94話『母を捨てたもの』 その1
悪魔を生み出す機構を司る大元、魔王・ギガ=シガを撃破した俺達は、先に向かったアニンとソルティに追いつくべく、再び上を目指していた。
どうやら2人はちゃんと進めているようだ。
通路の所々に目印が残っていて、俺達が迷わないように配慮がなされていた。
「アニンとソルテルネさん、無事かしら」
「殺したって死なねえような、ゴキブリよりしぶとい連中だぜ。大丈夫だろ」
「お兄ちゃん、そんなたとえ方したらかわいそうだよ」
「ん、そうか? ジェリーはこんな時でも優しくて偉いよなぁ……」
その時、建物全体がもげるんじゃないかって思うくらい、激しい振動が襲いかかってきた。
「きゃっ!」
「俺から離れるな!」
流石に歩き続けるどころか、立っていることさえ困難だったので、ホワイトフィールドを張りながら伏せて待つしかなかった。
「さっき下の方で起こった振動といい、一体何だってんだ」
恐らくは、誰かの戦闘か破壊工作かの余波だと想像はつくが……
いずれにせよ、こんな異常事態じゃあ、律儀に待ってても仕方がない。
ブルートークで仲間達に呼びかけ、安否を確認すべきだ。
――おい、どうした! 大丈夫なのか!?
「……どう?」
「ダメだ。誰とも繋がらねえ。単に目の前の出来事に集中してて"回線"を開いてねえだけだと信じたいな」
激しい揺れは結構長い間続いていたが、幸い建物や天井が崩落したりはせず、徐々に収まっていった。
「とりあえずは大丈夫そうだな。少し急ぐぞ。2人とも、頑張ってくれ」
「うん」
「もちろんよ」
2人の表情は強張っていた。
無理もない。俺だって焦ってるんだ。
だけど、こういう時こそ、俺が率先して落ち着いているように振る舞わなきゃな。
更に目印に従って進んでいくと、大きな階段が見えてきて、それを上がり切ると、小部屋に突き当たった。
「ここが終点……なのか?」
中央に白い石灰のようなもので円が描かれているだけで、窓も扉も何もない。
「どう見ても、転移魔法陣でもないわよね」
「魔力もなにも感じないよ」
どうなってやがんだ。
円の中に入ってみても反応はないし、隠し通路や扉もない。
「ここで時間を取るより、引き返した方がいいんじゃないかしら。階段の手前に分岐点があったじゃない? そちらからでも上へ行けるかも」
「でも、目印はこの階段に行くようについてたじゃんか」
「さっきの揺れと関係があるんじゃないかと思うの。本来はこの円の中に入って移動できるはずだったけど、何らかの理由で故障してしまった、とか」
タルテの意見はもっともだ。
念の為もう一度ブルートークでアニンとソルティに呼びかけてみたが、やっぱり反応はない。
「……分かった。確かにお前の言う通りだ。戻ろう」
階段を下り、階段手前の分岐点まで引き返し、進む。
そこは一本道の廊下になっていて、当たり前だが目印は何もない。
「罠は……ないな」
結局罠を見破る瓶底眼鏡は、俺が装着する羽目になった。
それはともかく、敵もいない。
そのまま立ち止まらずに進んでいくと、広い空間に出た。
扉も仕切りもない、通路の終わりの先にあった、やや縦に細長い空間は、これまた奇妙極まりない場所。
こんなの……あっちの世界にも多分なかったぞ。
高い天井では赤紫と青紫の入り混じった板状の照明がぼんやりと光を放ち、地面には人工芝のようなものが敷き詰められていたが、光沢を放つ白銀色をしている。
更には小さな池と水路もあるが、入っているのは水ではなく……何だこれ?
溶けた金属のような、白熱してわずかに粘性を持ったものが音もなく流れ続けている。
「無機物の……庭園?」
「足の下がふしぎなかんじ」
こんなものを制作した奴の感性が分からない。
もうちょっと調べてみたいが、流石に水路や池の中に手足や物を突っ込もうとは思えなかった。
「それよりも、ここにも階段や"えれべーたー"はないみたいよ」
「参ったな。いっそ、壁か天井をぶち抜いて瞬間移動するか?」
「また乱暴な考え方を……でも、それしかないかもしれないわね」
そんなことを考えていた時。
「!?」
轟音と爆発と爆風が、壁の外から同時に襲いかかってきた。
誰だ!? 罠か、悪魔の攻撃か!?
