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17話『タルテ、お返しをする』 その1

 雨はもう止んだ。

 雲もまばらにしかない青々とした空、そして眩しい太陽。


 普段なら気持ちいいと感じるはずの天気が、今は鬱陶しくてしょうがなかった。

 むしろ足の裏に粘りつく泥の方が心地いいとさえ思ってしまう。


 胸の違和感はもうない、というより麻痺しているのか。

 覆っているのはただ、疲れたという感覚のみ。

 できることなら、今すぐにでも倒れて眠ってしまいたかった。


 いや、ダメだ。

 帰らねえと。

 帰って、ちゃんと報告しねえと。

 ほら、村まであと少しだ。


「ユーリ」


 裏山を下りて村に着くなり、タルテが出迎えてくれた。

 ご丁寧なことに、手拭いだの何だのといった道具を手に持って。


「その、お疲れさま。ケガはしてない? 大丈夫?」

「ああ、心配ねえ。無傷だ」

「よかった……でも泥だらけね。あの天気だったから仕方ないけれど。ほら、拭いてあげるから」

「いいよ、自分でやる。色んな臭いがついてるかもしんねえし」

「何も臭わないわよ。いいからじっとしてて」


 強制的に濡れた手拭いが頬にそっと押し付けられて、撫でるように滑る。

 奥の穢れまでは払えていないが、冷えた感触がとても気持ちいい。


「ジェリーは?」

「もう起きてるわ。アニンといっしょにいる。どうかしたの?」

「……アルからさ、伝言を頼まれたんだ。"優しい言葉をありがとう"ってな。……でも、俺から伝えていいもんなのかな」

「伝えたらいいじゃない。あの子は強くて賢いから、ちゃんと分かってる。きっとあんたを恨んだりなんかしないわよ」


 だろうな。そういう子だもんな。

 ……と、村長の家の戸が、ガラガラと開かれる。


「おお、戦士様」


 出てきたのはサカツだった。


「二人きりの所を邪魔してすまない」

「余計な気を回すんじゃねえ」


 サカツは俺とタルテを交互に見て、肩をすくめた。

 俺だけでなくタルテの方も見たのは、彼女も奴に敵意のこもった目を向けていたからだ。


「よく戻られた。奴らを仕留めたと解釈していいのかな」

「ああ、洞穴の脇で眠ってる。疑うんなら見てこいよ。道を覚えてりゃの話だけどな」

「心配は無用だ。そうしよう。悪いが確認が済むまでは村で待っていてもらおうか」

「へいへい。……あ、そうだ。サカツさんよ」

「なんだ……うぐっ!」

「ユーリっ!?」

「あん時の借りをまだ返してなかったよな。利子付きで受け取ってくれよ。俺さ、結構こういう貸し借りをキッチリしねえと気が済まねえ性質なんだ」

「っげ……! がっ……!」


 今更殴ってどうなる訳でもない。

 せいぜい俺のイラつきが少しばかり発散できるだけだ。

 そうだと分かってても、殴打を重ねずにはいられなかった。


「アルたちと違って、殺されかけても赦せるほど人間できちゃいねえんだよ。恨もうが追っかけてこようが勝手だけどな、今度同じような真似したら、この程度じゃ済まさねえぞ」


