95話『抗うもの』 その3
「……えっ?」
背中に、熱い感触。
おかしい、炎は目の前なのに、熱風が後ろから来るなんて。
違う、熱風じゃない。
もっと範囲が狭く、鋭く、熱い。
どういうこと?
どうなって……
答えは思考ではなく、背中から前面部のみぞおちまで走ってきた、動けなくなるほどの耐えがたい激痛によってもたらされた。
「う……ぐ……っ!」
後ろから……撃たれた!?
そんな……相手の体は確実にここにあるはず……!
悪魔がまだ生きていたというの!?
「運が悪かったねぇ……」
違う、悪魔じゃない!
「いいや、私の日頃の行いが良かったのかしらぁ?」
間違いであると同時に、わたしがうつぶせに倒れていたことに気付いたのは、敵の声が上から背中越しに降ってきているのを認識してからだった。
「いやぁ~、マジで危なかったわ……変なモン貼り付けられて、散々に弱らされて、矢をプスプスぶっ刺されて、火と爆発で追い込まれて、マジ死ぬかと思った……あんたけっこうやるじゃん。あのクソ共に引けを取らないぐらいだわ。いやマジで」
追い詰めたはずの敵の声は、やたらとはっきりしていた。
「自分で頭をブッ千切ってブン投げるのって、思いのほか大変で痛いみたいねぇ。やったことなんかないから初めて知ったわ。……よっと」
首を掴まれ、力づくで引っ張り上げられる感覚。
「あ、ああ……」
……衣服こそ失われていたものの、あれほど攻撃を加えて、追い込んだはずの敵の体が、完全に元通りになっていた。
そして、滲んだ視界の端に、未だ肥大した、人の形を不格好に保っている肉塊が炎上しているのが映る。
「薄々勘付いてるだろうけど、わ・ざ・と、丁寧に教えたげる。あんたが爆弾ブン投げて後ろ向いてる間に頭だけ脱出させといたの。私、健康だから、ちょっとやそっとのことじゃあ死んだりしないのよ。
で、ついさっきのことだけど、私気付いちゃったのよねぇ。よくよく考えたら、この部屋にもたくさん食い物が転がってるじゃなぁぁい! って」
食べ物?
スール=ストレングを除いて、生きている人間すらいなかったこの場所に、そんなものは一切なかったはず。
……まさか!
「そ。こ・い・つ・ら。味はクソマズだったけど、鉄分は多そうだから我慢して食ったの。いっぱい食べていっぱい血を作らなきゃ。好き嫌いはダ~メ」
ウソ……でしょ……
まさか相手の食への執念が、これほどまでだったなんて……
悪魔さえ……食べてしまう、なんて……
「栄養をたっぷり摂って、お陰様でこの通り、パワーアップして完・全・復・活! これがどういうことか分かる? つまり、あんたが必死こいて考えて、やった努力は、全部! 無駄に終わっちゃったわけ! 御苦労様~アハハハハハ!」
「……う、うううう」
「悲しまないで、小娘ちゃん。あなたのそんなお顔、私、見たくはないの。……だからうるせえっつってんだろが! てめえは黙ってろ! 入れ物のくせによお! 今すっげえいいとこなんだっての!
