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98話『安食悠里は異世界で絶対正義を執行する』 その1

 ここは、どこだ?

 薄暗く、散らかった、米粒一つ、飲み水の一滴さえなかった自宅にいたはずなのに。


 それ以前に、日本、いや、地球ですらないようにも見える。

 明らかにオーバーテクノロジーというか、これじゃSFの世界だ。

 機械群、奇妙なデザインの天井や床……それにロボットの残骸や瓦礫も転がっているし、あちこち損傷も激しい。

 宇宙戦争でもやらかしている最中なんだろうか。


 そういう夢でも見ているのか?

 いや、そんなはずはない。


 僕は、死んだはずだ。


 おかしいのは外側だけじゃなくて、身体の方にも違和感がたくさんある。

 まず、この服装は何なんだ。

 RPGのキャラよろしく、ワインレッドのマントなんか装備してるし、そもそも僕は、こんなに身長も筋肉もなかったはずだ。

 こんな生命力に満ち溢れた状態でいること自体がむしろ異状アリだ。

 体は無傷なのに、服はあちこちボロボロになっているのも怪しい。


「あー、あー」


 声も、少し似ているようで、違う。

 両手でまさぐってみただけで、顔の造形がまるで違うことも分かる。


 これは、一体誰だ?

 僕は……何者になったんだ?

 誰か教えて下さい。


 それを実際に声とすることはできなかった。

 僕以外にも、"誰か"がいたのに気付いたからだ。


 その"誰か"も、異様な外形をしていた。


 いたのは、2人。

 相撲取りなど比較にならないほど肥満した、ほぼ全裸の女の人と、その人の足元で、ボロ雑巾のようになっている女の人。

 肥満体の方は、ひどく驚いた様子で、汚れた口や腫れぼったい両目を大きく開き、こちらを見ている。


 あの人は何故驚いているのだろう。

 僕と同じ理由でなのか、あるいは全く違う理由でなのか……


「……うっ」


 ここで一度、思考力が低下してしまった。

 床に転がっている女の人の姿があまりに凄惨なのを知ってしまい、吐き気を抑えられず、嘔吐してしまう。

 けれど、出るのは胃液ばかりで、苦しみが余計に増すばかり。


 そういえば、空腹感が凄まじい。

 自宅で放置されてた時ほどじゃないから、耐えられるレベルではあるけれど。


 いや、そんなことはどうでもいい。

 酷い状態だ……交通事故に遭ったり、鳥獣に食われても、ここまでにはならないと思う。

 

「げぇ……」


 まずい、克明に捉えようとしたら、また気持ち悪くなって吐いてしまった。


「…………」


 このような醜態を晒しても、肥満体の女性はまるで僕に興味、というか反応を示さなかった。

 驚きのあまり、思考が完全に停止しているようにも見える。


 それはともかく、どうしてこうも僕は、この女性に引き付けられるんだろうか。

 グロいものは好きじゃないし、むしろ苦手なのに、目を離せない。

 理由がよく分からない。

 分からないのに、恐ろしい、触りたくない、見たくないという気持ち以上に、"助けなくちゃ"という感情が強く湧き上がってくる。


 助けなくちゃ?

 助けなくちゃって、何だ?

 よく観察すると、一応はまだ息があるのが分かるけど……僕は医療の心得なんてないし、それ以前にもう、最先端医療でも無理じゃないかってレベルで損傷してるんだぞ。


 なのに、何故か"僕なら助けられる"という確信が、心のどこかにあった。


 ――どうやって助ければいいんだよ。奇跡のハンドパワーでも使えばいいのか?


 自分で自分に突っ込みを入れてみたら、半ば無意識に、手を女性の方に差し出していた。


「……ええっ!?」


 すると――手から淡い緑色の光が現れて、女性の全身を覆った!

 ど、どうなってるんだ、これ!?

 驚いている間に、ズタボロだった女性の体が、みるみる癒されていく。

 これはまるで、漫画やテレビゲームであるような、一瞬で重傷を治せる回復魔法じゃないか!

 こんなものを自分が使えるなんて、どうなってるんだ。


 女性の傷は完全に癒えたけど、僕の驚きは治まらなかった。

 それどころか、元通りになった顔を見ていると、更に胸がドキドキしてくる。

 可愛かったから? 恋? 一目惚れ?


 ……違う。

 顔立ちがどこか、お母さんに似ているためだ。

 年齢はこの人の方がずっと若いけど……


「……う、うう」


 女性が、悪夢にうなされているかのように、顔をしかめて声を漏らす。

 ど、どうすればいい?

