92話『影で動くもの』 その3
「……すみません。色々と不安で混乱していまして。ユーリさんもここに来てはいますが、今の居場所は分かりません。途中ではぐれてしまったんです」
ここは、正直に答えた方がいい。
「ふーん」
自分で聞いておきながら、まるで興味が無さそうに鼻を鳴らす。
これは失敗せずに済んだと、過去の経験から判断する。
「クソオカマは?」
「この塔の最上部にいるはずです。私達は今、そこに向かっている最中です」
「チッ、やっぱりか。透明な壁があって、空からじゃあ近付けなかったし」
素直に話したのは、この人とスールをぶつけられれば……という狙いもあった。
共倒れになってくれれば一番ありがたいが、どちらかが傷を負ってくれるという展開でもいい。
その方が、我々の勝算は増す。
仮に道中、ユーリさんたちと遭遇したとしても、殺傷に至る可能性は低いはず。
ウォイエンの大樹での出来事が根拠だ。
「通路は罠が多く、迷路になっていて複雑なので、天井を破って上に行った方が近いと思いますよ。そこまで頑丈でもないようですし」
「へえ」
このような手合いは、どの道苛立ちが募って不満を溜めれば激昂して言葉通り大爆発するので、最初から情報開示して誘導した方が結果的に被害は少なく済む。
マイナス100より、マイナス50の方がいい。
「あの、私を見逃して頂けないでしょうか」
ここでもう1つ、要求を通してしまおうと考えた。
「は?」
「あなた様の力は、以前のやり取りで痛いほど理解しています。私は、ここで死にたくはありません」
死にたくない、というより、無駄死にはできないと言った方が正しい。
勝ち目の見えない戦いをしても仕方がない。
どんな手段を使っても生き延びて、私ができることをやった方がいいに決まっている。
「……」
「あなた様の邪魔をするつもりは全くありません。ですから、どうかお願い致します」
攻撃されたら一巻の終わりだと分かってはいたけど、敢えて深々と頭を下げた。
頼むから、このまま何事もなく立ち去って……
「ふーん……そこまで言うなら、土下座してお願いしてみなよ。そうしたら勘弁してやるからさ」
「……! そ、それは……」
「何だよ、できねえの? んじゃやっぱ、殺しちゃおうかな~」
「……」
心の中に湧き上がっていたのは、躊躇いでも屈辱でもなく、喜びに近い感情だった。
よし、上手く行っている、と。
相手がこのような要求をしてくる可能性はあると、既に想定済みだった。
別に、土下座なんてどうということはない。
元来私は卑屈さには自信のある人間だ。
敢えてこんな引っ張り方をしているのは、躊躇なくやってしまっても意味がないからだ。
相手が望んでいるのは土下座そのものではなく、私の自尊心を踏みにじることだろうから。
「おいおい、何固まっちゃってんの?」
「ちょ、ちょっと待って下さい! ……分かりました、土下座をすれば、勘弁して頂けるんですね?」
ここからが重要だ。
迫真の演技をしなければ。
大げさになりすぎないよう、自然に耐え難い悔しさを滲ませる。
顔を歪めて、体を震わせて……
「お願いします……命だけは……命だけはお助けを……」
「……ぶっ、ぶははははは! いいね~、いい感じ!」
よしよし、喜んでる。
「じゃあついでに、犬の真似でもしてもらおっかな~」
これも予想の範疇だ。
「……ワ、ワンワン、ワンワン」
挙動も含めて真似には自信があるけど、敢えて躊躇いを見せ、下手にやる。
「ギャハハハハ! ウケる! マジウケんだけど! あ~、スマホがありゃあな~、撮影してサイトに上げてんのに」
嘲笑されても、別段屈辱感などは湧いてこなかった。
安堵もしない。
命が助かるか、助からないかは問題ではない。
重要なのは、任務を果たすこと。それだけ。
「分かった分かった、あんたの気持ちはよ~く分かったよ。面白かった」
やった、切り抜け……
「面白すぎてやっぱ気が変わっちゃった」
「……!」
「オカマ野郎の前にお前でウォーミングアップしとくのも悪くないよな。お前も結構すばしっこくてうざかったもんな、忍者みたいに。てことで、悪いけどやっぱ死んでよ」
「ま、待って下さい! 他にも豚の真似とかもできますよ! あと笑いを取れること間違いなしの不思議でヘンテコな踊りとか!」
「う~ざ~い~! もういいって!」
……駄目か!
