2話『ユーリとタルテは鍋をつつく』 その2
俺が今現在寝泊まりしている家は、孤児院からそう遠くない所、ファミレ南西部に広がる住宅地の隅っこにある。
家賃が安いってだけで選んだ、庭もない一階建てのボロ屋だが、外出の多い生活だし不都合もない。
ちゃんと寝泊まりできてメシが食えるのだから充分だ。
もっと酷い環境で暮らしていた経験を思えば、楽園にも思えてくる。
「悪ぃな、立派なお屋敷じゃなくてよ」
「どうしてそんなこと言うの? いい家じゃない」
タルテも特に不満はないようだ。
ドアには鍵がかかっていた。
どうやら同居人はまだ帰ってきてないらしい。
横着したいが、ちゃんと開錠した方がいいだろう。タルテが驚いちまうからな。
「ほれ、入って、どうぞ」
「お邪魔しま……」
我が家に一歩足を踏み入れるなり、タルテの顔が硬直した。
「……何これ」
「何これって、部屋だろ。狭いながらも楽しい我が家だ」
「そんなの分かるわよ! 汚いどころの話じゃあないわよこれ! 泥棒が入ってもここまで荒れないわ!」
「そうかあ?」
まあ、言われてみれば、あまり掃除をした記憶はないが。
「でもほら、食卓と台所はキレイだろ? 物事を見る時はいい所を見た方がいいんだぜ。幸福に生きるコツってやつだ」
「言い訳しない! ほら、始めるわよ!」
「ん、そうだな。早速メシの準備をするか」
「掃除ッ!」
今さっき「悪くない」って言ったのはウソだったのか?
聞き直すヒマもなく、結局俺は掃除をさせられるハメになったのだった。
散らかっていた(とは特に思っていなかったのだが、タルテ的にはそう見えるらしい)荷物をまとめ、俺の方の不要物を処分させたことで、とりあえずタルテは満足したようだ。
日がほんの少し傾きかけてきた頃、昼、と言うには遅すぎる食事の"準備"が始まった。
「お礼代わりに、支度はわたしがやるわ」
「お、そうか。頼む」
正直これ以上はあまり動きたくなかったので、この申し出はありがたい。
「食材も道具も自由に使っていいぞ。何なら全部使っちゃってもいいや。火石も水石も(魔力を帯びた石。専用の器具で衝撃を加えると発火したり水が湧いたりする)好きなように使ってくれていいからな」
「分かったわ。……あら、結構色々あるのね。ユーリは何が食べたい?」
「タルテが得意で、早く食える料理。ちなみに俺、好き嫌いはないから」
「任せて」
タルテは唇に力を入れて少しだけ笑い、台所へ立った。
俺は椅子に座って、タルテの動きを背中越しに眺めてみる。
「へえ、手慣れたもんだな」
包丁を巧みに操って瞬く間に野菜や肉を切り分け、魚を捌いていく。
「これくらい誰でもできるわよ。人切り包丁のユーリさん」
「それを言うなよ」
タルテは満更でもないようだ。振り返らずとも、声で分かる。
ちなみにこっちの世界にも冷蔵庫と同じような機能を持った箱があり、各家庭でも食材の保存ができるようになっている。
もちろん電気が通っている訳じゃない。
しかし代わりに魔力を帯びた石があり、それを利用して燃料や動力、保冷などの機能を確保できるようになっているのだ。
「鍋か。いいねえ」
「早く食べたいなら、これがいいと思って」
タルテが火石で火をかけ、中の水が沸騰した大鍋に切った具材の一部を放り、しばらく経つと、部屋に食欲を誘ういい匂いが充満し始める。
俺の体が、一層激しく腹を鳴らして摂食を要求してくる。
「あつつ……うん、いい感じ」
タルテはダシを確認し、満足げに呟く。
あ、ついでに野菜をつまみ食いしやがったな。まあいいけど。
「そろそろいいだろ。もう待ち切れねえよ」
「そうね、頃合いかしら」
「タルテは箸、使えるか?」
「ええ、わたしもワホン出身だから」
ちなみにこのファミレ、そしてこの世界での俺の故郷もワホン国内にある。
つまり俺らは同じ国民ってことだ。
前の世界みたく、国によって人種の違いが明確な訳じゃないから、あまり同族意識みたいなものはないんだが。
箸を使う習慣がある国は少ないらしいから、念の為に聞いておいたのだ。
タルテが鍋を卓上へ移動させている最中、俺は取り皿や箸を出す。
