16話『ユーリとヤマモ、自然の掟に従う』 その3
もう、我慢の限界だ。
いくら人間じゃないといっても、一方的ないわれなき罵倒を黙って見過ごせない。
やめろ、と叫ぼうとした直前、
「まって!」
家からジェリーが飛び出てきた。
雨も泥も気にせずに走り、サカツとアルの間に立って、
「この鬼さん、ウソは言ってないよ。悪い鬼さんじゃないよ!」
雨にも負けない大声を張り上げた。
「ジェリー、分かるのか」
「うん、わかるの。だからやめて! ちゃんと話をきいてあげて!」
「証拠があるのかな、お嬢さん。ここに来たばかり、しかも初めて鬼どもと対面したはずなのに、どうしてそう断言できるのかな?」
「それは……」
「ジェリー、いいよ。ありがとな」
言葉に詰まるジェリーの肩を抱き、家の方に戻してやる。
「おにいちゃん……」
「大丈夫、ジェリーの優しさはちゃんとアルたちに伝わってるから。ほら、中にいな。風邪引いちゃうぜ」
「キエエエエエッ!」
その時、奇声と共に、アルに向かって農作業で使う鎌が投げつけられた。
命中はせず、木の枝に当たって跳ね返り、草の上に落ちる。
「よくも……よくも……娘の仇じゃ、この鬼め……」
声を上げて投げつけたのは、俺達に晩メシを作ってくれたばあちゃんだった。
目を吊り上げた恨みのこもった形相で呪いの言葉を吐き続けるその顔には、あの時の優しさなどどこにも感じられない。
見るのが辛くなるくらいの変貌だった。
「戦士様、何をしているのです! 今の力無き老婆の叫びを見て、聞いたでしょう! さあ早く、この悪鬼どもを成敗し、我々の恨みを晴らして下さい!」
この時を待っていた、といわんばかりに、サカツが更に焚き付けてくる。
「戦士様ぁ! お願いします!」
「父ちゃんのかたきを取ってよ!」
「もらったお金の分、働いて下さいよ!」
「そうだそうだ!」
「殺せ! 殺せ!」
村の人達も、口々に喚き立てる。
サカツにはともかく、この人達に対しては、黙ってろとか勝手なことを言うなとは返せなかった。
この人達の大切な存在がアルたちに食われたのもまた、事実だろうから。
それに、こういう状況になったのは俺の責任でもある。
グダグダ迷ったりなんかせず、最初に洞穴へ行った時点でさっさと仕留めていれば……
そう考えると、サカツの奴を一方的に恨むのも何だか違う気がしてくる。
「どうやら、これ以上契約を交わし続けること自体が難しそうですね。あなた方の怨恨が、既に限界まで膨れ上がっていたとは……」
口を開いたのは、アルだった。
「致し方ありません。いいね、アン、サガ」
「私はどこまでもあなたに従います」
「ボクも……」
「ありがとう。……あなた方に尋ねます。かねてより続けていた"交換"の契約ですが、もうこれ以上は続けたくないとお考えですか?」
「ふん、だから"交換"という捉え方が間違いなのだ。貴様らからの搾取に等しい行為ではないか」
「我々は獣肉や木の実などを差し出しておりましたが」
「人の命とでは釣り合いにならん!」
「あなたは動物たちの命より自分たちの命の方が尊いと、そう思っていらっしゃる。そう解釈してよろしいですか」
「下らんことを聞くな。当たり前だ。貴様とて我が子の命惜しさに今この場にいるのだろう」
「その通りです。なので、あなた方の価値観を否定するつもりはありませんし、正しいとさえ思います。我々は神ではない以上、平等に見ることなどできないのですから」
アルの何気なく言った一言が、俺の胸に深く突き刺さった。
ずっと抱えていた迷いを射抜き、致命傷を与える一矢となって。
……そうだよな。
神様になんか、なれないよな。
全てを救うことなんかできないし、平等になんか見られない。
今さっきの出来事だってそうだ。
病気のサガよりも、アルたちを憎むばあちゃんの方に、俺は強く同情しちまった。
やっぱり俺は人間でしかないんだな。
生まれ変わって、ちょっと特別な力をもらったからって、俺は調子に乗ってたんだろう。
そのくせ、どっちつかずでウダウダと迷っちまった。
アルはおろか、サカツですら、立場をはっきりさせてたってのに。
みっともねえな、俺。
だからって、ここで簡単に折れたりはしねえし、絶対正義のヒーローを目指す志を捨てたりもしねえ。
初心に帰らされた気分だ。
