96話『奇跡を起こすものたち』 その2
「さっきもおっしゃってましたけど、最後の、というのは……」
「以前にもお話したと思いますが、私にはもうあまり寿命が残されておりません。次に奇跡を行使できるようになる頃にはもう、肉体が滅んでしまっているでしょう」
「ちょっと待って下さい。以前エピアの檻で聞いたんですが、トスト様が亡くなられたら、ヨーシック大陸そのものが滅んでしまうのでは……」
「その通りです。しかしその点は事前に手を打ってあるため、問題ありませんよ。天寿を全うしての死ならば、円滑に魂を自然へと移行させられますから。
ゆえに、奇跡を行使した後は永い眠りに就き、そのまま寿命を待てば良いのです。フラセースの後継についても既に話はまとめております。政治面などで大きな混乱が起きることはないでしょう」
自分の中で整理をつけるため、つい時間を稼ぐように質疑応答をしてしまったが、本当に……この申し出を受け入れてしまっていいんだろうか。
躍る心を脇に追いやり、冷静に考える。
だって、ただ単に俺が生き返るよりも、役に立つ使い方があるんじゃないだろうか。
そう、例えば……
「トスト様。提案なんですが。奇跡を使って、俺の……母親を、殺すか消すことは、できませんか」
「……残念ですが、それはできかねます。いえ、本当にそれが望みであるなら、叶えることはやぶさかではないのですが、彼女は"異物感"が強すぎるのです。反動で全世界が崩壊しかねないことを考慮すると、極めて分が悪い賭けと言えるでしょう」
そう聞いてしまって、落胆するどころかむしろ安堵してしまった俺は、さもしい人間だろうか。
「自罰的になったり、自分の価値を問いかけたり、疑ったりする必要はありませんよ。胸を張って! 生き返っていいんです! はははは」
これはもう確定的だった。
わざとらしいくらいの完全な作り笑いだ。
でも、怒る気にはなれない。
だって、俺を馬鹿にしてるんじゃなく、気付け、突っ込みを入れろという雰囲気をあからさまに醸し出していたから。
「……俺に気を遣ってるんですか? いや、それとも怒って欲しいんですか? 身勝手なことばかり言いやがって、と」
「さて、何のことでしょうか」
やれやれ。
「……俺が生き返れるとしても、当然、代償なり反動なりが存在する訳ですよね。それを確かめさせて下さい」
ピクリ、と眉が持ち上がったのを見て、的中を確信する。
「ここまでお話してきたことからもうお分かりでしょうが、既に死んだものを蘇らせるのは、世界の理に大きく反する行為。ここまで世界を喜ばせてきたあなたと言えど例外ではありません」
「世界を喜ばせてきたというのは、どういうことですか?」
「そのままの意味です。あなたの掲げる信念の下、世界に住まうものをただ生かそうと奮励努力し続けてきた。あなたが貫いてきた行為は何よりも正しい。それだけです」
「……!」
……良かった。
俺は、俺のやってきたことは、やっぱり間違ってなかったんだ。
やばい、泣きそうだ。
それを知れただけでもう、俺の人生には意味があったと言える。
一方、トスト様の表情は、未だ強張ったままだった。
「奇跡に伴う代償だけは、私でもどうにもなりません。それだけは覚悟しておいて下さい」
「それで、具体的にはどのような代償を支払えばいいんですか」
多分この先が一番言いたいことだったろうに、トスト様は間を置いた。
勿体付けているというより、申し訳なさから、と見た方が近いだろうか。
一応、俺の中では何を言われても大丈夫なよう、色々予想して腹を括ろうとしていたが……
「……考えられるのは、記憶の消滅、人格の異常化や破綻」
……マジ、かよ……
「何が起こるにせよ、はっきり言ってしまえば、生前よりも更に勝算は低くなる可能性は高いでしょう」
「…………」
「ここまで散々回りくどくなってしまいましたが、もちろん強要するつもりはありませんよ。大切な思い出を抱いたまま次の世界に旅立つも、大いなる輪の一部に溶け込むも、正しい選択肢です。ユーリ殿がやらずとも、残された世界の人々がきっと何とかして下さるでしょう。ですから、ご自分が納得できる答えをお選び下さい」
俺が納得できる答え、か。
……"納得"という観点でだったらもう、決まってる。
「納得ならもうとっくに出来ています。改めてお願いしますトスト様。俺を生き返らせて下さい。もう一度あの場所に戻って、今度こそ、あの人を倒す。
他の誰でもなく、俺自身の手であの人を倒さなきゃいけないんです。それがケジメだと思うから。だから、勝ち目があろうとなかろうと、行かないと。大切な人を守って……世界を平和にしないと」
