91話『分かたれるものたち』 その3
「きゃっ……!」
そう認識した瞬間、巨大な悪魔が全身から薄光を放ち始めた。
悪魔の背中に繋がっている、大小数十もの管が波打ち始め、液晶も次々と発光し、図表や数式のようなものが浮かび上がる。
先制攻撃を仕掛けた方が……と考えかけた時点でもう、髑髏のような頭部に開けられていた眼窩に光が灯っていた。
「なるほど、あれがギガ・シガ……さしずめ魔王のご登場ってか……!」
空間全体をビリビリ揺るがすような警報音や電子音がひっきりなしに鳴り響く中、こいつとの戦いを避けられないことを悟る。
……よし。
「お前ら、先に行け」
「ユーリ殿」
「これ以上グダグダ時間取られてる暇はねえ。ほれ、あれ。あそこの階段から上に行けるみたいだ。構わねえで行けって」
左右の壁付近にそれぞれ、大きな螺旋階段が高い天井に向かってずっと伸びていた。
「ソルティ、あんたさっき言ったよな。最優先はスールの始末だって。だったらここでこんな奴相手に全員でダラダラやってる暇はねえだろ。そもそも最初からスールとはお前ら2人だけで戦うつもりだったんだろ?」
「お見通しだったか」
「当たり前だろ」
「……ねえ、ユーリ」
「あ、そうそう。タルテも一緒に残ってくんねえか。本当は俺一人でもいいんだけどよ……お前と離れたくねえんだわ」
「……!」
「ほほう、あの"やらずのユーリ"とまで呼ばれた御仁が、随分積極的になったものだな」
「うるせえよ」
「了解した。すまないが任せたぞ。それと花精のお嬢さんも、お前さんたちの傍に置いてやれ」
「……分かった」
ジェリーにはなるべく、お前らとスールの戦いを見せたくないんだろ。分かってるよ。
「では、この場は頼むぞ。ユーリ殿、タルテ殿、ジェリー」
「ああ、任せとけ。さっさと片付けて、すぐ追いつくからよ」
「お姉ちゃんたちも、頑張ってね」
「よっしゃ、んじゃ作戦開始だ。掴まれ!」
アニンとソルティをブラックゲートで螺旋階段の上方まで転送してやり、
「また後でな」
「勝てよ」
「当然!」
すぐさま下へ戻る。
「さーて、魔王様との戦闘開始だ!」
それにしても、これまた不気味な姿をしてやがる悪魔だな。
頭部は髑髏なのに、胴体の方はでっぷりしていて、腹が異様なまでに膨れ上がっている。
腹は金属製でなく、護謨のような材質でできているんだろうか。
腹から下の部位がない代わりに、左右からはまるで千手観音みたく無数の細い手が伸び、独立して不気味に蠢いている。
そして何より……デカい。
20メーン近くはあるぜ。
「お兄ちゃん! ジェリーたち、どうすればいい!?」
「心配すんな! 作戦はバッチリ考えてあるぜ!」
とはいえ、ミーボルートに比べりゃあ……
たった1人であいつと戦っている、ミスティラのことを思えば……
こんな奴、大したことはねえ!
それぞれ武器を構えた所で、魔王の全身が激しく震え出した。
これまでの戦闘経験で磨かれた勘が、ビンビンに告げてくる。
あれは……やべえってな!
「2人とも下がれ!」
指示出しと同時にホワイトフィールドを全力展開した直後、魔王の胸部が扉のように開き、内蔵されていた照明器具のようなものが露わになったかと思うと、強烈な光と衝撃波がそこから放たれた。
「くっ……!」
ビリビリと障壁が震える。
けど、俺の"力"はこんなんで破れるほどヤワじゃねえ!
幸い、光の衝撃波はすぐに収まった。
「大丈夫だったか」
「ええ」
「うん」
2人の安全を確認すると同時に周囲の様子も見てみたが、壁や床はおろか、端末や階段も無事だった。
威力が低いんじゃなく、内装が恐ろしく頑丈か、そもそも今の衝撃波の影響を受けない材質だからだと見るべきだろう。
「中から悪魔が……!」
タルテが声を上げる。
胸部が閉ざされた代わりに、今度は膨張していた腹部が裂けるように開き、中から次々と何かが出てきた。
泡のような膜に包まれ、蹲るような姿勢を取った悪魔だった。
胎児を思わせる形状に、抑えがたい生理的な嫌悪感が込み上げてくるが、今更怯んでる場合じゃない。
「食らいやがれ!」
広範囲にレッドブルームを放つと、悪魔の胎児はあっさり蒸発した。
どうやら耐久力はさほどでもないみたいだ。
「……うげっ」
ただ、数が多すぎる!
魚類か両生類の産卵かと言いたくなるぐらいにボコボコ出てきやがる!
