93話『愛に殉じるものたち』 その5
「はああっ!」
ソルテルネ殿は己が身の現状を全く意に介さず、冷静に、巨大な魔剣と化した右腕を幾度も振るい、スールへと斬り付けた。
「なるほど、確かに悪魔を取り込むことで、人の身を遥かに凌駕する凄まじい力を得られるようだな」
「ふ、ふざげやがっでえええ!」
「おいおい、ぶちまけてくれるなよ。人か悪魔か、どちらかは知らんが、女王なのだろう? 汚い行為を人前で晒すものじゃあない。俺だってこう見えて必死に堪えているんだ、お互い様だ。
ま、賭けの勝率を上げる為に、少々の裏技は使ったがね。イルスの血は、お前に直接与える為でもない。力を得る為に取り込んだのでもない。お前の"自己愛"に簡単に屈さない為に受け入れたのだ」
どこまでが真実か、どこから法螺を吹いているのか、最早分からぬが、痛快さを覚えてしまったことは事実。
「こ……こんなの美しぐないッ! ざげんなッ! ざげんなでめえっ!」
「おやおや、御自慢の再生能力も鈍っているようだ。愛が足りないのではないか? 俺を見てみろ。俺の中には溢れんばかりの愛が絶え間無く満ちているから、まだまだ精力旺盛だぞ。
もっとも愛の対象はお前ではなく、レサンヌだがな。もう一度言う、お前を愛してなどいない。俺が愛するのは、レサンヌただ1人だけだ」
「……! ぐ、ぐううううう!」
「苦しいか? 辛いか? ならば肉体もろとも、いっそ完全に消滅してしまってはどうだ」
「……!」
図らずもソルテルネ殿の一言が、私に最後の閃きを与えてくれた。
合理的な道筋を辿った訳ではない。
だが、閃きとはそんなものだろう。
師の教えが、己が積み上げてきた鍛錬が、全て結び付いた。
愛剣を一度失った後、体術を鍛えていたのは、この時のため。
更に『構えに意味はない』という、師がさりげなく零した御言葉の真意を、この時ようやく体感できた。
構えとは、剣の所作のみに非ず。
心構え、外部の状況……万象に適用される自然の法。
すなわち、いついかなる時においても、究極の話、呼吸するように、奥義の発動は可能。
出来る。
私も――師のように!
修行だけではどうしても詰められなかった、最後の一手。
詰めるは、今!
「……覚悟!」
「あたしに近付くんじゃあねえええ! 死ねええええッ!」
「ササ流剣術奥義――裏・天上秘幻!」
全ての感覚が、消失した。
思考と、それを観察している自分だけが、残った。
それらは全て、ほんの一瞬の出来事。
感覚が、認識が復活し――敵の重要な部位を斬った確かな手応えが残される。
出来た。
これぞ奥義。
剣のみならず、己の存在すら消失せしめる。
感謝致します、師よ……
「ぎゅあああああああっ!」
スールの絶叫が、空間を揺るがす。
「ふっ……ざげんなあああ! 愛しでやるっで言ってんだろうが! このあたしが! スール=ストレング様が! なのになんだぁごの仕打ぢうわぁ! 何様だぁでめえらぁ!」
「ソルテルネ=ウォルドー様だ」
「アニン=ドルフ様だ」
図らずも互いに声を合わせてしまう。
「殺ず! ブヂ殺ズ!」
狂乱状態で嵐の如く吹き荒れる敵の攻撃は、奥義の要諦を体得した以上既に脅威ではなく、無風に等しかった。
防御技・五凛で受け流しつつ、必要に応じて実体を消して躱せばいい。
更に……反撃技・白糸曲水を織り交ぜ、剣を叩き込む!
「がっ、おっ、げっ、ぎぃえええっ!」
「一切の慈悲も与えぬ。このまま逝け」
「ぬわあああアアアアッッ!」
「むっ……!」
生存本能に基づいた反撃とは恐ろしい。
五凛でも受け流し切れず、脇腹に打撃を受けてしまい、一瞬意識が遠のく。
この鈍い痛み……骨や、臓腑までやられてしまったか……
虫のように手足を動かし、床を這って逃げ出したスールまで、足や剣が伸びない。
代わってソルテルネ殿が追跡するが、私と同じく必死の反抗に遭い、投げ飛ばされてしまっていた。
このまま逃走を許すのは良くない。
と思いきや、行き先はすぐ近く――当初座っていた椅子だった。
王座に坐したまま死にたいのか?
淡く浮かびかけた油断じみた感情は、瞬く間に吹き飛ばされた。
スールの体が泥状に溶け始め、椅子と一体化し始めたのだ。
「もウイイ! もうヤメだアアッ! ゼンブブヂ壊す! 愛ヲブチ撒いテやる! コんナ場所モ! いんすタルとモいラネエッ! 平等! 愛! 平等! 愛イイイイイイ!!」
「……地震? いや、違う!」
塔全体を激しく上下左右へと揺さぶるような、まともに立っていられないほどの強烈な振動と共に、床や壁全体に、スールが身につけていた服に浮かんでいた紋章のような模様が発光しながら浮かび上がる。
この状況、状態から推察するに……もしやインスタルトの制御機能と一体化して、島ごと落とすつもりか!?
