88話『インスタルトに降り立つもの』 その1
「ここが……インスタルトか」
転移の光が収まり、空間の詳細が明らかになっていくのと同時に、素早く目を走らせる。
壁も天井もある。室内のようだ。あまり広くはないな。
薄々予想はできていたが、こっちの世界ではお目にかかれないような変な部屋だ。
電灯や火石、太陽石もないのに、つるつるな壁や天井そのものからぼんやりと青白い光が放たれている。
そして、転移魔法陣の前後左右に高さ3~4メーンぐらいの硝子板みたいなものが立てて設置されている以外、他には何もない。
誰かいる気配も……しないようだ。
「作戦の再確認だ」
ソルティが、いつもと変わらない、緩さを含んだ声で率先して言う。
「これから俺達がすべきことは主に3つ。悪魔の製造を止めること、"餓死に至る病"の発生源を断つこと、そして元凶たるスール=ストレングを今度こそ完全に抹殺すること。全てを達成しない限り、撤退はないものと思ってくれ。ここまで来て下手に逃げ出せば、奴が"世界そのもの"に対して何をしてくるか分かったものではないからな」
一様に頷く俺達に小さく頷き返して、ソルティは部屋の一方の壁に1つだけあった、取っ手のない扉を指差した。
「では早速作戦開始だ。迅速に事を成すのは大前提として、ここは未知の地だ、くれぐれも慎重さも忘れずにな」
「こりゃまた無茶な注文をつけやがって」
「出来るだろ、勇者殿? ……予定通り、お前達はここで待て」
「はっ」
こっちの返事を待たず、ソルティは転移魔法陣の起動に必要な魔法使いに待機指示を出し、続いて先頭を切って歩き出す。
ま、確かにここを出ないことには何も始まらないか。
「きゃっ」
「扉が……」
「勝手に開いた?」
近付くと扉が横滑りして開く仕組みにみんなは驚いていたが、俺は懐かしいと思ってしまった。
「便利でいいではないか」
アニンはこんな時でも、泰然自若としていた。
さて、扉の先にあったものは……短い通路か。
奥にある、青白い光を放つ扉に向かって一直線に伸びていて、他に出入りできるような場所はない。
「門番などはいないようですが、念の為、罠に警戒して下さい」
シィスの発言で、更に俺達の移動速度が低下する。
……が、幸い何も起こらず自動扉まで辿り着いた。
「わぁ……」
扉を抜けるなり、ジェリーが驚きの声を漏らす。
そこはもう、外だった。
「すごい大都市……」
「このような建築技術、世界のどの国を探しても存在しませんわね」
こりゃあ……思っていた以上に"進んでいる"所だな。
インスタルトは、こっちどころかあっちの世界以上に文明が進んだ、空想科学のような未来都市だった。
白銀色を基調とした曲線的な高層建築物が立ち並び、管のような道路が縦横無尽に張り巡らされている。
「不思議ですね。かなりの高度に位置しているはずなのに、空気が薄くなく、地上と同じように活動できるとは。おまけに暑くも寒くもなく、湿度もちょうどいい! ほら見て下さいよ、私の眼鏡も曇ることなく絶好調!」
「風もぜんぜんないよ。……あっ、でも魔法は使えるみたいだけど」
「結界か何か張ってあるんじゃね?」
あるいは空想科学にありがちな透明な丸屋根でもついているかだ。
いっぱいに広がる、雲一つない真っ青な空を見上げてみたが、よく分からなかった。
「さて、どこへ向かうべきか……」
ソルティが独り言を呟いたその時だった。
「な、何だ!?」
予告も無しに、爆発音と熱風が、背中越しに叩き付けられてきた。
慌てて振り向くと、驚きがにわかに絶望へ変わっていく。
「転移魔法陣のあった建物が……!」
煙を吹き上げる、単なる瓦礫の山と化してしまっていた。
「これじゃあ帰れ……」
『いらっしゃ~い!』
追い打ちをかけるように、気持ちの悪い声が響く。
ただし今度は頭の中へじゃなく、拡声器を通したように、都市全体へ聞こえるように。
