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93話『愛に殉じるものたち』 その4

「効率だけを考えれば極めて正論だ」

「……ソルテルネ殿! それは……!」

「だが、こうして我が身の変化を受け入れても、何一つ幸福感など湧いて来ないがな。鋭い牙で何度も咀嚼されるような痛みと、獣の咆哮のような雑音ばかりがずっと、頭の中で響いている」


 ソルテルネ殿の右腕が、付け根から異形と化していた。

 持ち主の体格とは極めて不釣り合いな、大きく湾曲した一振りの剣。

 呪う剣・イルスが持ち主を浸食した結果であることは、誰の目にも明らかだった。

 しばらく静観していたのは、魔具の真の力を解き放つためだったのか。


「それはそうよ。魔具如きと愛の悪魔じゃあ、泥水と紅茶ぐらい違うわ。さあ、いらっしゃいソルテルネ。わざわざ濡らして待っててあげたんだから、たくさん動いてちょうだいな」

「そうさせてもらう」


 言うが早く、ソルテルネ殿が、これまでとは比較にならない力と速度で連続攻撃を繰り出し始めた。

 対するスールは、それを的確にさばきつつ、時には敢えて斬撃を受け入れ、直ちに再生を行う。


 正直、別次元だと、力の余波を肌で感じるだけで分かってしまったが……

 2人の"やり取り"を黙って見守っているほど、私はお人好しではない。


 奥義を使う時は今。

 予備動作なく剣を繰り出し、かつ実体を消して斬る――これぞ"天上秘幻"。


 ……仕留める!


「邪魔よアニンちゃん! 空気を読みなさい!」

「……がはっ!」


 私には……反撃してくるのか……


 いや、それどころではない……腹を……貫かれてしまった……


 いかん……視界が霞む。

 これは、致命傷だ……


 事前に渡された秘薬で……回復せねば……




 …………。




「…………っ」


 どうにか間に合ったようだ。

 それにしても凄い薬だ。

 これはきっと大悪魔・ミーボルートとただ独り戦っているミスティラ殿の役にも立っているはずだろう。


 さて、どうする。

 傷は癒えたが、勝機がまるで見えてきていないという事実は何一つ変わっていない。


 ……否、それどころか、状況は更に悪くなっているようだ。

 明確さを取り戻した視界の先に映っていたものは、全身を殴打された上、魔具の浸食が更に進んだ、ソルテルネ殿の無残な姿だった。

 色男の面影など、もはやほとんど消え失せてしまっていた。


 とりあえず、まだ息はあるようだ。

 スールによって無造作に衣服の襟首を掴まれてはいるが、ぶら下がることなく、自らの両足で踏み止まっている。


「……ねえ、ソルテルネ」


 己の挙動とは裏腹に、スールの人間側の表情や声色は、哀しげだった。


「やっぱりあたし、あなたを殺したくはないわ。この世界で誰よりも愛している、あなたのことを」


 気力が尽きているのか、何かを言うつもりもないのか、或いは完全に魔具に取り込まれてしまっているのか、ソルテルネ殿は無言だった。


「アニンちゃん、今邪魔したら……ブチ殺すわよ」


 こちらへの警戒も怠っていない。

 体の一部を悪魔に食わせたせいか、かつてほどの圧力はないが、この猛吹雪のような殺気……本気だな。

 ……動けない。


「……もう、イルスが頭の中に入りかけているのね」


 殺気で釘を刺しながら、哀しみで涙を流す。

 この期に及んで、更にスール=ストレングという存在の怪奇が深まっていく。


 ただ明確なのは、スールは性別や種族といった垣根を超越して、真にソルテルネ=ウォルドーを愛しているということ。


「本当は自分の意志で、これを受け入れて欲しかったんだけれど……」


 スールが大きく開けた口の中から、ミミズのようにのたうつ触手が現れた。


 まずい!

 あれを受け入れさせる訳には行かぬ!


