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90話『意志を引き受けるもの』 その1

『頼んだぜ、ミスティラ=マーダミア』


 別れ際、ユーリ様が残して下さったお言葉が、劇場で繰り広げられる劇にて歌われる声の如く、絶え間なく胸の内で反響している。

 我が名の全てを、静かに、力強く呼んで下さったことが、何よりも嬉しかった!

 福音にも似た、甘美なる響き!


 やはり貴方様は、わたくしに希望と勇気を与えて下さる御方……

 貴方様から頂いたお言葉だけで、わたくしは戦える。

 愛が無くとも、力があれば……戦える!


「ミスティラ=マーダミア……そう、我が名はミスティラ=マーダミア! ローカリ教教主・モクジ=マーダミアが一女にして、洋の民より魔を討つ意志と武具を託されし者! 今こそ全ての誇りと悲願を背負い……参りますわ!」


 気合いに飲まれず、恐怖にも押し潰されず、静かな心で臨まねば。

 これは聖戦。

 敗北は許されない。

 情熱と冷静、炎と氷を同時に抱きしめ、まずは冷静に相手を見極めなければ……


 先刻ユーリ様にも説明した通り、大悪魔は少なからず手傷を負っているように見受けられますわね。

 それだけでなく、力の方までもかなり消耗し、失われているような……

 強力な自己再生能力を有しているはずなのに、その兆候が全く見られません。

 また、まるで感情が見えてこない無機質さは相変わらずですが、全身から放たれていた、あの恐ろしいまでの威圧感が大分薄らいでいる。


「……ふ」


 ならば、打つ手は1つ。

 このヴァサーシュの槍を以て一気に押し込み、攻め込み、完全に粉砕するのみ!

 そもそも、海巫女・フェリエ様がいらっしゃらない以上、封印という選択肢など存在しない!


「はああっ!」


 後先など、考える必要無し。

 この聖戦で、我が全てを出し尽くす。


「その身に浴びなさい、狂いなさい、溶けなさい! この白銀の暴風雨を受けて!」


 ヴァサーシュの槍が持つ"白銀の水"を生み出す特質に、わたくしの技術と智慧を上乗せした技……

 無数の水滴と化した白銀の水を、四方八方から叩き付ける、白銀の暴風雨。

 魔力に加え、生命の摩耗は免れませんが、出し惜しみは愚の骨頂。


 回避も防御も能わぬまま、大悪魔はもがき、その身を爛れさせ、溶かしていく。

 人に喩えるなら、傷口に劇薬を浴びせられたに等しき状態なのでしょう。


 わたくしの心境は、厳粛なる死刑執行人。

 己が行いを残酷と捉える心は僅かながらあれど、罪悪感は微塵も無し。

 太古から現在に至るまで、この大悪魔が奪ってきた数多の生命を思えば、当然の報い!


「…………っ」


 骨の髄まで蝕んでくる脱力感、目眩。

 少々魔具を用いた程度で……しっかりしなさい!

 それでも我が魂を収めている器ですか!