「本当に、よろしいのですか?」
ここまで引っ張っといて、何で改めて聞くんだ。
そう言いたくなるのを飲み込んで、頷き返す。
「本当によく考えましたか? 後悔はありませんか?」
「俺が皆を忘れても、皆が俺を覚えてくれてさえいれば、それで充分です」
……しつけえな。
「全てを忘れてしまうことを、怖いとは思いませんか? 本当に受け入れられますか?」
「なんなんすか、さっきから一体」
「強がっていませんか、と聞いてるんです」
「はあ、とりあえず、生きてさえいれば御の字じゃないですか?」
「そのように簡単に」
「片付けられる訳ねえだろ! こっちだって分かってんだよそんなこと! 俺だって忘れたくねえ! あいつらのこと……これまで生きてきて手に入れた経験……楽しかった思い出……いや、辛いことだって……
何よりあいつを、タルテのことを忘れたくねえよ! 生き返っても、あいつを他人としか認識できないなんて……そんなの……嫌だ……」
本音を喚き散らした後は、トスト様がそれ以上質問を被せてくることはなかった。
「しつこく尋ねて申し訳ありませんでした」
ただそれだけ、静かに呟いて。
どれだけ時間が経っただろうか。
泣くだけ泣いて。
愚痴るだけ愚痴って。
我ながら女々しいとは思う。
でも今更、もう恥ずかしいとは感じなかった。
この空間にトスト様以外誰もいない、ということを抜きにしても。
それに、お陰でやっとスッキリできた。
別にこの先待ち受けているものが変わった訳じゃないけど、それをどう捉えるかは大きく変えられた。
変に我慢しすぎるのは良くないんだな。
せっかく本心を晒す大切さをタルテから教えてもらったのに、死んでからも学習できてないのが情けない。
もし覚えていられたら、感謝できるといいな。
「トスト様。もう大丈夫です。お願いします」
「……承知しました。ではこのフラセース聖国が王、聖竜トストが最後の奇跡を行使し、ユーリ=ウォーニーの命を再び世界へと呼び戻しましょう」
大きく頷いたトスト様の姿の輪郭が、微かに曖昧になる。
そうだ、本格的に始まる前に……
「お返しに、こっちからも意地悪な質問をしてもいいですか。俺が生き返った後の結果は、結末はどうなるのか、見えていますか?」
「質問を質問で返して恐縮ですが、私が正直に答えるとお思いですか? 奮起させるために、偽りを口にするかもしれませんよ?」
「……」
「……失礼致しました。正直にお答えしましょう。……分かりません。全く見えないのです」
答えを聞いた瞬間、思わず吹き出してしまった。
「ユーリ殿?」
「あ、いえ、すみません。トスト様の真面目な顔がおかしかったって訳じゃなくて、何て言うか、心地良いなと思って」
「心地良い?」
「未来は無限大、どうとでも書き換えられるっていう風に解釈しちゃったんですよね、今の精神状態だと」
「……ぷっ、くく」
今度はトスト様が吹き出し、笑い出した。
「なるほど、確かにそう解釈すると、清々しい気持ちになって、おかしくなってきますね。
人の強い想いは、未来を変える。あなたの信念は必ずや、良き方向へと世界を変えていくでしょう。せめて祈っています。あなたが何事もなく、無事に蘇れることを」
トスト様の体が、徐々に空間を満たす白と同化して薄らいでいく。
「どうかこの世界をよろしくお願い致します、勇者ユーリ=ウォーニー殿。いえ、絶対正義のヒーロー・安食悠里殿」
「え、どうして俺のもう1つの名前を……」
あれ、話したことあったっけ。
聞き直す前に、もうトスト様はいなくなってしまっていた。
そして、俺の体も、少しずつ透けていく。
これまた懐かしい感覚だ。
生まれ変わる時もこんな感じだったっけ。
まどろみながら本格的な眠りに落ちていく時のように、時々僅かに途切れつつ、意識が少しずつ鈍っていく。
生き返れる高揚感はなかった。
緊張も、悲壮感も特にない。
考えてしまうのは、タルテのことばかりだった。
大丈夫かな。無事かな。
あいつ、強くはなったけど、泣き虫な所はあまり変わってないからな。
お前にまた会えるかもしれないのは嬉しいけど……次に目覚めた時、俺は多分……
また好きになれるといいな。
それよりも……戦えるだろうか。
いや、きっと戦える。
今度こそ、負けない。
勝つ。
例えユーリ=ウォーニーとしての記憶が消えたとしても、どんな状況になろうとも、どんな異様な人間性を獲得して変質しようとも、俺はきっと戦える。
それに、俺は独りじゃない。
それだけは……絶対に、変わらない……
あ、これは……本格的に……落ちる……
届かないだろうけど、最後に……言わせてくれ。
さよなら。
ただいま。
……愛してる。