 未だ鎮まり切らない怒気の残滓を言葉にしてぶっかけてやると、サカツは泡を食って起き上がり、裏山へ走っていった。


「……悪い、驚かせた」


 タルテはわずかに微笑んだまま首を振り、泥拭いを再開してくれた。

 最低限格好がつく程度にまできれいにしてもらった後、村長の家に入る。

 中にはアニンやジェリーたちが、幾分の緊張感を保っていたものの、特に険悪になっていることもなく過ごしていた。


「ユーリ殿、よく戻った」

「何もなかったか?」

「うむ、大事ない」


 とりあえずは一安心だ。

 続いてジェリーにアルからの言葉を伝えると、


「だいじょうぶだよ。ジェリー、おにいちゃんは悪くないって、わかってるから」


 まさしく予想した通りの反応をされた。

 悲しさをこらえているのが丸分かりだ。

 だが、俺には慰める資格がないだろう。

 タルテに、頼むと一声かけて、相変わらず囲炉裏の前に座している村長の所へ行く。


「ご苦労であった」


 掠れた声でそれだけ短く告げられ、黙られる。

 用済みだから早く出て行けと、無言の圧力をかけてきているのは分かっているが、はいそうですかと素直に出てなんかやらねえ。


「今、サカツが確認に行ってるんすよ。家で待ってろって言われたんでね」


 サカツの真似をして、抑揚をつけて言ってやったんだが、誰も反応しなかった。


「……あの、ありがとうございました。おかげさまで、命を失わずに済みました」

「私も感謝しています。これで娘も私も浮かばれますじゃ」


 でも、村長の孫娘やばあちゃんから、少々ばつが悪そうに礼を言われる。

 何か俺の嫌な奴ぶりが際立っちまうじゃねえか。

 それを狙ってたんだとしたら大したもんだが、素直に受け取っとくか。


「ずっと働き通しでお腹が空いてるじゃろ。おあがり」


 ばあちゃんからお粥を出されると、やっぱ純粋な気持ちからだろうと思ってしまう。

 つくづく単純だな、俺って奴は。


 食欲は全然なかったんだが、お粥は温かく、優しく、内側から満たして慈しんでくれた。




 お粥を全て胃に流し込み、食後のお茶を飲み干しそうになった頃、サカツが戻ってきた。

 もう俺とは目さえ合わせようとせず、村長に事の次第を報告し始める。


「村長、ヤマモの死体を確認しました」

「ご苦労。……では、これが残りの報酬じゃ」


 懐から取り出して投げ渡された袋を開け、金額を確認する。

 金の方に誤魔化しはなかった。


「……よし。んじゃ行くか。三人とも準備できてるか」

「少し休んでいっては……」

「いや、急いでますんで。それと、早く別れた方がお互いのためにいいでしょ」


 お孫さんたちには悪いが、一刻も早くこの場所から離れたかった。

 これ以上関わりたくはない。


 挨拶も見送りもなかったが、馬だけはちゃんと用意してあった。

 固い表情のままアニンとジェリーが、そしてタルテが跨り、最後に俺が乗る。


 もしかしたら何か仕掛けてくるかもと一応警戒していたが、手出しはなかった。

 村への滞在時間は正味一日にも満たなかったが、その何倍、十数倍も長くいたように感じる。

 決していい意味でじゃない。

 もちろん実際に入ったことはないが、投獄に等しい息苦しさを伴う滞在だった。


 分かってたけど、村を出ても、何ら気が晴れはしない。


「ユーリ殿」


 振り返っても見えないほどに村が遠ざかった時、アニンが切り出してきた。


「出立早々すまぬが、休憩させてくれ。ちと尿意が限界に近付いてきてしまってな」

「あ? ああ、分かった。どうぞ」

「尿意って……」


 呆れたように言うタルテをよそに、アニンはするりと下馬し、茂みの向こうへと消えていく。


 …………。


「待たせたな」

「ずいぶん遅かったな」

「すまぬすまぬ、つい大……」

「ちょっと! なに言おうとしてんのよ!」

「おっと、失言失言。というかユーリ殿、タルテ殿にだけ突っ込みを入れさせてどうする」

「……あ、悪い。アニン、たっぷり草木に栄養をやってきたか?」

「下品っ!」


 いつもだったら引っ叩いてくるのに、この時のタルテは言葉だけだった。


 …………。


「あの、ユーリおにいちゃん」


 更にしばらく進み、広い野原に差しかかると、今度はジェリーが話しかけてきた。


「ん? どうした?」

「ジェリー、ちょっとおひるねしたい。ごめんね」

「お、そうか。夕べはゆっくりできなかっただろうからな。少し休むか」


 おまけに出発もバタバタと急がせちまったからな。

 今度は俺達全員で下馬し、馬を手頃な木に繋ぎ、本格的な休憩の準備をする。


 何度も足を止めようとする理由に気付かないほど鈍感じゃない。

 アニンもジェリーも、俺を休ませようと、気を遣ってくれてるんだろう。

 その気持ちはとてもありがたかった。


 ただ、ジェリーが疲れていたのは本当だったようだ。

 タルテの膝の上に頭を乗せ、目を閉じたと思ったら、すぐに寝息を立て始めた。


「ユーリも少し眠ったら?」

「そうするわ」

「私が膝枕を提供するぞ」

「俺、枕は柔らか派なんだ」

「おや、ファミレで同居していた時は、固い方が好みだと言っていた記憶があるのだが」

「気が変わったんだよ」


 大包丁を背中から手元に移し、木に背中を預けてもたれかかり、目を閉じる。

 アニンもそれ以上絡んでくる気はないらしく、聞こえてくるのはそよ風が草木を揺らす音ばかりになる。

 空気は冷たくも暖かくもなく、体は疲労している。


 なのに、どうしても眠れなかった。

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