ふぅ……前にも言ったと思うけど、あなた、ほんとに前世の私にちょっとだけ似てるんだもの。本当の娘みたいに思っていないこともないのよ」
何を、言って……
「だから、そんなあなたのお顔を、悲しませたくないの」
「……!」
相手の顔が、多量の脂肪や皮と相まって、今まで見たこともないくらい醜悪に歪んだ。
「今の私みたく、いっぱい愉しんで欲しいのおおお!」
手刀のような形をした相手の右手の周囲に、禍々しくも鋭い漆黒の"力"が集まり、下に移動し――
さっき負った火傷の何倍もの痛みが、両脚を襲った。
…………。
…………。
…………。
「――まだよぉ。まだ頑張るのよぉ。下手に動いちゃダメよぉ」
「ひっ……ひっ……はっ……」
時間の感覚が、もう分からない。
痛みの程度が、"意識を失えないギリギリの所"としか理解できなくなっていく。
「はぅぁっっ!」
「……はいっ、上手く行った! ……ん~やっぱジュ~シ~! 悪魔とは違うわぁ~! 今まではさすがに避けてたけど、こんないいモノだったのかよ。悪魔にチャレンジしといて正解だったわぁ~。こりゃあ下に戻ったら……」
「……う、ぅ……」
「あれれ、何泣いちゃってんの? やっぱ苦しい? 死にたくない?」
……違う。
痛いから、辛いから、死にたくないというのが1番の理由じゃない。
反論したいけど、もう上手くしゃべれない。
こんな状態になってしまった以上、わたしは、もう助からない。
それは仕方がないと、ある意味では受け入れていた。
ただ、心残りなのは……みんなの仇を、取れなかったこと。
みんなに代わって、世界を守れなかったこと。
……悔しい。
結局、何もできなかった。
わたしは、ヒーローになれなかった。
「つーか誤解しないでよねぇ。これ、別に拷問してる訳じゃないの」
「……っ! ……っ! ……っ!」
「こうやって、しつこく顔面を殴ってグズグズにしてるのも、いじめたいからじゃないの。だってあんたは前世の私そっくりなんだから」
頬に、生温かい何かが当たったかと思うと、硬い感触が無理矢理上下から食い込んで、引っ張って、千切られる。
口の中の生臭い鉄の味が、一層濃厚になる。
この味……いつだったか、ユーリといっしょに食べた、お肉と似ている気が……
でも、こんなにまずくも気持ち悪くもなかった記憶が……
えっと、料理、お店、なんて名前だったっけ……
……一体わたしはこんな時に何を思い出してるんだろう。
「あっ、そうだ。目、まだ見えてる? あそこにあんたの使ってたキモい弓があるっしょ? よ~く見ててね。……はいっ、ブッ壊れた~!
これでもう完全に反抗できないねぇ~? あ、もうまともに弓を使える手じゃないか。私ったらおっちょこちょい~ギャハハハハ!」
思い出が、人が、次から次へと、頭の内側から外側へと浮き上がっては消えていく。
最初のお母様、継母、義理の兄……
アニン、ジェリー、ミスティラ、シィスさん……
……ユーリ……
「はいっ、お口に溜まったモノをスッキリさせましょうねぇ~ジュルルルル」
つらいこともいっぱいあったけど、楽しいこともいっぱいあったな。
みんなのおかげで……ありがとう。
本当に、ありがとう。
「これでよしっ、じゃあ続き行くよ~」
それと……もう一度、ごめんなさい。
「えいっ♪ えいっ♪ えいっ♪ えいっ♪」
わたしなりに、一生懸命、頑張ってみたけれど……
「ん? なぁにこの手? ……勝手に私に触ってんじゃあねえよおおおお!!」
やっぱり、ダメ、みたい……
「あったまいてえええええ! や、やめろてめえ、抵抗すんじゃねえええ! 何をどうしようが私の勝手だろうがあああ!」
もう、なにも、できない。
「ああクソオオ! もういいや、体力も戻ってきたし、一旦終わらせっか。ストレス発散は別の所でやりゃあいいんだし」
ああ、わたしは……本当にもうすぐ、死ぬのだろうか。
「んじゃ、お疲れさん。悠里みたくほったらかされて死ぬのと、ユーリ? みたくグシャっと死ぬのと、どっちがいい?」
……でも。
みんなと……あなたと同じ場所に行けるなら……怖くはない。
「もしもぉ~し、聞いてるぅ~? あ、私のせいで喋れなくなってるんだっけ。じゃあ私が勝手に決めちゃおうかな~、どっちにしようかな~……よしっ、決~めた」
もし、魂が別の世界に行くことになったとしたら……
またみんなと、あなたと、同じ世界で……巡り合いたい。
「……ごっちそうさんっしたッ!」