「…………!」


 私は、動けなかった。

 阻止できなかった。

 殺気によって恐怖に縛られたからではない。


 言葉にこそしなかったが、確かにソルテルネ殿は横目で私に訴えたからだ。


 ――来るな。止めるな。


 と。

 信じて良いのだな?

 本当に傍観していて構わぬのだな?


「いい子ね、2人とも。心配しなくても、後でちゃあんとアニンちゃんにもあげるから」


 不要、と反抗せぬ方が、ソルテルネ殿にとっては都合が良いのだろう。

 ならば飲み込もうではないか。


「大丈夫よ。悪魔になっても、性別に関係なく、人として大切な"あの場所"は生物のまま、温もりが残るから。体と体で愛し合うのに支障はないわ。……行くわよ」


 それを最後にスールが、一度は飲み込んだ"愛の悪魔"を再び吐き出し――ほとんど身動き取れぬソルテルネ殿の唇を奪った。


 別に、生物学上の同性同士での接吻を目撃しても、不快感など湧きはしない。

 ただ、不安だった。


 それでも、長く、深い口付けを、見ているほか術がない。

 斬りかかれば、いや、気を練っただけでも、ただちに行為を中断して標的を私に切り替え、肉塊に変えるだろう。

 無駄死には避けなければならぬ。

 今はただ伏して、心を鎮めて、待て。

 きっとソルテルネ殿が、転機を示してくれる――






「…………ッ!?」


 来た。


 ……が、これは?

 ソルテルネ殿とスールが、同時に苦しみ始めたではないか。


 しかも、苦しみ方の質が違う。

 ソルテルネ殿は喉を押さえているが、スールの方は、腹部を押さえて、しかものたうち回っている。


 一体何が起こっている?

 何故スールの方まで苦しんでいる?

 もっと言うと……愛の悪魔とやらを流し込まれたはずのソルテルネ殿の方が、回復が早い。

 体を震わせながらも、懐から先程私も服用した秘薬を取り出し、


「……本当に人として大切な部分は生物のままのようだな。お前の言う"愛の悪魔"とやらも、本当に食糧危機を救うのか、怪しいものだ」


 飲み干して傷を回復させたソルテルネ殿が、ここぞとばかりに皮肉を込め、饒舌に語り出す。


「これぞ本当の種明かし、といった所か。既に知っているだろうが、改めて説明してやろう。今お前の体内に流し込んだのは、ツァイの大森林の奥深くにそびえる、ウォイエンの大樹でしか取れない豆だ。超希少な超高級品だぜ。1粒口にすれば、30度太陽が昇り降りする間、餓えを忘れられる優れものだ。それに味も、魂が天に昇るほど極上だと言われているんだぜ」


 まるで台本に書かれた台詞をそのまま音読しているような、嘘臭さのある口振りだった。


「それとこれも知っているだろうが、今の説明は大嘘だ。正体は、3日間は土石流の如く排泄が止まらなくなる下剤さ。レサンヌ以外には許したくなかった唇を奪ったんだ。しっかり味わってくれよ。"お近づきのしるし"にな」

「て……てめえええええソルテルネ! いくら温厚なあたしでもこれは許せるもんじゃあねえわ! よぐも、よぐも……!」


 化けの皮が剥がれる、とは正にこのことだろう。

 苦悶と憎悪で、スールの表情が醜く歪み、吐き出される言葉は呪詛じみていた。


 こちらへの注意が完全に欠落していたのを見逃すほど、私は優しくはない。


三千鶴みちづる!」

「ぐおおっ!」


 全体をくまなく狙う高速の連続突きは、確かにスールの肉体に損傷を与えることに成功した。


「良いぞ相棒。見事な不意打ちだ」

「ソルテルネ殿、それは……!」

「これか。気にするな。想定の範囲内だ」


 ソルテルネ殿の身が、スールのように、蠢く金属によって浸食され始めていた。

 喉の下辺りから、肉を食い破った愛の悪魔が姿を現し、少しずつ肉を鉄に置き換え出す。


 魔具と悪魔、両方に体を食われてしまうなど、これでは、もう……

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