 大悪魔もまた、無抵抗のまま死を選ぶはずもなし。

 激痛に悶えながらも、白銀の暴風雨を吹き散らし、竜さえ容易く飲み込むほど巨大な灼熱の炎をわたくしへと吐きかけてきました。


 ……が、今更この程度の炎、わたくしに通用するはずもなし。

 身に纏いしトリキヤの羽衣が赤き霧と化し、熱を完全遮断。


 タリアンを東西に流れるティパスト川の如く、ここまでは非常に良い流れと言えるでしょう。

 実に良く、脚本通りに事が進んでおりますわ。


 しかし、優勢といえど、気を緩めるなど到底出来ませんでした。

 何せ、相手は伝説の大悪魔。

 一瞬たりとも、油断はできません。

 先へ進まれたユーリ様方のことは当然気になりますが、今は戦うことだけに……


「!?」


 新たなる邪魔者、敵が現れたのは、その時でした。

 大悪魔の立つ位置とは別の方向、正確にはわたくしの左右から、熱を帯びた光の矢が、不意に飛来してきたのです。

 視線を散らせば、先程ユーリ様が蹴散らしていたものと同じ形をした人型の悪魔どもが、無機質なる大都市の先から、道の先から、大群をなして新たに現れておりました。

 トリキヤの羽衣で遮断できたから良かったものの……


「雑兵め……名乗りもせず不意打ちに頼るとは、やはり悪魔というものはさもしき性根の持ち主のようですわね」


 新たなる敵を前にして湧き上がってくるのは、恐怖や焦燥よりも、怒り。


「なれば、不埒な者どもには相応の報いを差し上げましょう。……この白銀の水の洗礼を受けて、正気でいられるかしら」


 白銀の水には、魔を狂わせる性質がある。

 大悪魔ならばともかく、あの程度の雑兵であれば、針と化した水を少量流し込むだけで、


「そうやって愚かな悪魔同士で、無意味な殺し合いを続けなさい。貴方がたにはお似合いですわ」


 このように思考を狂わせ、同種を敵と誤認させ、同士討ちを引き起こすのは容易きこと。

 ユーリ様のようには行かずとも、わたくしとて、この程度の掃討、いとも容易く行えますわ。


 さあ、改めて攻撃を……と考えた時、大悪魔は驚くべき行動に出たのでした。

 炎の翼を広げて空へと飛翔したかと思うと、地上へ向けて巨大な鞭の如き火炎を放ち、地上にいる狂える悪魔どもを薙ぎ払い始めたのです!


 正気に戻そうとするでもなく、ただ障害物、敵のように焼き尽くすとは……

 大悪魔は、この者どもの同胞でもなく、上に立つ存在でもないということでしょうか。


 攻撃の余波で、都市が焦熱地獄へと化していきますが、人の住まう場所でもなし、心配は無用でしょう。

 この程度ならば、インスタルトの墜落も起こらないはず。

 都市の消火は、このヴァサーシュの槍か、我が魔法を用いれば可能。

 とりあえずはこの中央塔さえ無事であれば、問題は無し。


「くっ……」


 眩暈がしたのは、熱にあてられたせいと転嫁したいのは山々ですが……

 取り急ぎ、大悪魔を討たねば。

 もう、そう長くは持ちそうにないですわね。


 虫けらを焼却処分できて満足したのか、大悪魔が、更に空高くへと飛翔しました。

 ここで逃亡を許すのは得策ではないでしょう。


「待ちなさい!」


 トリキヤの羽衣の力で、すぐさま追跡。

 くっ……これだけでも、消耗が……


 大悪魔は、中央塔の頂上にはまだ及ばないほどの高度で停止しました。

 観念したのでしょうか。

 いいえ、そのような可愛げなど持ち合わせていないこと、承知しておりますわ。


 加えて、長らく謎とされてきた浮遊島・インスタルトを空から見下ろす感動に浸る暇など、全く存在しませんでした。


「……事もあろうに、このわたくしを羽虫扱いしないで下さる!?」


 塔のようにそびえている建物の屋上や窓に備え付けられた砲台から、わたくしを撃ち落とすべく、またも次々と光の矢が……!

 しかも、それだけではなく、大悪魔にも異変が……


「大悪魔・ミーボルート! 何をしようと言うのです!」


 火の粉を振り撒き、溶岩の血液を吹き零し、不気味な音を立てながら……

 ……これは、変形!?


 占い師の類が予言めいた直感力を発揮する時の感覚を体で理解できたのは、今この時が初めてでした。

 背骨の芯を伝って四肢の隅々へと、氷に近い水が奔っていき、悪寒をもたらす、この感覚……!

