90話『意志を引き受けるもの』 その2
「……このッ!」
幾ら撃ち抜いても、
「……このッ!」
幾ら凍り付かせても、
「……このッ!」
幾ら焼き尽くしても、
「……このッ!」
幾ら狂わせても、きりがない!
大悪魔の応対もせねばならないというのに……!
「まったく、猫も杓子も……少しは遠慮したらいかがかしら。ローカリ教の信徒として、その健啖ぶり、看過しかねますわ」
せっかく回復させた生命力、魔力が、再度削られていく。
死、という概念が、再び具体的な輪郭を帯びて近付いてくる。
ですが、精神の力は、それらと反比例して充実していく。
研ぎ澄まされていく。
まるで、優れた刀匠の手で、名剣が高熱と冷水によって鍛え上げられていくように……!
大悪魔の動きが、見える!
悪魔の群れが、一つの大きなうねりとして把握できる!
大悪魔の放つ刃も、球も、矢も、息吹も、最小限の守りと回避で凌げるようになったとはいえ、必死であることには変わりありませんでした。
ここでわたくしが斃れれば、この者どもが塔の中へ入り込み、先行した皆様に害を及ぼしてしまうかも知れません。
それは絶対に許されることではありません。
必ず、この場を守り抜き……大悪魔を討つ!
未来も、愛も、何も望まない。
命など、惜しくは無し!
「…………ふ」
とはいえ、決して完全な捨て鉢になっていた訳でもありません。
迎撃に比重を置いていたのも、とある考えあってのこと。
誰が負けを前提にして、此度の聖戦に臨みましょうか。
全てはあくまでも勝利を据えた上でのもの。当然のことですわ。
回避と牽制を同時に行うため、空中で一瞬大悪魔とすれ違った際、垣間見えた異状に、改めて確信致しました。
大悪魔・ミーボルートは、時が経過するにつれ、まさしく砂時計の上部が徐々に零れて減っていくように、確実に弱体化している。
何か呪縛めいた力を現在進行形で受け続けている。
"それら"を行ったのは何者か、薄々見当はつきました。
肩口などに穴を開け、大技を使えぬよう手配して下さったのは……ラレットさん。
か細く見えるようで、万物を抉ってのけるような力強さがある。ラレットさんらしいですわね。
そして、傷の再生を封じ、わたくしが焦げ付かぬよう、悪しき炎熱を弱めて下さっているのは……海巫女・フェリエ様。
虚無と慈愛、相反する波動に注意深く意識を傾けることで、ようやく気付けましたわ。
愚鈍なわたくしをお許し下さいませ。
思わず、微笑みと涙を同時に零しそうになってしまいました。
わたくしは、孤独ではない。
大勢の友と、仲間と戦っている。
皆様の敷いて下さった道の上に立たせて頂いている。
――ここが、分水嶺!
防戦から攻戦に切り替えるは今!
少しずつ、柔軟に作戦を切り替えて静かに伏し、勝機を窺っていた甲斐がありましたわ。
無論、皆様の助力あってのことですが、わたくし、軍師としての才もあるのかしら?
まったく、才女すぎて時折己が恐ろしくなりますわ。
さあ、参りましょう!
「ヴァサーシュの槍よ! 今こそ、貴方が創造された意義を証明せし時!」
初めて手に握りし時から、ヴァサーシュの槍自身が教えて下さっていた、最後にして最大の秘奥。
それは、槍そのものを白銀の水に変化させ、使い手たるわたくしの魔力をもって操作する技。
代償?
この期に及んで問うは――無粋!
「改めて誓約しましょう。証明するが為、勝利するが為ならば我が全て、惜しみ無く差し出しましょう。お使いなさいませ!」
我が想像の力を汲み取り、白銀の水となって宙に漂う槍が、創造の力で組み変わっていく。
象るは――竜!
フラセースの象徴、聖なる力の象徴、そして、海巫女の盟友たる象徴!
何という神々しき造形、力の波動!
「白銀竜よ! 雄々しき翼を羽撃かせ、飛ぶのです! そして、その鋭き牙で、大悪魔を引き千切るのです!」
わたくしの魔力を込められた――白銀竜が飛ぶ!
青色が濃くなった空を背負う、半人半竜の大悪魔目がけて、空気を裂いて飛ぶ!
……かわされた!
それは予想の範疇、未だ展開は我が掌の上!
追尾!
「……邪魔をしないでちょうだい!」
地を這う悪魔の残党は、魔力槍で薙ぎ払う!
後先など、形振りなど、言葉遣いなど、考慮している場合ではありません!
捉える! 必ず、倒す!
逃げ回り、炎を吹き零す大悪魔を、竜の牙を以て終ぞ捕えたのは、時が少し経過してから。
人と竜の継ぎ目にあたる部位に、左右からしっかりと牙を食い込ませたのを確認し、
「狂える毒を体内へ流し込み、そのまま叩き付けて差し上げなさい!」
流星の如く急降下、雑兵群がる路上へと激突させる!
