耳をつんざくタルテ殿の悲鳴が、浴場をビリビリと揺るがす。
「あ、後で覚えてなさいよ!」
「おい、俺は何も悪くねえだろ。不可抗力じゃねえか」
「うるさいっ! バカっ!」
「つーかさっきまであんな雰囲気になってたってのに、今更恥ずかしがるこたねえだろ」
「言い訳するな! バカ! アホ! スケベ! 変態!」
この反応、昨夜は深い所まで進展しなかったのだろうと推察できてしまい、個人的には少々失望してしまう。
と、シィス殿がひょっこりと起き上がり、
「わ、わわわわわわわ! も、申し訳ございませんん! 何かに掴まろうとしたらつい! あまつさえユーリさんとの蜜月な混浴まで邪魔してしまうとは! 私は、私はとんだ屑虫ですううう! 私如きが身の安全を図ろうとしたこと自体がおこがましき行為、間違いでしたあああ!」
ぬかずいて謝罪と自己卑下を叫び始めた。
まずは手にしたままのタオルを渡してやれば良いのに。
もっとも、知りながら状況を黙殺している私も同罪か。
仕方あるまい、面白いのだから。
そんな私の期待に応えた訳ではないだろうが、シィス殿が更なる異様な行為に打って出た。
「かくなる上は私も……! 粗末なモノですが、これで贖罪とさせて下さい!」
言うや否やすっと立ち上がり、おもむろに己のタオルをむしり取って全身を晒した。
粗末というか、平坦な胴体ではあったが、手足はすらりと長く、肉はきゅっと締まり、均整が取れている。
殿方を魅了するには充分ではないだろうか。
「うおっ、お前、何やってんだ!」
「いいんです! どうぞ穴の開くほどご覧下さい! お望みなら全て開示します!」
「すんな!」
「でしたらどうぞお好きな所を触って下さい! そうでないと申し訳が立ちません!」
「いや立つから、って何言ってんだ俺。とにかく……」
「出てって! 目をつぶって、何も見ないで触らないでここから出てって! 変態男!」
「お前、もう最初の目的忘れてんだろ」
騒々しい口論は混迷を極め、全く止む気配がない。
ジェリーの方を見てみると、きょとんとしていた。無理もない。
「ジェリーもとったほうがいい?」
目が合うと、戸惑いがちな声で聞かれる。
「いやいや、そこまでせずとも大丈夫だ。あまり気にせず、もっと温まっているといい。私も入るとしよう」
私もタオルを取って湯船に入り、ジェリーの肩を抱いて向きをユーリ殿達から逆に入れ替えてやる。
せめて醜態を映さないようにした方が、互いのためにも良かろう。
それにしても……結局こうなってしまうのか。
まあ、しばらくはこんな関係でも悪くはないか。
楽しいからな。