とにかくホワイトフィールドで……
「きゃっ!」
爆風に混ざって聞こえてきた短い悲鳴。
「ジェリー!」
タルテの声。
まさか……!
「ユーリ! ジェリーが!」
しまった……!
吹き荒れる破片と煙はすぐに治まり、状況が明らかになる。
一瞬で荒廃した無機物の庭園。
そこには……髪を乱し、悲痛な表情を浮かべてこちらを見ているタルテの姿しかなかった。
「ジェリーが……ジェリーが、巻き込まれて、外に……」
「落ち着け。探ってみるから」
目に涙を浮かべ、声を震わせるタルテを抱きながら、ブルートークで呼びかけてみる。
――ジェリー! 大丈夫か!? 返事してくれ!
……くそっ、無反応か!
心臓の鼓動が嫌な感じに早くなり、全身に冷たい汗が滲んでくる。
「ねえ、返事はあった? 大丈夫だった?」
懇願するように強く揺すってくるタルテに嘘はつけず、無言で首を振ることしかできなかった。
「そんな……!」
「悲しんでる暇はねえ。探しに行くぞ」
「えっ?」
「ソルティの方針を無視しちまう形になっちゃうけど、この場合は仕方ねえだろ」
タルテにというより、自分に言い聞かせていたのが正直な所だ。
さっきまでとは焦りの質も強さも違う。
俺だって平静さを失いそうなギリギリの状態だ。
だけどここで俺が折れる訳にはいかない。
それに、万が一のことが起こるだなんて信じたくはない。
信じてたまるか。
「……そうね、あなたの言う通りね。ジェリーを探しに行きましょう」
「よし」
「お、いたいた」
突然、全くの第三者の声が、外光差し込む壁の穴から聞こえてきた。
声、喋り方、影の形……いずれもジェリーには該当しないどころか、まるで正反対。
「この塔の周り、重力がおかしなことになってて飛ぶのに手こずらされたけど、やっとここまで登ってこれたわー」
しかし、未知の存在ではなく……いや、むしろ俺が非常によく知っている人物。
「やっほ~、悠里ちゃ~ん」
こっちの世界の肉体と、あっちの世界の精神・魂を持つ、俺の母親だった。
「何で、あんたがここに……!」
「あんた、だぁ? 親に向かってその口の利き方はなんだよ」
チンピラの如く眉根を寄せ、歯を剥いて睨み付けてくる母親の衣服は、何故かボロボロだった。
最後に見た時よりも更に肥大化していて完全に肉団子状態だが、切れ方からして無理矢理着ているのが原因ではなさそうだ。
「まあいいや。気持ち悪くてうざったい、神様気取りのクソオカマをブッ殺しに来たんだよ。でも、さっき見に行ったらあのクソオカマ、既にくたばってたのよねえ」
思わずタルテと顔を見合わせてしまう。
マジかよ。
アニンとソルティの奴、もうやってくれたのか!
じゃあさっきの振動も、戦いの余波で起こったものってことか。
「でさ、このムカつき、どうすればいいと思う? わざわざ出向いてやったってのに、肩透かしを食らわされてさ。ストレス溜まりまくってるっつーの。
悠里、あんたなら分かってるでしょ? "あっち"でいっぱい味わったものねえ。どうすれば発散できてたっけぇ?」
母親の浮かべる嫌らしい笑みに、"あっち"での記憶が次々と蘇ってくる。
「……ユーリ?」
体が寒気に襲われて、震えが止まらない。
……やめろ。忘れろ。いつまでも囚われてるんじゃねえ。
「思い出せない? 忘れちゃった? ま、どっちでもいいや。……代わりにお前らをグチャグチャにブッ殺してやるんだよ! そうすりゃあ少しはスッキリできそうだからさあ!
心配しなくてもお前らだけじゃなくて、みんな仲良くあの世に送ってやるから安心しなよ。先に緑の髪の毛の眼鏡と、赤い髪の毛の女はもうブッ殺しといたから、寂しくないでしょ?」