想像しかけただけで、さっと血の気が引いていく。
「愛ノ名ノ下ニいイいイ!!」
いかん、完全に正気を欠いて自暴自棄になっている。
阻止しなければ。
行け、行くのだ。
痛みなど忘れろ。
気力の消耗による疲労など錯覚。
ここで動かねば、仕留めねば、全てが終わる。
皆の働きが、戦いが、何もかも全て無駄に終わってしまう。
「ぐっ……」
「無理するなアニン。心配は無用、奴の企む悪事、この俺が働かせはしないさ」
私よりも早く、ソルテルネ殿は動き始めていた。
そして追い越し様、
「ユー坊と弟のラレットに伝えてくれ。"約束を果たせず、済まない"と」
こんな言葉を残して、不格好に、不調和に肥大した体を器用に動かして疾走して、
「愛の悪魔とやらは、本当に愛情を持っているのかも知れないな。頭の中に達した時、ついでに教えてくれたよ。このような形の"愛"もあるとな」
もはや原型を留めぬスールの肉と鉄に飛び込み、己もまた同様の不定形へと変形した。
「堕落、堕落、堕落、堕落、堕落ゥゥゥゥ!」
待て、止めろ。
などとは口にできなかった。
私が冷酷非情な人間なのは既に承知している。
しかし、この場において、他にスールの暴挙を止められるような手立ては存在しない。
「ソオオオルテルネエエエエエエエ!!」
「まるで駄々っ子だな。勝ち目がないと悟ったら遊戯盤そのものをひっくり返す。そういう所も嫌いなんだ。
嫌いだガ……最期ハ一緒に付き合ッテやルヨ」
ああ、ソルテルネ殿の声が、雑音混じりになっていく……
「スキ? キライ? スキ? キライ? ゼンブイッショ、イッショ、ヒョウリイッタァァイ!」
「分かッタ分カっタ」
なだめるのに呼応するように、広間の振動や光が弱まっていく……!
「さア、あにン……こイツを落ち着カセテいル間ニ……俺ゴと斬レ!」
「ソルテルネ殿……!」
「同情ハいラナいゾ。最初カラ全テ覚悟の上ダかラな。そモソモ、いるすニ魂ヲ売り、愛ノ悪魔ニ体を食ワレた以上、俺ヲ待つノハ死か、第2ノすーるニナルかのイずレかダ。選択ノ余地は無イ」
「アァ……イッパイスキデ、キモチイイ……キライデ、ダメ……」
心臓と、金属でできた複雑なからくり仕掛けの箱、それぞれ2つ分融合させたような異形の物体が、モコモコと外部へと押し出されて露出した。
「ヤレ! コノ"核"を斬ッテ、仇ヲ討ち……守ルべキモノを守レ!」
「……承知!」
今更躊躇いなどせぬ。
望み通りにし、本懐を果たしてやるが我が最大の誠意。
「ツァイ帝国将軍・ヤウゴ=ドルフが一女、アニン=ドルフ、誇り高きウォルドー家が子息・ソルテルネ=ウォルドーの送り人とならん!」
用いる手法は、父から最初に教わった剣。
「そして、極悪非道の畜生の手にかかり、無残な死を遂げた母・マルボ=ドルフの仇、今ここで討たん!」
正眼に構えてからの、斬り下ろし。
ササ流も何も関係ない、ほとんど全ての剣術に共通する、ただの基本。
ただし、これまで繰り返してきた何万、何十万もの斬り下ろしよりも、高い質を込める。
全てを乗せる。
これが、最大の礼にして、復讐。
…………!
「……完璧ナ太刀筋ダ。すーるハ、死ンダ。オ前さンノ手柄ダ」
「ソルテルネ殿」
「そンナ顔ヲするナ。凛々しイ美人ガ台無シだゼ」
「嘘は感心せぬな。もう……見えておらぬ、のだろう」
「ばレタか」
「その姿では、誰が見ても分かる。……手助けはいかが致す?」
「気持チダケ受ケ取っテおク。最期ハ静カニ過ゴシたい」
「承知した。……最期にこれだけは伝えさせてくれ。……深く感謝する、ソルテルネ殿」
「俺ノ方コソ、感謝しテいル、あにン」
既に広間の振動は収まり、静寂が戻っていた。
壁の穴を通して外の様子を窺ってみたり、感覚で探ってみたりしたが、高度が落ちている様子もない。
すんでの所で何とか阻止できたようだ。
最早この場に留まる必要は無い。
「あア……会イたい……」
何故なのだろう。
ソルテルネ殿の微かな、か細い声を耳にすると、目が熱くなる。
視界が滲んで、よく見えなくなる。
重ねているからか?
代弁してもらっているからか?
心臓の奥で静かに揺らめいている、今の私の、この気持ちを……