99話『大好きな人を探すものたち』
悪魔の群れ、餓死に至る病、スール=ストレング……
世界を覆っていた巨大な暗き雲晴れど、未だ完全なる平和は戻らず。
ですが、わずかずつの歩みではありますが、確実に世界は良き方向へと進んでいると、今日に至るまでの旅路で実感せずにはいられません。
あの後の顛末についても、少しばかり触れておきましょう。
わたくしたちは、ジェリーちゃんが花精の魔法で作り上げた樹の"殻"の内にて、墜落するインスタルトに任せるがまま、地上へと無事帰還致しました。
……ユーリ様は戻らぬまま。
偶然か、或いはこれさえ運命という一大絵巻の一部として記録されていたのか、インスタルトが墜落した場所は、陸から遠く離れ、島もなく、また海底に都もない、大洋の真中でした。
そのため地上への被害はごく軽微で済んだのです。
それに加え、わたくしはこう思わずにはいられません。
大海が牙を剥いて沿岸に襲いかからず、また海上を漂っていたわたくしたちが無事にフラセースの港町へ流れ着けたのは、大いなる"海の意志"の加護があったからではないか、と。
フェリエ様……
わたくしたち5名の意見は、あらゆる面ですぐさま一致しました。
この同じ世界のどこかで、絶対に生きているユーリ様と再会する。
加えて、ユーリ様が胸に抱き続けていらっしゃる絶対正義を、旅の途中でわたくしたちも積極的に実践していく、と。
ミネラータへ立ち寄り、ヴァサーシュの槍とトリキヤの羽衣を返却した折、是非とも統治者として残って欲しいとの打診がありましたが、辞退させて頂きました。
諸々の根拠など、求めるだけ無意味。
絶対無敵の勇者にして絶対正義のヒーロー・ユーリ様が、死ぬはずなどない。
必要なのは精々、体力や根気といった類のもの。
どれだけ時間の砂が流れ落ちよいと、どのような場所にいらっしゃっても、必ず……!
ユーリ様の手がかりを、未だ目や耳は捉えておりませんが、悪いことばかりではありません。
ユーリ様のお母様についての情報もまた、一切途絶えていたからです。
これは、ユーリ様が最後の聖戦に勝利したゆえと解釈して良いのではないでしょうか。
――解釈の仕様で、世界はこんなにも希望に満ちる!
「嗚呼、ひとつなぎの空の下にいらっしゃるユーリ様! さぞや寂しい想いをされておいででしょう! 今暫しお待ち下さいませ!
必ずや貴方様という財宝を、この伝説の女傑にして稀代の冒険家たるわたくしが探し出し……我が胸の内で存分に至福を味わわせて差し上げますわ!」
「……あなた、また鬱陶しくなったわね」
「明けぬ夜は無きもの。わたくしの心もまた然り、ですわ」
「ははは、元気があって良いではないか」
「うん、ジェリーも、そう思うな」
「そうですね。やっぱクッソ大仰な言い回しあってこそのミスティラさんですもんね」
度が過ぎるほど現金であるとは、わたくし自身既に承知しておりますわ。
……ですが! 不謹慎であることは理解の上ですが!
わたくしは、微かな希望を感じずにはいられないのです!
火種となったのは、海を漂っていた時、目覚めたタルテが口にした衝撃の事実。
『ユーリ=ウォーニーが、アジキユーリになった』
タルテが偽りを口にするような性情の持ち主ではないことを加味しても、無条件に信じていたでしょう。
"霜降る月"が描く世界のように凍て付いていたわたくしが再び温められ、燃え上がってしまうのは、冬が終わり、春が訪れれば雪は消えてしまうのと同様の摂理。
そもそもの話、例え一度の死を経ようと、精神が変わろうと、ユーリ様はユーリ様。
勝算の多寡に関わらず、わたくしの愛に、敬意に、些かの弱体化も無し。
全てを惜しみ無く、情熱を伴って捧げましょう!
