93話『愛に殉じるものたち』 その1
ユーリ殿に先へ行くよう促された後、残されたのは私とソルテルネ殿だけになったが、道中での困難は何一つ無かった。
『――そう、次は右から3番目の道に入って、そのまま真っ直ぐ進んで。ええ、いいわ。奥の扉に入って』
我々2人だけになった少し後、急にスール=ストレングがまた頭の中へ直接話しかけてきて、己のいる場所までの道案内を始めたのだ。
『早く会いたいわ、愛しのソルテルネ。それにアニンちゃんともね』
何を企んでいるのか、皆目見当がつかぬ。
しかし、この期に及んでスールが偽りを口にするとは思っておらぬ。
事実、罠も何もなく、最短と思われる経路でどんどん上へと進んでいけた。
道中、ソルテルネ殿との会話は一切無かった。
精々、スールからの声が聞こえた時、顔を見合わせた程度だ。
気を張っているからと言うよりも、それ以前に今更打ち合わせをすることなど何もない。
私はソルテルネ殿を信用しているし、ソルテルネ殿も私を信用しているはずだ。
我々は2人で一対の剣、二刀流。
どちらの剣で敵を討つかは問題ではない。
その時斬れる方が斬る。それだけだ。
誇張抜きで、世界の命運を賭けた一戦を目の前にしているというのに、心は静かだった。
高揚感も、恐怖も、ひどく希釈されている。
ただ"今"に在ろうとだけしている。
今度こそスールを殺す、という目標だけが、視界の正面に在る。
非常に良い精神状態ではないだろうか。
しかしそれは同時に、戦友たちへ振り分ける感情さえほとんど存在していないということも意味しているのだが。
たった独り、大悪魔・ミーボルートに挑んだミスティラ殿。
落とし穴に消えていったシィス殿。
そして、巨大な悪魔に挑んでいったユーリ殿、タルテ殿、ジェリー。
皆のことがどうでも良くなった訳ではない。
勝利を願っている思いに偽りは無い。
信頼、と言えば聞こえはいいが……実際の所は、己のことで手一杯になっているだけかも知れぬな。
世界の為というより、自分の為に戦おうとしているのだから。
母をあのような姿に変えた憎き相手を、必ず殺す、と。
まあ、良いのではないだろうか。
スールを殺すことは、皆の配慮に報いることに繋がり、世界の救済に繋がることもまた事実だ。
『――そこの階段をずっと上がっていくと、目の前に転移魔法陣のような移動装置があるわ。そこに入ってちょうだい。そうすれば、最上部へ着くわ』
いよいよ、目的地への到着が近いらしい。
指示の通り階段を上がり切ると、行き止まりになった小部屋があり、中央に光を放ち続ける場所があった。
「行くぞ」
休息も取らず、何の準備もせず、久しぶりに口を開いたソルテルネ殿が、移動装置に向けて歩き始める。
やれやれ、意外とせっかちな御仁なのだな。
もっとも私とて止めるつもりはなく、ソルテルネ殿同様、すぐにでも向かいたかったのだが。
光の円の中に足を踏み入れるなり、すぐ視界が真っ白になる。
この装置の正体を考察しようなどという考えはなかった。
すぐに視界が元に戻ったのが理由ではない。
全身の隅々にまで"気"が行き渡っているのを確かめ、最上部の様子を探る。
簡潔に言い表すなら……聖竜王・トスト様のおわしていたイースグルテ城、白の塔にある謁見の間と酷似していた。
六角形を並べた七色水晶の床、同じく周囲には六角形の柱、浮遊している水晶、夜空を映す透明な天井……
イースグルテの方がこの場所と似せて建造したのだろうか。
では、あの奥にある、塔の如くそびえる水晶の背もたれを持つ椅子が玉座という訳か。
そして、そこに足を組んで悠然と坐しているのが――王。
「ようこそ、ソルテルネ=ウォルドー、それと、アニン=ドルフ。このスール=ストレング、インスタルトを統べる王として歓迎するわ」
滑稽なことだ、と容易に一蹴できない威容が、確かに備わっていた。
正にこの異様な浮遊島に君臨する存在として、それに相応しい姿形をしていた。
紋章のようなものが浮き出た、体に密着した黒い服を身につけ、顔の一部が悪魔のように金属化している。
"愛の悪魔"とやらに食われ、取り込まれかけた影響だろう。
手足の指先まで服によって黒く覆われているが、恐らく四肢も悪魔と一体化しているのではないだろうか。
「……更にいい男になったわね、ソルテルネ」
スールは陶酔的とも言える笑みを浮かべようとしていたが、悪魔の浸食のせいで、ぎこちないものになっていた。
「愛の範疇がどれだけ広がっても、やっぱりあたしにとっての最高はあなた。もうさっきからドキドキが止まらないわ」
「心臓は悪魔になっていないのか」
「人のままだけど、すぐ傍にもう1つ新しく、悪魔の心臓が埋まってるわ。ここに」
ソルテルネ殿の受け答えは淡々としていて、眉一つ動かしていない。
「アニンちゃんも中々ね。最後に会った時よりも素敵になったわよ」
「私は"中々"なのか。心外だな」
別に称賛を求めていた訳ではないが。
「それよりも、ソルテルネ殿に切り刻まれ、藻屑のように海を漂い、烏に啄まれる死肉のような扱いを受けながらも、よくものうのうと生きていられるものだ。見苦しいな」
「やっだ~! アニンちゃんったら辛辣ぅ~!」
嫌味をたっぷり浴びせてやったというのに、相手は恥ずかしそうに椅子の上で身を捩らせるのみだった。
「あたし、死ねないわ。世界中の全ての生き物に愛をブチ撒く使命があるんだもの。死んでなんかいられないわ」
後半の方は、真剣そのものといった表情で返される。
「まるで話が噛み合わぬな」
「噛み合わせは抜群よぉ。途中、皆さんで乗り込んできてからあなたたち2人だけになるまでの間、罠たっぷりの迷路があったでしょう? あれ、あたしが演出してあげたのよ。面白かった? ちゃんと進める進路を用意して、考えれば攻略できるように難易度を調整する……設計者の鑑よね~!」
やはり噛み合っていないではないか。
最早突っ込みを入れることにも疲れたので、こうして心中に留めておくが。
「聞かせろ。他の連中は今、どうなっている? お前なら把握できているのだろう」
ソルテルネ殿が静かに尋ねる。
私に代わってそうしくれたのだろう。
「教えてあげたいけど、教えてあげない」
人間側の目をつぶり、人差し指を唇に添え、スールが返す。
「意地悪したいからじゃあないわ。だって安否が分からない方が、盛り上がるでしょう?」
「では速やかに方をつけ、確認しに戻るとしよう」
「もう、アニンちゃんったらヤリたい盛りなんだからぁ。まあいいわ。そろそろ愛し合いましょうか……と言いたい所だけれど、その前に見せたいものがあるの」
またこの面妖な生き物はこちらの意気を削ぐようなことを……
「あなたたちを待っている間、時間があったから、また久しぶりに創作活動をしてたのよ。ほら、これを見て!」
スールが指を鳴らすと、前方の床に突然光の楕円が出現して、何かが姿を現した。