「――風と鎌を掛けて、駆ける先へ切りかけて、"急ぎの刈り手"!」
「やあっ!」
背後から、ジェリーの風系統魔法による刃とタルテの矢が飛んで、浮遊する悪魔を次々切り裂き、射抜いて撃ち落とした。
「わたしだって、足手まといになるために来たんじゃない!」
「ジェリーも!」
「そう来なくっちゃな! 腹から出てくる奴らは頼んだぜ! 俺は本体をぶっ叩く!」
「わかったわ!」
「まかせて!」
どこを狙えば……どこが弱点だ。
顔面にクリアフォースを放って牽制し、回り込みつつ考えをまとめ上げていると、夥しい数の腕が襲いかかってきた。
手が槍のように鋭くなっているものもあれば、掌が燃え盛っているものもある。
「しゃらくせえ!」
避けつつ、斬れるものはぶった斬る。
こんなすっとろいのに当たるかってんだ。
「オラオラ! 剪定しちまうぞ!」
煽ってみたものの、心の中では疑念が渦巻いていた。
その予感は見事に的中し、切り落としたはずの手が、生物のように生々しく蠢いて次から次へと元に戻っていく。
やっぱりこいつも再生能力持ちか。
しかも"帰れずの悪魔"よりも早え。
さっきクリアフォースで顔面に食らわせた負傷も治ってやがる。
こりゃ消耗狙いは完全に無駄だな。
「うおっ!」
発光した魔王の両目から赤い光線が放たれたが、ブラックゲートで敵後方へ緊急回避。
回避先に敵後方を選んだのは、背中の管を狙おうと思ったからだ。
ここをぶった切れば、再生の供給源を断ち切れるかもしれない。
最悪、再生を遅らせるぐらいは……
跳躍し、大包丁を振りかぶったその時、今度は背中が開き、長身の人間くらいある花の蕾のようなものが次々と射出された。
「まためんどくさそうなのを……」
うんざりしていると、急停止と急発進を繰り返しつつ不規則な軌道を描き、俺を包囲しながら蕾が開かれる。
中にあったのは、砲口。
そして案の定、四方八方から光線が発射されてきた。
「ちっ、鬱陶しいな」
かわしてる余裕はねえ、ホワイトフィールドで防御だ!
「……!」
さっきの光の衝撃波や、目からの光線に比べりゃ、一発の威力は大したことねえみてえだ。
攻撃続行!
「……っらぁ!」
大包丁を切り上げ、中に人が立って入れるくらい太い管の一本をぶった切ってやった。
波打つ管から、刺激臭のする琥珀色の液体が噴き出す。何だこりゃ。
いや、気にしてる場合じゃねえ。一旦戻らねえと。
蕾の何個かが、タルテたちの方に飛んでったからな。
「大丈夫か!?」
大丈夫どころの話じゃなかった。
花開いた蕾が次々と光線を浴びせかけていたが、その全ては2人に全く届くことなく、ホワイトフィールドにも若干似た、薄紅色の障壁に遮断されていた。
あれは確か……"安穏たる郷"。
花精が使える風系統の防御魔法だ。
ヴェジの枝で魔力を強化されていることを差し引いても、ここまで強固な防御を……
更にはタルテが、魔眼のついた武器――メルドゥアキの弓から次々と"力"を帯びた矢を撃ち放し、百発百中の精度で花弁を射抜いて破壊していた。
その表情には必死さこそあれど、焦りや恐怖は見られない。
惚れ直しちまうぜ。
2人とも……本当に強くなったんだな。
「俺も手伝うぜ!」
残りの蕾と花弁を一掃した時だった。
再び、魔王の全身が激しく震え始めた。
またあの光の衝撃波をぶっ放す気か!
ホワイトフィールドで……
「……!?」
しかし、今度全身から放ってきたのは、光ではなく、"闇"の波動だった。
夜よりも昏く、深海よりも深い黒で、空間が一瞬のうちに塗り潰される。
しかも、単なる視界封じが目的じゃないようだ。
「……何、だと!?」
"力"が消えていく感覚。
「……ホワイトフィールドを……かき消された!?」
嘘だろ!?
力任せにぶち破られることはあったが、障壁そのものを消されるなんて……!
こんなこと初めてだぞ!
魔王の野郎、とんでもねえことをしてきやがった。
「お兄ちゃん! ジェリーの魔法も消えちゃった!」
背後から、ジェリーの上擦った声が飛ぶ。
この闇の波動は、元々の属性に関係なく、問答無用で防御を無効化するって訳か!
……ここで攻撃されでもしたらまずいな。
「……!」
そのまずいことをやる気満々らしい。
闇の中、不気味な機械音、駆動音が、魔王の方から聞こえてくる。
ざけんな! こんなもんで俺がビビるか!
「レッドブルームで部屋の隅を照らす! 急いで陰に隠れて伏せてろ!」
出入口が閉ざされ、脱出できない状況ではこれが最善だ。
幸い、攻撃までは封じられてなかったようで、炎の華が、闇に閉ざされた空間の一部を照らし出した。
2人が行動を終えたのと同時に駆動音が止み、魔王のいた辺りから、闇を裂いて、黄金色の光線が奔り始めた。
放たれたのは三発だけだが……速すぎる!
しかも不規則な反射を繰り返していて軌道が読めない!
反射するたびに光線の輝きが増して、確実に、こっちに近付いて……狙ってやがる!
避け……られねえ!