「改めて全員聞きなさい! 確かにわたくしは、ユーリ=ウォーニー様を巡る勝負には完敗致しました。しかし、アジキユーリ様を巡る勝負はまた全くの別物! わたくし、二度も負けるつもりは毛頭ございませんわ! 正々堂々勝負なさい!」
「はぁ……そんな何度も言わなくても分かってるわよ。勝負するわよ。でも、手加減はしないんだから」
「そのようなこと、して御覧なさい。平手打ち程度では済ませませんわよ」
……感謝致しますわ、タルテ。
やはり貴女は、わたくしが認めた好敵手にして、親友。
どうか……
* * *
ミスティラさん、最近はすっかり元気になったようだ。良かった。
一時期はこの世の終わりのような雰囲気を纏っていたから、心配していたのだけれど。
友達が落ち込んでいるのをどうにもできず見ているのは、やはり気分のいいものではない。
「……それにしても、あの情報屋! とんだ詐欺師ですわ! あの不細工な人間のどこがユーリ様なのですか! 子どもの粘土細工と彫刻ほども違う、かすりもしておりませんわ! とんだ無駄足を……!」
少しばかり、元気を取り戻しすぎな感がなくもないけど。
「まあまあ、いいじゃないですか。こういうのも、あちこち旅行しているみたいで楽しいじゃないですか」
「うむ、シィス殿、良い事を言う」
「うんうん」
「貴女達、呑気すぎませんこと……?」
「あんたがカッカしすぎなのよ。しわができるわよ」
「な……なんですってぇぇぇ!?」
あーあ、また始まった。
まあいいや、ほっとこう。あれも友情表現のひとつだから。
……いいや、まだ正直になりきれていないか。
彼女たちではなく、私自身が。
やり取りを眺めていることを微笑ましいと、それだけで片付けられなくなりつつあった。
私は、迷っている。
選択次第では、今度は私がこの空気を微妙にしてしまうのではないか、と。
私はずっと、友達が欲しいと思い続けていた。
両親や道場での人間関係には恵まれていたけど、同年代の子たちとは遊べなかったから。
性別に関係なく、他愛もないことで笑い合ったり、話や食事などを楽しめる相手が欲しかった。
幸運なことに、その願いはこうして叶っている。
けど……今の私は、それ以上を望もうとしている。
口に出すのも恥ずかしいけど、今度は恋をしたいと、考えてしまっている。
今まで生きてきて、私は恋愛というものをしたことがない。
自分には全く縁のない概念だと思っていたから。
恋愛小説なども、まともに読んだ試しがない。
相手は……今更言うまでもないけど、他ならぬ、あの人だ。
きっかけは……何だろうか。
尾行、調査していた時点ではそんなこと、考えもしていなかったはずだけど……ミヤベナ大監獄で色々と行動を共にしていた時?
よく分からない。
分からないといえば、問題は他にもある。
彼のどこを異性として好きになればいいのか、それさえよく分からない。
他の皆のように、スラスラと良い所を上げて、まっすぐな好意を向けることができない。
向け方が分からない。
ただモヤモヤ、漠然とした好感が頭の中に漂っている。
一体何がしたいのかと自問自答してみても、ただ会って、話がしてみたい程度の願望しか湧いてこない。
具体的に好きになれない分際で恋がしたいなどと、とんだ欲張りな奴だと自覚はしている。
だけど……抑えられない。
恋がしたいと言うより、単に恋に憧れているだけなのかもしれないけど、彼のことをたくさん考えずにはいられない。
唯一、前向きになれる点を探すとすれば……
彼の人格が変わった、こうして時間をかけて彼を探しているという今の状況は、ちょうどいい機会なのかもしれないということだ。
"分からない"ということさえも、仕切り直しと解釈できるかもしれない。
こんな中途半端さで臨んでは、嫌われてしまうかもしれないけど、私も……
* * *
……などと、シィス殿は考えているのかも知れぬな。
タルテ殿には悪いが、良い傾向ではないだろうか。
結果がどう転ぶにせよ、本音を抑圧するのは良くないからな。
命題こそ違えど、私もかつて同じように悶々と迷っていた経験があったからこそ言える。
「シィスさん! その辛気臭い顔を直ちにおやめなさい! この太陽や青空も呆れ返り、雨を降らせてしまいますわ」
「マ、マジっすか!? 分かりました、明るいツラを作りまっす!」
おやおや、ミスティラ殿に先を越されてしまったか。
ならば私は。
「シィス殿。気晴らしに私と手合わせでもせぬか。思い切り、全てを曝け出すような勝負を」
「え、ええええ!? ……わ、分かりました、胸を借ります!」
おやおや、これはまた予想外の展開だ。
「うむ、どんと来るがいい! 受け止めてしんぜよう」
「シィス、いっきまーす!」
実に清々しい気分だ。
前々から好き勝手に生きてきたとは思うが、今になって、やっと本当の人生を歩めるようになったと思える。
シィス殿の体当たりを真正面から受け止めながら、ついそんなことを考えてしまう。
「脚が震えているぞシィス殿。もっと腰を据えぬか」
「ア、アニンさんこそ……密かに脚が生まれたての小鹿のようになってますよ……」
脚、か。
やっぱり、地上というものは良いものだ。
