表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
267/300

89話『大悪魔に挑むものたち』 その4

 わずかずつではあるが、皇帝は確実に、大悪魔を追い詰めていた。

 しかし、このまま順調に戦いが終わるなどとは、到底思えなかった。

 皇帝もまた同様の思いを抱いているから、決して手を緩めていないのだろう。


「――途切れなき律動、途切れる生命の灯、眠りの床、目覚めなき青の夢、太古の再現、生命の始まりにして終わり、忘れられた地相、"停滞山脈"!」


 魔力の衰えなど一切感じさせず、皇帝は再び最上級魔法を放ち、海上に巨大な氷山を生み出し、大悪魔を貫きながらその中へと閉じ込めた。


 その時だった。

 ひとときの静けさを取り戻した夜の海に、再び音が鳴り始める。


 キコキコ、キシキシと、軋むような音。

 正体も、原因も、考えるまでもなく理解できた。


 炸裂音と共に、氷山を切り裂いて大悪魔が飛び出す。


 ここまでは予想の範疇。

 予想外だったのは、その後。


 大悪魔を象る人型が、不気味な音を立てながら崩れていく。

 ついに回復が追い付かないほどの致命傷を負わせたのだろうか。


 ……いや、違う。

 正確には……己の意志で変形している?

 手足が縮み、胴体が伸びていき……


「……!?」


 人型から、異形の怪物へと変わっていく!

 あの姿は……一体!?

 伝承にも残っていない!

 どの魔物にも当てはまらない姿……

 強いて喩えるならば、蛇の胴体に蜥蜴の尾、馬のような首の先には深海魚のような顔と、様々な生物の特徴が表れている。


 大悪魔・ミーボルートの持つ特徴として伝えられているのは、自己修復能力と無限の炎を生み出す力。

 まさか、このような特性まで隠し持っていたなんて……


「来るぞッ!」


 皇帝の声が響いた瞬間、大悪魔の姿が消えた。

 先程までとは比較にならないほどの速さ――そう感じたのと同時に、鈍い衝撃音。


 大悪魔の体当たりを直撃した皇帝が、水平線の彼方へと吹き飛ばされていた。

 何という威力――そう感じたのと同時に、視界が真っ赤に染まる。

 こちらへ向き直った大悪魔が、大小不揃いの牙を剥き出しにした口から、炎を吐き出していた。


 今までにないほどの、凄まじい炎……!

 ギャスコで受け止め……


「……ああっ!」


 ……受け止め、切れない!?

 1つ、2つと刀身にヒビが入ったかと思うと、たちまちギャスコが……


「離脱しろ!」


 皇帝の声と、咄嗟に盾として差し込んでくれた船の英霊がなければ、私は焼き尽くされていたでしょう。

 すんでの所で、雲車を起動させてその場を離脱できた。


 しかし、エピア様の振るいし魔具の片方を、このような形で失ってしまうとは……申し訳が立たない……


「申し訳ありません皇帝陛下。お陰様で助かりました」

「寿命がほんの僅か、伸びただけかも知れんがな」


 復帰していた皇帝の姿は、痛々しく損傷していた。

 全身を覆っていた漆黒の甲冑の腹部装甲が砕け、青紫色に染まった皮膚を露出していた。


 つい先程の打撃だけが原因には見えなかった。

 ……まさか、甲冑を身につけた"代償"だろうか


「今のミーボルートは、我々の実力を大きく上回っている」


 私の視線を無視して、皇帝は淡々と述べる。

 皇帝が呼び出した英霊が、瞬く間に蹴散らされていくのも、それを裏付けていた。


 海水による防御壁も、今の大悪魔にとっては紙に等しい。

 気休めにさえならない。

 だからと言って海中に逃げ込んでしまえば、大悪魔はこの場を離れ、再び世界各地に大破壊をもたらしにかかるだろう。

 それだけは何としても避けなければならなかった。


「最早我々の手に負える相手ではなくなった」


 皇帝の言葉の意図は、すぐに理解できた。

 口惜しさが込み上げてくる。

 自分の覚悟を踏みにじられたことに対してではない。

 そのようなものを持ち合わせているほど、私は自尊心が高くない。


 また問題の先送りを……同じことを繰り返さなければならない――

 すなわち、再度"絶界の深淵"を用いて、大悪魔・ミーボルートを海の底へ封じなければならない。

 残された同胞たちに、また潜在的な恐怖を植え付けなければならなくなるのか。


「致し方無きこと。我々に力が無いのが悪い」


 皇帝は、にべもなく言った。

 続けて、何の感情も乗せず、淡々と、


「私が時間を稼ぐ。貴女は"絶界の深淵"の発動に専念せよ。そして準備が整い次第、私もろともで構わぬ、放て。

 我が立場、一切考慮する必要は無い。弱肉強食、必要とあらば誰であろうと何であろうと、勝者の為の糧となるが摂理。それは私も例外ではない」


 次善の策を告げた。

 ……もう、選択の余地はない。


「……承知しました。先の緊急回避で多少失ってしまったとはいえ、既に我が内にて必要な魔力はほとんど充填してあります。もう暫し、私に攻撃が届かぬよう、お願い致します」