 ここで始末を付けなければ、最終章が悲劇で締められてしまうと、わたくしの中に住まう聖霊がしきりに訴えておりました。


 出来うる限りの最大の破壊力を、危険を冒してでも接近を!

 大悪魔との距離を詰めつつ、ヴァサーシュの槍の穂先に水の魔力を注ぎ込み、白銀の水と混ぜ合わせ、


「栄華は刹那、貫くも刹那、美しく散り逝け、"儚き悲槍"と共に!」


 元来射出するための"儚き悲槍"を、穂先に纏ったまま突撃すれば――貫ける!






 その見立ては、まるで世間知らずの幼な妻が行う勘定の如く、甘かったようです。

 魔法と特性によって厳めしく飾りつけられたヴァサーシュの槍の穂先は、大悪魔に届くことなく、空を突くのみに終わってしまいました。


「小賢しい真似を……!」


 信じ難いほどの速度で、大悪魔は下方へ逃れていたのです。


 更には、変形も終えてしまったようです。

 人型でもなく、完全な竜型でもない。

 上半身が人で、下半身が竜。

 半人半竜、とでも評するべきでしょうか。

 醜いのは当然として、変形が完了しても敵の傷が癒えていないことも相まって、わたくしの眼には大悪魔がやけに不完全な形に映るのでした。


 醜悪な。

 そう、声を出そうとしましたが、かないませんでした。

 すぐさま敵が、わたくしへと躍りかかってきたために。


 炎の……刃!?

 回避を……!


 しかし、動くのは心ばかりで、体は重りを填められたが如く鈍く……

 既に魔力のみならず、かなりの生命力を負債として支払っていたわたくしに、脳からの命令を実現する余力はありませんでした。


「……ぁぐっ!」


 胸の辺りを左右へと、切り裂かれる痛みと、灼かれる痛みが、同時に襲いかかってくる。

 ……やられた!

 悪魔め……卑劣な……


 力が、失われていく……

 落ちる……

 激突だけは、免れなければ……


「……う、うう……」


 わたくしの卓越した技量による、落葉を思わせる軽やかさ、柔らかさで、着陸には成功致しましたが……

 これは、このままでは……よろしくありません……わね。


 急がなければ……

 事前に渡されていた、秘薬を……


 ……幸運。

 破損せず、残っておりましたわ。

 これも……わたくしの日頃の行いゆえ、でしょうか。


「…………ふう」


 瞬く間に傷が塞がり、失われていた生命力や魔力がたちまち充填されていく感覚に、下腹部をかき回される快感に近いものを覚えてしまいました。

 全く、はしたない。

 小瓶の封を切ることさえできなかった為、淑女が取るべき振る舞いではないことを承知の上で、瓶ごと噛み砕き、中の液体を嚥下してしまったというのに、このようなこと……


 それはともかくとして、これでまだ、わたくしは戦える。

 これが無ければ、間違いなく敗北しておりましたわね。


「……あら」


 空を見上げようとした時、気付いてしまいました。

 確かに斬られた傷は癒えましたが……


「わたくしの衣服が……こ、この不届き者!」


 こうも胸を露わにしてしまうなど、まるで夜を舞う踊り子ではありませんか。

 見えるか見えないか、その境界線を弁えぬようでは……いいえ、今はそのような論を思考で弄んでいる場合ではありませんわね。


「これらは全て、フラセースでも超一流の格式を誇る店で仕立てた特注品。とても高くつきますわよ。貴方に弁償できて? 見た所、まるで現金の持ち合わせがないようですが」


 答えは、流星群の如く降り注がせてきた、夥しい数の火球。


「愚か者!」


 トリキヤの羽衣で防御。


「くっ……またですの?」


 そして高熱に揺らめく視界の先では、再び新手の雑兵がわらわらと……


「観客としての、警備員としての分を弁えなさい! 易々とこの燃え上がる舞台に上がるものではなくてよ!」


 あのような悪魔どもに差し出すほど、我が命、安くはありませんわ!

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