人は地に足をつけて生きる生物。しみじみ、そう実感せずにはいられない。
「何を遊んでいるのですか。先を急ぎますわよ」
「もう少しやらせてくれぬか。今ちょうど熱く、楽しくなってきたのだ」
「私も、です……! モヤモヤが蒸発していきましたよ……!」
「……はぁ、付き合っていられませんわ」
良い傾向だ。
そうやって無心になれば、熱くなれば、人生がもっと楽しくなるぞ。
目標を失っても、またすぐ別の目標が芽生えてくる。
衝動に、身を任せたくなる。
「ぐ、ぐぬぬぬ……!」
そうそう、このように……
「む。……ぬうう!」
ようやく底力を出してきたか。
「ちょっと、2人とも本気になりすぎじゃない?」
「でも、楽しそうだよ」
「このような組み手で熱くなるなど、わたくしには理解できませんわ」
「なればミスティラ殿もタルテ殿辺りで実際に試してみると良い。やってみれば分かるぞ」
「やりませんわ!」
「やらないわよ!」
「ジェリーは、ちょっとやってみたいかも」
「では次に相手になろう。……時にシィス殿」
「な、何ですか」
ここからは、私達だけの内緒話だ。
「……実は私もな、アジキユーリのことを好きになりたいのだが、どう上手くやればいいのか、分からぬのだ」
「……! え、うえええっ!?」
「ふんっ!」
「ぐはっ!」
「わははは、今回は私の勝ちだな」
「くっ……き、汚いですよ! そういうネタをダシに使うなんて!」
気を逸らすための虚言ではない。
「本音だ」
「へ?」
私もある意味では、シィス殿と似ている。それだけだ。
勝敗を分けた紙一重の差と言えば……1つだけ、やりたいことがはっきりしているか否か、といった点。
タルテ殿から聞いた所、戦闘に関する経験値も消失してしまっているようだから、再び一から剣を鍛え直してやるとするかと、再会した後のことを考えている。
いや、まずはこのように体のぶつかり合いから教える必要があるだろうか。
私好みにするも、或いは生のまま愉しむのも一興。
いずれにせよ、楽しみだ。
* * *
アニンお姉ちゃんやシィスお姉ちゃんの考えていること、何となくだけどわかるよ。
それはきっと、ジェリーが大きくなったから。
最初にユーリお兄ちゃんたちと会ったときよりもおとなになったぶん、色々とわかったことがあるの。
お互いを好きになった男の人と女の人が、どんなことをするのか。
どうやって、好きって気持ちを伝えるのか。
花精として、種をつないでいく使命。
それだけじゃなくて、思いが叶わなかったとき、好きって気持ちが、かたっぽだけで終わっちゃったとき……
そういうときのつらさも、分かっちゃったの。
「ジェリーちゃん、どうかなさいましたの?」
「んーん、きょうも美人さんだなって、見とれてたの」
「あら、あなたもそのようなことを仰るようになりましたのね」
あのときのミスティラお姉ちゃんは、ほんとによくがんばってたなって思う。
ジェリーがお姉ちゃんの立場だったら……あんなふうにはいられなかったよ。
こんなことを考えるようになったのは、お兄ちゃんへの"好き"が、もっと大きくなって、はっきりして、大人なものになったから。
他にも、はっきり言えることがあるよ。
ジェリーはね、ユーリお兄ちゃんがどっちでも、どうなっても、大好きだよ。
もちろん、実際にアジキユーリお兄ちゃんと会ってみて、ちがいすぎて、イヤになっちゃうことだってあるかもしれないけど……
そんなことを今考えてもしょうがないんじゃないかな。えへへ。
「ねえねえ、次の行き先は、"綿毛占い"で決めない?」
「どんな占いなの?」
「かんたんだよ。ふーって吹いて、飛んでった先に行くの!」
「風情があって良いな」
「まあ、あの情報屋よりは頼りになりそうですわね」
「私も賛成です」
「じゃあ、やるね。えっと、タンポポは……あった!」
早くまた会いたいな。
ジェリーだってちょっとぐらい、お姉ちゃんたちみたくがんばってみてもいいよね。
* * *
かつてのわたしだったら、今の本気になったジェリーにさえ劣等感や嫉妬心を抱いていたと思う。
そんな弱さから抜け出させてくれたのは、他の誰でもない、ここにいるみんなのおかげ。
ミスティラ。
ジェリー。
アニン。
シィスさん。
あなたたちには、本当に感謝してるわ。
大切なことを……人は、誰だって強く、優しくなれることを教えてくれて。
だから……あなただってまた強くなれる。
また、優しくなれる。
「……どうしたの、タルテお姉ちゃん!?」
「なんだか……急に、気持ちが込み上げてきたのよ」
「全く、みっともないですわね。……ドタバタと駆け出すなどと」
「いいでしょ、別に!」
「首輪と鎖で繋いで差し上げましょうか?」
「そんなことしたら、噛み千切ってでも抜け出してやるわ!」
「……ふ、よくぞ仰いました」
「私も付き合うぞ、タルテ殿」
「ジェリーも走るー!」
「ええ、私もです……ああっ、眼鏡が吹っ飛んだ! 馬鹿な、滑り止めを付けたのに!」
何があっても、絶対みんなで会いに行くから。
あとお肉ばかり食べないで、ちゃんと野菜も食べるのよ。
ええっと、あと……ああもうまとめるのがめんどくさいわね。会った後に考えましょう。
だから――ちゃんと元気にしてなさいよ!