爆発、灼熱、暴風、それらは全てトリキヤの羽衣で遮断。
「このまま……このまま跡形もなく溶かし、砕いて……くっ!」
わたくしの描く脚本に大人しく従っていればいいものを、未だ抗う力を残し、実践しているのが、迸る力の波動から読み取れてしまいました。
大悪魔は、その身を噛まれながらも、必死の抵抗を行って白銀竜を押し返そうとしていたのです!
「抵抗、する、など……!」
大悪魔が噴き出す液体や炎を浴びても白銀竜への致命傷にはなり得ませんが……
それを使役するわたくしに、多大な負担が……!
この秘奥は、他の技術とは比較にならない程に力を、生命を摩耗せしめるゆえ……
もっと、もっと力を……!
重い。
熱い。
軋む。
苦しい。
「……ごほっ!」
この軟弱なる器め……血を吐いてしまうなどと……
嗚呼、口腔のみならず、各所からも漏れ出てしまっているではありませんか。
父母より受け継ぎし、気高きマーダミアの血を……
…………。
些か血を流し過ぎてしまったからでしょうか。
……熱さよりも、むしろ寒くなって参りましたわ。
更には、痺れが触覚をも奪っていき……
温めて欲しいと乞う相手も、そのような妄言を口にする資格も、今のわたくしには無し。
今のわたくしは、大悪魔を打倒するただの武器。
淑女では……無し。
「負けられ、ない……! わたくし、は……!」
親友に……タルテに敗れ……
更には、大悪魔にまで敗れるなど……役目を果たせない申し訳なさ以前に……わたくしの、意地が……誇りが、許しません!
ましてや、ユーリ様と約定を交わした手前……
思慕は断たれても、誓いまでは失ってなるものですか!
例え、如何なる手段を用い、如何なる危険を冒そうとも!
「そこまでもがくと言うのならば、最期にとくとご覧あそばせ! このミスティラ=マーダミア、最期の足掻きを! 我が生の歴程において、最も泥臭く、最も美しい見世物であるとお約束致しましょう!」
今のわたくしに、ヴァサーシュの槍を変化させる以上の切り札を有していないことは事実。
ですが、まだ出来ることは――残っている!
この拮抗状態で更に白銀竜を変形させ、不意を突く?
否。
用いるは、我が魔法!
文字通り、全てを燃やし尽くして発動させ、全てを凍結せしめ、静かな眠りをもたらす!
白銀竜と魔法の二段構えならば……
「――円の満つる冷え冷えしき天より、営み止まぬ騒がしき地より、削れ落ちて降り零れる涙の欠片、人の口以て深々なる旋律紡がん」
わたくしの体に収納されし魔法辞典の中で、最も美しく、最も強力な水系統の魔法――"霜降る月"。
屋外であれば、月の見える空の下であれば、昼夜を問わず起動が許される広範囲魔法。
そして、天に近いここインスタルトであれば、より高い効力を発揮できる。
これが――最期!
「全てが見とれ、静かに微睡む"霜降る月"の玲瓏!」
……嗚呼、いつ眺めても、静かで美しいと自画自賛したくなりますわ。
視界が微かな光を帯びた、天の月より降ろされた吐息で埋め尽くされていき、地に存在するあらゆるものを霜が覆い、緩やかに動きを鎮めていき……凍っていく……
お願いです……もう少し、見届けさせて下さい。
残存していた悪魔が、全て醒めない眠りに落ちる様を。
大悪魔が、白銀竜に噛み砕かれ、漆黒の肉体の欠片を白い霜の葬列に隠され、"絶界の深淵"よりも昏い、虚無の世界へ送られていく様を……
……ふ、あまりの静けさと寒さに、わたくしまでもが凍えてしまいそうですわ。
「……この勝利は、わたくし1人のものに非ず。国家を越え、種を越え、時代を越え……あらゆる命が分かち合うべき勝利…………わたくしは、た、ただ……」
あらかじめ用意しておいた、勝利に際しての決め台詞も、寒さと疲労で今一つ綺麗に発音できませんでした。
まったく、演劇も終幕というのにこれでは、締まりが良くありません、わね……
そのような戯れを抜きにしても、達成感や、己が大悪魔の討ち手となった優越感などといったものは湧いてきませんでした。
あらゆる命が分かり合うべき勝利、という発言に、一切の偽りはございません。
むしろ、わたくしの取り分も、全てどなたかに差し上げても構わないと、心底より考えておりました。
何故なら、わたくしは……もう、充足を見ているから。
炎熱から我が身を守るトリキヤの羽衣が、冷気は遮断してくれないことに関しても、苛立つどころか、
「……本当に、よくここまで、わたくしを助けて下さりましたわね」
深い感謝の念しか湧いてきませんでした。
無論、ヴァサーシュの槍に対しても……
「……皆様、後のことは……よろしくお願い致しますわ」
タルテ……足手まといになったら……許しませんわよ。
…………それと、幸せに……おなりなさい。
……いけませんわ。淑女がこのような場所で、雑魚寝などとはしたない真似を……
嗚呼、わたくしも、温もりが……欲しい……
「……ユーリ様! わたくし……」