 どぎまぎしている内に、女性の目蓋がムズムズと動き、長いまつ毛が揺れ――ゆっくりと開かれる。

 瞳の色は……お母さんと違う。


「……!?」


 僕の顔を見て、認識した瞬間、女性がひどく驚いた様子を見せた。

 まるで寝坊した直後のようだ、と思う間もなく、身を起こした女性に肩を強く掴まれ、揺さぶられる。


「……ユーリ……? 生きて、たの……?」

「えっ……?」


 泣きそうな顔で女性が口にした言葉は、短く単純だったけど、奇怪極まりない内容だった。


「ど、どうして僕の名前を知ってるんですか。あと"生きてた"ってどういうことですか」

「……はあ?」


 女性の顔つきが、みるみる怪訝なものになり、きつい目つきがますますきつくなる。


「ちょっと、ふざけてる状況じゃないでしょ」

「ふざけてないですよ。僕だって困ってるんです。いきなりこんなSFだかRPGみたいな所で目が覚めて、一体何がどうなってるのか……」

「えすえふ? あーるぴーじー?」


 今、とりあえず理解できたのは、この女性が、SFやRPGの概念を知らないということだ。

 ただ、それを知った所で、事態が進展する訳でもない。


 けど、女性にとっては何らかのヒントを得たらしい。

 うつむいて、記憶喪失だの衝撃だのとブツブツと独り言をつぶやき始めたが、またすぐに僕を見る。

 戸惑っているような、迷っているような、そんな色を滲ませながら。


「あなた、本当に……ねえ、わたしの名前、覚えてないの?」

「……ごめんなさい」


 正直に答えると、女性はひどく悲しげな顔をした。

 本当は泣きたいんだろうというのが瞳の揺らぎから読み取れたけど、僕にはどうしようもない。


「……あなたの、名前は?」


 迷っていると、さっきよりも弱々しい、震えた声で質問を重ねられる。


「……安食、悠里」


 もう一度正直に答えた瞬間、女性が驚きの表情を見せた。


「アジキユーリ……前の世界での名前……」

「前の、世界? どういうことですか」

「まさか……」

「ちょっと待てやあああ!」

「ひっ……!」


 割り込むように、これまで物言わぬ石像のように立っていただけの肥満体の女性がいきなり怒鳴ってきて、反射的に身を竦ませてしまう。


「てめえら何勝手に話進めてんだ。私を忘れてんじゃあねえよ! あと悠里、あんたの母親は私だろうが!」

「?」


 この人も僕の名前を知ってるのか?

 というか母親って……そんな訳がない。

 色々な意味で、あまりにかけ離れている。


 でも確かに、喋り方はお母さんと似ている。

 一体もう何がどうなっているのか、全く理解できない。


「つーか、何でてめえ生き返ってんだよ!? ズタズタのグッチャグチャになってくたばったじゃねえか!」

「生き返った……? くたばった……?」


 今さっき目を覚ますよりも前から、僕は生きていたのか?

 僕は、一体何者なんだ?

 頭がおかしくなりそうだ!

 助けて、誰か僕を助けてくれ。

 本当のことを分かりやすく教えてくれ……


「色々と戸惑ってるでしょうけど、聞いてユーリ」


 その場にうずくまりそうになった僕を、女性がそっと押し留めて、手を握ってきた。

 不思議なことに、そうされるとやけに安心した。


 あったかい手、声。

 優しい顔。

 何より、女性を取り巻くオーラというか、雰囲気そのもの。

 この人は敵じゃない、味方だというのが肌で分かる。


「さっきはごめんなさい。あなたが混乱しているのも無理はないわ。全てを教えてあげたいけど、今は丁寧に説明している時間がないの。

 約束するわ、全てが終わったら、必ず知りたいことを残さず伝えるって。だから、今は……!」


 そこまで口にした時、まともにその場に留まっていられないほどの激しい揺れが建物を襲った。


「うわあっ!」


 避難訓練で身についた習性か、本能に基づく防衛行動か、僕は頭を抱えてうずくまってしまった。

 当然、女性の手が離れる。


「……ぁっ! ユーリ……!」


 名前を呼ばれ、少しだけ顔を上げた。

 腕と腕の間の狭い視界に見えたのは、ぶれる部屋、地割れ、そして、瞬く間にそこから下へ吸い込まれていく女性の姿。


 本当ならここでしっかり反応して、彼女の手を握って引き上げたり、一緒に飛び込んで落下の衝撃から身を守ってあげるべきなのかもしれないけど……そんなことできる訳がない。

 我が身の安全を確保することしかできない。

 僕はヒロインを助ける正義のヒーローじゃないんだ。


「ひゃははは! バーカ! グチャっと行きやがれグチャっと!」


 振動がおさまり、残されたのは僕と、この肥え太った女の人だけ。


「それにしても情けないねえ悠里。ブルっちゃって、なぁにそのザマ。キャハハハ!」


 馬鹿にされても言い返せなかった。

 まったくもってその通りだ。


「……どうしてあなたも、僕の名前を知ってるんですか?」

「あ? だから言ってんだろ。私がお前の母親だからだっての。お前と同じで、あっちの世界でくたばって、こっちの世界で生まれ変わったんだよ」


 証明してやるよ、と、目の前の知らない姿をした人は次々と、他人が知り得ないはずの情報を羅列していった。


「まさか……」


 信じたくなくても、信じざるを得ない。

 僕とお母さんは、この異世界に生まれ変わってしまったんだ。

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