『よく来たわね。愛しのソルティ、それとアニンちゃんとユーリちゃん、そのお友達も』
「スール! 今のはてめえの仕業か!」
『そうよ。言ったじゃない、招かれざる客まで入ったらダメだって』
「アホか! 転移魔法陣を使わなきゃ移動できねえだろうが!」
「よせユー坊、そんな話が通じる相手ではない」
確かにそうだけど、言わずにはいられなかった。
『さてさて、早速皆さんにはあたしの所まで来てもらいましょうか。あたしは今、インスタルトの中央にある塔にいるわ。そちらからでも見えるでしょう? そう、てっぺんに赤い球が乗っている黒いやつ。
あ、でも、別に観光してから来ても構わないわよ。ここ、本当に面白いものね。あたしもまだ、全部回り切れていないのよ。
……ただ、あなたたちの目的は、あたしをブッ殺すことだけじゃないわよね?』
相変わらずペラペラとよく喋るオカマだな。
『ここで朗報で~す! 餓死に至る病の発生源も、悪魔を次々生み出す装置も、み~んなこの中央塔で制御してま~す! よかったわね~手間が省けて。というか、あたしがそういう風にいじったんだけどね。ちょっとずつだけど、やっとここの勝手が分かってきたのよ。ねえ凄い? あたしって頭いい?』
「うっぜぇ……」
『も~ヤダ! ユーリちゃんったらそんなこと言っちゃメッ!』
気持ち悪ぃ……
『全ての機能を掌握できてないから、途中の道で色々と邪魔が入っちゃうかもしれないけど、あなたたちなら大丈夫よね。頑張って! 待ってるわよ~』
それきり声は途絶え、再び耳を突くようなピンとした静寂が戻る。
「…………」
取り巻く空気が重い。
みんな表に出さないよう努めてはいるが、いきなり退路を断たれてしまって、少なからず動揺しているのは明らかだった。
「ま、何とかなるんじゃね」
「ユーリ?」
だからこそ、俺が絶望を吹っ飛ばす。
「まさか地上との出入口があそこ1つだけとは思えねえし、ここの機能を使えばどうとでもなるだろ。それに最悪、俺のブラックゲートを上手く使えば大丈夫だって。今はまず、あのオカマ野郎をぶっ飛ばすことに集中するべきだ。そうだろ」
「その通りだユー坊」
「よく言った。それでこそ男だ」
便乗するように、ソルティやアニンも声をあげる。
それにつられて、他のみんなも引っ込みかけた気力を呼び戻せたようだ。
ただ1人、ミスティラだけは悲壮めいたような硬い表情を崩しはしなかったが、あいつはあれでも問題ないだろう。
「では行くぞ。直接あの黒い塔へ向かう」
「待った」
「どうした、ユー坊」
「あれを見てみろよ。地図を確認できるかもしれねえ」
近くの脇道の前にデンと設置されていたモノが、さっきから気になっていた。
「地図って、何も書いてない変な黒板と、そばに箱があるだけじゃない」
「ふっふっふっ、まあ見てろって。これが科学の力だ!」
なんて偉そうに言ってみたが、あっちの世界のものと若干形状が似ていたのが引っかかる程度で、確信があった訳じゃなかった。
かと言って、あまり操作に迷ってると怪しまれるぞ。
えっと、この釦を押してみて……
「おお……」
「ユーリさんやりますねぇ!」
よっしゃ、的中!
単純な操作で何とかなる端末で良かったと、薄い光を放つ黒板に絵や文字が次々出力されるのを見て安心する。
「見たことねえ文字だな。流石に俺も読めねえや」
「古代文字の類とも違いますわね」
こっちの世界にもあっちの世界にも無さそうな文字を読める人間は存在しなかった。
とはいえ、表示されている絵や、簡単な操作方法のおかげで、何とか誤魔化しは効いた。
どうやらこの端末は、インスタルトの全体地図を立体的に拡大縮小表示させる機能だけを持っているらしい。
「今俺達がいるのは、インスタルトの南東部の端っこみたいだな。で、最短で中央の塔へ行くには」
「この通りを直進すれば良いのだな」
「よし、今度こそ行くぞ!」