15話『ヤマモ、人を喰う鬼』 その1
闇の先に、小さな火が揺らめいていた。
いつのまにか道に迷ってて、コラク村に戻ってきましたってオチじゃないだろう。
ましてや人魂でもない。
人の言葉を話せるってんだから、火を起こして使えるくらいの知能もあるんだろう。
肺の中がカラッポになるくらい、細く長く息を吐く。
胸の違和感は消えてないが、心は静かだった。
よし、行くか。
さっきまでよりもいっそう慎重に、足を進めていく。
なるべく音を立てないように、気取られないように。
こちらから先に発見した以上、もはや存在を気付かせる必要性はない。
雨が少し強くなってきたようだ。
鬼の方がどれだけ鼻が利くのかは分からないが、こっちの臭いを消すにはますます都合がいい。
念の為、傘代わりに使っていたホワイトフィールドを解除する。
できる限り違和感は消しておきたかった。
近付くにつれて、火が段々と大きくなっていく。
加えて、だいぶ夜に慣れた目が、周辺の地形を漠然とだが捉える。
どうやら洞穴があって、そこの入口辺りで焚火をしているようだ。
人食い鬼の姿はまだ見えない。気配もしない。
一度立ち止まり、冷えた頭で策を考える。
今の腹具合なら、もうちょっと距離を詰めれば力が届くはず。
相手の姿を目視できたら、クリアフォースなりレッドブルームなりで、遠距離から一方的に攻撃して仕留める。
あるいは崖を攻撃して洞穴を埋めちまってもいい。
仕留め切れなくても、多少なりとも負傷させられるはずだ。
戦いを有利に運べるだろう。
よし、作戦は立てられた。
あとは実行に移すだけだ。
……クソッ。
頭じゃ分かっているのに、どうしても体が素直に動いてくれなかった。
今や全身を蝕むくらいに、胸の違和感が強くなっていた。
何やってんだ、俺の体。
いや……最初に感じた時点でそうだが、原因はとっくに分かってる。
つまるところ、"納得"してないからだ。
人を食うという鬼を、一方的に悪だと断じてしまっていいのか、と。
俺達人間だって、一方的に動物や魚の肉を食っている。
それは自然の摂理って言ってもいいだろう。
でも、逆に言えば、人間だって他の生き物に食われちまっても仕方がないんじゃないのか?
他の生き物にだって、食って命を繋いでいく権利はあるはずだ。
そりゃ、普通は死にたくなんかないし、痛みや苦しみも避けたい。
必死の抵抗だってするだろう。
とはいえ結果的にそうなっちまったとしたら、仕方のないものとして受け入れるほかないんじゃないだろうか。
分かんねえ。
分かんねえけど、話ができるほどの知性を持つならば、やっぱり最初に確かめなきゃいけないと思った。
これから戦う人食い鬼が、快楽で人を殺し、いたずらに喰らっているのかどうか。
村の人達の言葉だけじゃなく、実際に自分の目と耳で。
たとえどんな結果が待っていたとしても。
他の人間が聞いたら、正気じゃないとか色々言われそうだが、しょうがない。
そう覚悟したら、台風の後の青空のように、胸のモヤモヤは吹っ飛んでいった。
悪天候の只中にいるってのに、めちゃくちゃ爽やかな気分だ。
やっぱ俺、一回死んでどっかおかしくなってるのかもな。
もうノソノソ進むのはやめだ。
滑って転んだり、罠(あればの話だが)にかからないことにだけ気を付け、ザクザク道を進んでいく。
ただし大包丁だけは用心で握っておくことにした。
すると、ついに異変が起こった。
視線の先にあった火の一部が、影によって遮られる。
同時に微かに漂い始める、生命の気配。
1……2体か。ゆっくりと動いている。
向こうもこっちの存在に気が付いたってことだ。
……よし。
「おーーーい!! ヤマモーーーー!!」
なんか俺、いっつも乗り込む時は大声張り上げてる気がするな。
それはともかく、これで後戻りはできない。
さあ、どう出る、人食い鬼。