「もう一度尋ねます」
俺の自省をよそに、アルとサカツの話はまだ続いていた。
「我々の"交換"、いや、あなたのおっしゃる通り"搾取"でも何でもいいでしょう。あなた方は破棄したいですか?」
「愚問だな、答えるまでもない。何故なら、そこにいる戦士様が、この場で貴様らを討つからだ。そうでしょう、戦士様?」
仰々しい口振りでサカツから話を振られても、さっき感じてたほどの怒りは湧いてこなかった。
「待てよ、その前に聞かせてくれ。アルたちはそいつの今の返事について、どう答えるつもりなんだ?」
「そ、それは関係……」
「大ありなんだよ、黙ってろ」
サカツのすぐ目の前をレッドブルームで発火させてやったら、あっさりと口を塞げた。
「聞かせてくれ、アル。あんたの考えを」
「もし破棄するというのであれば、不定期に、必要な時に必要な量を取って喰らいます。契約が存在しない以上、節食する理由はありませんから。ですがもちろん暴食はしませんし、まず眠らせて苦痛を除去するという手順は遵守します」
「だってよ」
「く、下らん、だからどうしたというのだ」
「だからさ、理解できなくてもいいから、相手にこういう言い分があるってことぐらいは知っといてやれよ。身内を差し出すしかなかった人たちもだ。アルたちを許してやれってことじゃなくて、別に恨んでも構わねえからさ」
「上手く言い逃れして、戦わずに済ませるつもりか。こちらは前金を既に払っているのだぞ」
「心配しなくても、引き受けた分の仕事はやってやるよ」
「おにいちゃん……!?」
泣きそうな顔をしているジェリーには、頷いてやることしかできなかった。
ごめんな。
「……アル、いや、人食い鬼・ヤマモ。この俺、ユーリ=ウォーニーが、お前たちを殺す。悪く思うな、とは言わねえ」
「ユーリさん……」
「やっぱり俺も人間だから、人間の立場でしか物を見られないみたいだ。これ以上人を喰わせる訳にはいかねえ」
「……そうですか」
「勝った側が全てを手に入れる、それでいいな。だからお前が勝ったら俺を殺せ。覚悟を決めろ」
俺も、覚悟をしたから。
「弱肉強食、自然の掟、という訳ですか。分かりました、お受けしましょう」
「……よし」
「ユーリさん。一つだけ頼みがあります。もし私が敗れた時は、死体を埋めて下さらないでしょうか。この山であれば、場所はどこでも結構です」
「分かった、約束するぜ」
偽善かもしれないけど、せめてしっかりやってやらなきゃな。
「人間で言う所の哀悼を期待して頼んでいるのではありません」
「どういうことだ」
「我々が山に留まらねばならない"掟"のことを覚えていらっしゃるでしょうか。昔からの盟約により、この山と我々ヤマモ族は魂が結び付いているのです。我々の魂がこの地を離れてしまえば、草木は朽ち、土や水が牙を剥いて人や獣に襲いかかるでしょう。それは我々の望むところではありません」
そんな理由があったのか。
村の人間も初耳のようだった。明らかに動揺している。
「では、早速始めますか?」
「いや、場所を変えようぜ。そうだな、祭壇のとこにすっか」
「分かりました」
「よし。……悪いけど、もうちょっとだけ待っててくれ」
まずはサカツの所へ行き、
「望み通り仕事をしてやる。俺が戻ってくるまで、あんたを含めて誰も近付けさせんな。今度は一切余計な手出しすんなよ」
きっちり釘を刺しておく。
「いいだろう。君が奴を仕留めてくれるならば、それが一番だ」
「それと、連れにも変な真似すんなよ」
「分かっている。君を敵には回したくはないと、心から思っているのでな」
爆弾や含み針の罠を切り抜けた上で脅しをかけてやったからか、薄ら笑いは消えていたが、信用できねえ。
――アニン、改めてタルテとジェリーを頼む。
――承知した。武運を、ユーリ殿。
これでよし。
万が一のことがあっても、アニンなら切り抜けてくれるだろう。
「待たせたな、行くか」
雨の降りしきる中、俺はまた一人、いや、今度はアル・アン・サガと一緒に、裏山を上り始めた。
戻ってこられるとしたら、それは完全に決着がついた時だ。
「ユーリさん。私の名を尋ね、話をまともに聞いてくれた人間は、あなたが初めてです。ありがとうございます」
アルの感謝の言葉を、俺は無表情で受け流すことしかできなかった。