ついでに酒も出そうとしたが(こっちの世界は二十歳未満が飲んでもいいことになっている)タルテが「わたしはいいわ」と拒否したため、俺も控えることにした。一人で飲んでもつまらないしな。
「んんん、いい匂いだな。もう我慢できねえよ。食べていいだろ。いただきます」
「いただきます」
タルテがよそってくれた取り皿を受け取り、まずはプリプリの鶏肉を摘んで口に放る。
熱が口内の粘膜を灼きながらも、同時に濃厚な肉汁が染み込み、幸福感をもたらしていく。
「あつつ…………でも……んんんぅめえ! いい味出てるな。やるじゃんか」
この美味さ、決して空腹だけが理由ではない。
賞賛に対して、タルテは何も反応しなかった。
やはり相当空腹だったのだろう、頭上からも湯気を出すような勢いで、食事のみに全神経を集中させている。
箸を動かすペースは早かったが、下品さはない。
むしろ凄くきれいな食べ方だ。
汁をこぼしたり、口周りを汚さないのはおろか、魚の骨もきちんときれいに取り除いている。
好感が持てる振る舞いだった。夢中で何よりだ。
俺の方もついつい食うことに集中しちまったせいもあり、食事が終了するまでの間、俺達は終始無言だった。
鍋の中身はまだまだたくさん残っていた。
作った量が多かったこと、タルテが思っていたよりもだいぶ小食だったこと、一応俺も満腹になる訳にはいかないこと、この三点が、鍋が空にならなかった理由である。
「ごちそうさま」
「もういいのか」
「ええ」
取り出したハンカチでお上品に口元を拭いた後、タルテは短く答える。
とりあえず体の方は満足したらしいことが、幾分弛緩した表情から伝わってくる。
「……さて、腹ごしらえもして、これからどうする? ご主人の所に行ってみるか?」
が、身の振り方を尋ねてみると、すぐにまた複雑な顔をした。
まあ、帰りたくないんだろう。
好き好んでまた奴隷になりたがるほど被虐的には見えない。
「もちろん、行くなら俺もついてくぜ。勝手に首突っ込んだ責任があるからな」
「…………戻りたくない。だけど……」
つまり、何かの事情持ちってやつか。
「結論を急がせるつもりはないから、ゆっくり食休みしてけよ。しばらくここで考えてみるのもいいだろ。掃除したから、少しは居心地よくなってんだろ?」
「……ねえ、どうしてそこまでして、わたしを助けてくれるの? 赤の他人なのに、ご飯まで食べさせてくれるし」
「そりゃあお前、俺は絶対正義のヒーローだからだよ」
「ひーろー?」
あ、そうか。こっちの世界にはそんな言葉はないんだよな。
あいつに説明した時もそうだったが、つい口に出しちまう。
「直訳すっと"英雄"って意味なんだけど、俺の場合はちょっと違うんだ」
英雄なんて、そんな肩肘張ったような響きはちょっと気に入らないしな。
もうちょっと軽い感じがふさわしいと思ってる。
「簡単に言うと、腹空かしてる奴にメシを食わしてやる奴ってことだよ。何が正義か悪かってのは基本的に人それぞれだろ? だから戦争だの喧嘩だのが起こる訳で。でも立場に関係なく、生き物ってのは生きてる限り腹を減らすし、ほっといたら死ぬじゃんか。そんな時にメシが食えないって、つらいだろ?」
「……うん、まあ、それは分かるけど。でもたとえば、相手が悪人でもお腹が空いてたら食べさせてあげるの?」
「ああ」
「さっきの奴らでも?」
「凄く腹空かせてればな。ま、その後でぶっちめるけどさ。そこは話が別だ」
「……あんた、変わってるわね」
「だよな、言われねえでも分かってる。そうじゃなきゃヒーローなんざやってらんねえよ」
我ながらヘンテコな奴だという自覚は多少なりともあるが、背負っちまった性分なんだから仕方がない。
「……そっか。だからあいつらが食べ物を粗末にしたのを見て怒ったのね」
「ちょっと早く手を出しすぎた、とは思うけどな」
こっちの性分はなるべく直したい、とは思ってるんだけどな。
「でも、私があんたの信念に助けられたのは事実よ。それと、そういう考え方も、す……き、嫌いじゃないわ」
お、俺への態度が少しだけ軟化した気がするぞ。
まだ顔にかかっている曇りが取れきってはいないみたいだが。