仕方ない、応対するしかない!
逃走は……最後の手段だ。
通路側では何が待っているか分からないし、穴から外へ逃げるにも、空中では圧倒的にこちらが不利。
何より、暴走されるのが最も危険だ。
「必死こいて抵抗しろよ。でも逃げんなよ~、ウォーミングアップになんないからさ」
勝算は限りなく低い。
先の戦いで痛いほど思い知らされている。
勝機を見出すなら――短期決戦。
あの爆発波を使われれば、全て終わってしまう。
調子に乗っている今の内に、速やかに倒す。
それか最悪……後に戦うかもしれないユーリさんたちのために、少しでも戦力を削っておければ……
「……! ユーリさん!? 来ちゃ駄目です!」
「はあ? 悠里?」
相手が通路の方を見たと同時に、床の上を滑らせるように煙幕弾を投げる。
姿を隠しながら、すぐに発煙!
「……はっ、バーカ、そんな手に引っかかるかよ!」
相手が、"通路とは正反対の方向に投げておいた"煙幕弾の方へ、光の円盤を次々放つ。
「でもって、本命が接近して襲いかかってくるって寸法だろ。バレバレなんだよ! ……あれ?」
光の障壁を張ったまま、相手が呆然としているのを、私は別角度の物陰から観察していた。
単なる布石のつもりだったのに、まさか初手で引っかかるとは。
「どこ行きやがったクソメガネ! 出てこい! ああうぜぇぇ!」
「……ど、どうも」
素直に従ったのは、相手の"爆発"を避けるためだ。
それに、鋼線の"準備"は済ませてある。
「へぇ、やけに素直じゃねえの」
「改めてお願いします。見逃して頂けないでしょうか」
「やだね!」
大仰な予備動作からの光線を、ギリギリの所で回避する。
「いい加減にして下さいよ! だったら私も、応戦しますよ!」
「面白いじゃん、やってみなよ!」
左手に持った銃で光線を撃ち返すが、相手の障壁を突破することはできなかった。
やはりこれでも届かないか。
「チャカ持ってたのかよ。でも甘い甘い!」
「このポンコツめ……だったらこれで!」
銃を捨てた後、すぐに右手の光の剣を……投げる!
「そんなの当たる訳ねえだろアホ!」
あっさりと障壁に跳ね返されてしまった。
「それだけかよ。無防備に近付いてきやがって。死ね、バーカ」
攻撃が……来る!
ここだ!
捨てた剣と銃を――鋼線を巻き取って手繰り寄せる!
「な……っ?」
攻撃の時は、障壁を解除せざるを得ないことは分かっている。
また、攻撃に意識が向いている最中なら、防衛本能も鈍る。
握り直した光の剣で、相手のかざした右腕を切り裂く!
「……え?」
まだだ。
血がしぶくよりも早く、今度は左手の銃で、撃てるだけ頭部を撃ち続ける!
相手がのけぞっても、顔面が焼け爛れ、焦げても、撃ち続ける!
頭部が完全に崩れて無くなっても、胴体部分を……
……くっ、弾が……撃てなくなった……
……でも。
「はあ、はあ、はあ……」
……やった、やった、やった!
上手く行った! 始末できた!
誰かを手にかけるという任務を果たした時に喜びや安堵感を覚えたのは、これが初めてだ。
極めて不謹慎な感情だとは分かっているけど……でも!
「……やったああああ!」
出くわした時はどうなるかと思ったけど、これで脅威の1つは排除できた。
後は当初の予定通り、悪魔の増殖の阻止を行わなければ。
どっと疲れてしまったけど、ここで立ち止まっている暇はない――……。