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98話『安食悠里は異世界で絶対正義を執行する』 その5

 これは……この異世界に生きている人達の言葉? 心の声?

 アンテナの役割となったかざした剣へ、"電波の力"を通して、次々と精神エネルギーと共に流れ込んでくる。

 どうしてみんな、僕のことを知っている?


 込み上げてくるのは、感動や頼もしさではなく、不快感。


 だって僕は、あなたたちのことを知らないんだぞ。

 やめろ、やめてくれ。

 分からない。本当に僕には分からないんだ。

 どうして一方的に僕のことを知ってて、名前を呼ぶんだよ。


 そもそもこれは僕の戦いだ。

 僕独りだけの戦いだ。

 僕がお母さんを倒さないと、意味がないんだ。 

 赤の他人たちが、土足で勝手に入り込んでくるな。


「ぐうううう……! う、うるせえぞ……ゴミ虫共……!」


 ほら、お母さんだって同意見みたいだ。

 まあいい。無視だ。

 エネルギーだけを利用させてもらう。


 もっと食らえ、お母さん!

 折れた剣に宿っていた青色の光が散って無数の粒子となり――


「ぎゃああああおおおおあああうう!!」


 空間に満ちたそれを浴びたお母さんが、頭を押さえて絶叫し、その場でのたうち回り出す。


「消える……溶ける……私の内側がああああ!」


 これなら勝てるという、確信に近い感情があった。

 嫌で嫌でしょうがなかったけど、これだけ大勢の、赤の他人のエネルギーを注ぎ込んでいるんだ。

 いかにお母さんの再生力、生命力が人間離れしていようと、耐えられる訳がない。

 おまけに現在進行形で、あちこちからどんどん新しいエネルギーが流れ込んできているんだから。


 ほら、また――


 ――ユーリ……


 これは……さっきの女性の声?

 近い所から聞こえてきて、何よりも強く、温かく、大きく……

 他にも、別の所から……女の人たちの声?


 それとも――祈り?


「やめろ……やめろ! 私は……私は悪くねえ! 私はただ、食いたいものを食っただけだ! それの何が悪い!」


 お母さんの苦しみが、痛みというよりも罪悪に対する呵責に変わっていく。


「お……お願い……私を消さないで……! 責めないで!」

「……お母さん」


 僕がかざしていた剣を下ろしたのは、情けが生まれたからじゃない。

 もうこれ以上は、必要ないと判断したからだ。


 放っておけば、母は消える。

 後は虫を観察するように、静かに眺めていればいい。


 こういう状況のことを、看取ると言うのだろうか?