「任せるがいい」


 言うが早く、皇帝は再び"英霊再臨"を用いて、時間稼ぎを始めた。


 洋の民のみに開かれ、海巫女のみに許される秘伝の魔法――"絶界の深淵"を用いるにあたり、最も必要とされるものは……魔力そのものではなく、海巫女たる己の命。

 命そのものを魔力に溶け込ませる。

 魔力を、命に見立てる。


 英霊たちが次々と撃破されていくのを、皇帝が魔法で嵐を引き起こすのを、虚ろに認識しながら、己の精神を海と一体化させていく。

 強大な力を持つさしもの皇帝も、流石に限界が近付いているのだろう。

 飛行速度は目に見えて落ち、打撃や炎を受けて甲冑はほぼ大破状態になっていた。


 しかし、皇帝を取り巻く負の感情の力は、更に強まっているように感じられた。


「心無き大悪魔よ。貴様に見えるか、聞こえるか、この怨嗟の声が。怨恨渦巻く大嵐が!」


 そんな皇帝の呼びかけに呼応して、今まで周囲に留まっていただけの念が、一気に解放された。


「認識出来るか否か、そこは問題ではない。ただ動くな、そして海巫女に抱かれ、再び永き眠りに就け!」


 皇帝の肉体が、漆黒の霧に覆われ、


「行いは巡り巡って跳ね返る……これも摂理か……」


 瞬く間に白骨化し、海中に没していった。


 あれは既に抜け殻。

 皇帝の現在の本体は……


 あの、大悪魔を包み込んでいる、色も形もない、無風の、熱くも冷たくもない、無数の怨念。


 魔法の発動準備に入る前だったなら、あれを目にしただけで恐怖心に身を竦ませ、下手をすれば正気を欠いてすらいただろう。

 それほどに強烈な波動を、そして"縛鎖の呪符"数百枚にも匹敵するような、圧倒的な拘束力を有していた。

 さしもの強大な大悪魔も、海上で身を捩らせることすら出来ずにいた。


「よくぞやって下さいました、ジャージア=キンダック皇帝陛下。貴方様のお働き、例え歴史や人々の記憶に残されずとも、海の意志が永久に覚えておりましょう」


 発動させるは……今。


「共に堕ちましょう。閉ざされましょう」


 全てから隔絶された深き海の牢獄を象徴するかのように、"絶界の深淵"に詠唱はない。

 加えて、海巫女でありさえすれば、発動自体もさほど難しいものではない。

 まるで、いつでも生贄になれるかのように。


「さようなら」


 ――"絶界の深淵"。






 視界が、消失した。

 闇。

 何も見えない。

 意識が徐々に水と化して、薄らいでいく……

 時間の感覚が、消えていく……

 過去と未来と現在が、同一化していく……


 それでも、大悪魔を、この虚無の牢獄へと閉じ込めるのに成功したのは知覚できた。


 良かった。

 海巫女として最低限の役目は果たせた。

 褒めて下さいますか、あなた……




 …………!?




 …………そんな……




 ミーボルートは、ここまで……


 ああ、皇帝が遺した呪縛を振り解き……

 この、"絶界の深淵"まで……


 我々が全てを賭した成果まで打ち砕かれたというのに、もはや深い絶望さえ喚起できないほど、私は私を失いつつあった。

 失敗したにも関わらず、安らぎばかりが込み上げてくる。


 海の意志への同化だけに起因するものではない。

 わずかな自我が、ようやく逝けると、考えてしまっている。

 夫の向かった場所へ、私も向かえる。

 私は、海巫女失格だ。


 海から遠ざかっていく大悪魔。

 お前は、どこへ向かおうとしている。

 まだ、破壊を、殺戮を繰り返すというの?


 忘れないで。

 世界は、私のように惰弱ではない。

 我が存在が大海原となろうとも、希望は……まだ残されている。


 ミスティラさん……もう1人の、巫女……

 申し訳ありません……

 異形の姿から引き戻すことはでき、無限の力の源も断てはしましたが……


 私は、ここまでです……

 後を……どうか、頼みます……

 私の代わりに……大悪魔を……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