「……人間、ですか? このような雨の夜に、何かご用ですか?」
思わず一瞬、返す言葉を失ってしまう。
声こそ予想通りで迫力のある低音だったが、言葉遣いや口調がやたらに丁寧だったから。
「話がしてえんだ! そっちに行ってもいいか!?」
「…………お待ち下さい」
少しの沈黙の後、戸惑いがちな声が戻ってきた。
そして、火の数が一つから二つに増える。松明か何かに火を灯したんだろう。
「……なるほど、確かにすげえな」
照らし出された人食い鬼の姿を見て、思わず漏らしてしまう。
頭に生えた二本の角、緑の体色、3メーン近くはあるだろう体躯。
村長さんの話に違わない外見をしていた。
「あなたは一人ですか? 灯りを持っていないのですか?」
「ああ、俺一人だ」
答えながらレッドブルームで火を起こし続け、証明と照明を同時に行う。
「分かりました、それではこちらへどうぞ。足元にお気を付けて」
声色にはまだ警戒の硬さが残っていたが、許可は出た。
ヤマモの元へと足を進めていく。
間近で見ると、強烈な見た目をしてるのが改めてよく分かる。
そっと触れるだけでスッパリいきそうなくらい鋭い牙と爪、黄色く濁った目。
これで人里へ現れた日にはもう大混乱確定だろう。
ただ意外だったのは、意外と姿に清潔感があったことだ。
牙や爪はつやこそないものの磨かれたみたいにきれいだし、身に纏っている布もボロではなく、きちんと洗濯や補修がされているように見える。
これも人間を惑わすための身だしなみなんだろうか。
いやいや、それを確かめるためにこんな手を打ったんだろうが。
「あなたは、コラクの村の人ではありませんね」
村長さんの言った通り、やたら流暢に人の言葉を話すようだ。
「ああ。村の人達に頼まれてここに来た」
「では、私のことを聞いているはずですよね。あなたは私を恐れないのですか?」
「正直、多少はビビってるよ。でも個人的に話し合いをしたくてね」
「……それではどうか、武器を収めて頂けないでしょうか。私にあなたを襲う意志はありません」
「隙を見て騙し討ちしようってか?」
「そう捉えられてしまっても仕方ありません。どうしてもと言うのであれば、無理強いはしませんが」
あくまで個人的な印象論でしかないが、欺くための演技には見えない。
とりあえずは信じてみてもいいか。
大包丁がなくても攻撃や防御はできるし。
「ありがとうございます」
「んじゃ、話そうか」
「では、私どもの家へどうぞ。人間にお出しできるようなものは何もありませんが」
「いやいや、お構いなく」
ヤマモに案内され、俺は彼らの住処である洞穴に足を踏み入れた。
特に不快な臭いはなく、中からは二つの気配がする。
遠くから探った時よりも数が一つ増えているのは、ヤマモ側に騙す意志があったからじゃなく、単に俺の読みが浅かっただけだ。
解答はすぐ目の前に現れた。
「人間……ですか?」
奥の方で、全く同じ顔をしたヤマモがもう一体座っていた。
声まで一緒だ。
ただし纏っている布が違っていたり、胸の盛り上がりがあるから、見分けがつかない訳ではない。
恐らくこっちは奥さんだろう。
「コラクの村人たちに依頼されて訪ねてきた方だ。我々を脅かすつもりはないそうだから、安心していい」
「ど、ども」
やっぱりヤマモ(妻)も困惑、というより警戒していた。
「……お客さん?」
そして彼女の背後、行き止まりの所から発せられた、幼さが多分に残っているざらついた声。
目を凝らすと、藁と布を敷いただけの簡素な寝床に、ヤマモの小人版が横たわっていた。
「妻と息子です。息子の方は病にかかっているゆえ、臥したままでの非礼をお許し下さい。人間に感染するものではありませんのでご安心を」
「いや、知らなかったとはいえ、俺の方こそ悪かった」
一度出直したい所だが、あいにくそんな時間的余裕はない。
許してもらおう。