 なんて残酷で、冷たいんだろう。


「お母さん、聞こえてる?」

「嫌だ……永遠に責められるのは……腹が空いたままなのは……」


 聞こえていないらしい。

 ……すぐに前言を撤回する形になってしまうけど、段々と静かに眺めていられなくなる。


「お母さん、死にたい? 楽になりたい?」

「うう……あああ……あうー……うあうあー……」


 あ、幼児退行というか、知能の低下みたいな症状が始まっている。

 おかしいな、大量の精神エネルギーを一気に流し込めば、トイレが排泄物を流していくようにさっと消えていくと思ってたのに。

 流れが悪くて詰まっちゃったのだろうか。


 これはもう、答えを待たなくてもいいか。


「炎よ……母を焼き尽くせ!」


 それっぽい台詞と共に、お母さんへ炎を放つ。

 まさか火葬まで行わなきゃいけなくなるなんて……


「……なっ」

「あうあー、あつい……あつぅいー……」


 吹き散らされてしまった。

 自己再生能力までは失われていないのか。


「炎よ! もっと力を!」


 より精神力を込めて放った炎も、同じ結果を辿る始末。

 それじゃあ、この透明な力の塊で上から押し潰すのは……


「……ダメか」


 参ったな。

 肉体からアプローチした死をもたらしてあげることもできない。


 一体どうなっているのか、"通信"を行って、今のお母さんの心の内を垣間見ようと試みてみたけど、怖さに耐えられなくなってすぐにやめてしまった。

 何だあの轟音と無限が同居したような、言葉で完璧に言い表せられないような世界は。


 同時に悟る。

 お母さんはもう、ここに在って、ここにいない状態だ。

 形而上の世界に果てしなく広がる虚無の中で、殺してきた人間や食べてきたものの怨嗟に苛まれ続ける、魂を囲う永遠の牢獄に囚われてしまった。

 そして肉体もこの通りである以上……もう、どうしようもない。

 廃人、とも呼べない状態。


 本来は勝ちも負けもない。

 でも、どちらかを定義しておかないと、ひどく収まりが悪い。

 ということでじゃあ、自分の中で勝手に宣言してしまおう。


 終わった。

 勝った。


 僕は、ついにお母さんを倒したんだ。

 未だハッキリした根拠を見出せない使命感に従って、前世で散々な目に遭わせてきたお母さんを。


「…………」


 目の奥が熱い。

 目の表面がむずむずする。

 目の下が冷たい。


 どうして僕は、泣いているんだ?

 悲しいのか? 嬉しいのか?

 ただ分かっているのは、こうして中途半端に壊れたお母さんを見ても、別に爽快感なんか……


「……うわあっ!? ま、また……」


 さっきまでとは比べ物にならないくらいの強い揺れが襲いかかってきた。

 トランポリンになったかのように、上下にバウンドする床に翻弄され、バランスを保てず転がってしまう。


「アウアー」


 お母さんの体重をもってしても団子のように転がってしまってるんだから、僕の場合は推して知るべしだ。


 揺れは一向に治まらない。

 それどころか、壁や天井、床が少しずつ崩れて……地面そのものが、ゆっくりと下がっていってる?

 沈んでいるのか?


 このままここに留まっていれば命はないことは、誰にだって分かる。

 しかし、僕は動けずにいた。

 振動や崩落のせいでまともに動けないことは問題じゃない。

 そんなものは"瞬間移動"や"膜"など、備わっている力をを駆使すれば何とかなるだろう。

 もっと根源的な所――既に自分の中であらゆるやる気が失せつつあった、というのが原因だ。


 だってこの先、どう生きればいい?

 元々、勝っても負けても、僕の辿る結末は変わらない。


 ただお母さんと戦って勝つためだけに目覚めて、獲得したのは満足感でも何でもなく、 


「あー……あー……」


 壊れかけた生命体ただ1つ。

 ため息を無限につけるほど馬鹿馬鹿しい。

 これが……絶対的な正義とやらを行使した果てに得たトロフィーかよ。


 ま、いいか。

 さっきも定義づけしたように、これは正しいと思い込めばいい。

 そう、僕は正しいんだ。

 僕のやってきたことは、間違いじゃないんだ。

 はい、終了。


 ……さて、やることはやった。

 後のことはどうなろうと、この異世界がどうなろうと、知ったことじゃない。


 ちょっと疲れたから、寝よう。


「……お母さん」

「ウアオ?」

「こんな年になって言うのも恥ずかしいんだけどさ、一緒に寝てもいいかな?」

「ワアアウ?」

「もしかしたら、物心つく前はやってくれてたのかもしれないけどさ、僕、お母さんと一緒に寝た記憶がないんだよね。だから、一度だけでも」

「オオオ?」


 お母さんは、寄り添った僕のことを、拒絶しなかった。

 ……ありがたい。

 別に居心地が良くもないし、あったかくもないし、それどころか嗅覚がマヒするほどの異臭がするけれど、安らがずにはいられない。

 また死ぬ、という恐怖が、ある程度は薄らいでいく。

 体の力を抜いて、目を閉じて真っ暗になっても、ほら大丈夫。


「ねえ、お母さん。僕、また生まれ変われるかな? お母さんはもうその状態のまま、ダメかもしれないけど……」

「……ウ、ウ」

「僕、もう地球は嫌だな。もっと幸せな、優しい世界で生きたいな。ご飯をちゃんと食べられて、人に好きになってもらえて……そう思うのって、おかしいことじゃないよね?」

「……ア」

「お母さん……子守歌を歌ってよ。少しくらい……僕に……優しく……し……」


 祈るように、静かに柔らかく名前を呼んでくれるだけでも、子守歌になるから……

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