87話『勇者ユーリ一行、インスタルトへ飛ぶ』 その1
「空飛んでたら、急に下からバカ高い変な木が生えてきやがったから降りてきてみたら……こんなとこでまた会うなんてねぇ、悠里?」
ジェリーたち、花精の魔法"花吹雪く春息吹"でウォイエンの大樹が見事蘇り、"餓死に至る病"を止められたと思ったら……
今度は前世の母親が空から降りてくるなんて。
「一体どうやって降りてきたんだよ。空からはこの大森林へ来られないはずなのに」
「あ? 普通に降りたに決まってんだろ。バカかてめえ。つーか声震えてんじゃん。ウケんだけど」
最後に見た時よりも更に脂肪の増した体を揺すりながら、外見年齢とは不釣り合いな口調で笑う。
だからそれをやめてくれ。
こっちの母ちゃんの面影と混ざって、頭がおかしくなりそうだ。
「失礼ですが、貴女は?」
割って入るように尋ねたのは、隊長の聖騎士だった。
立場の他にも、一番波風を立てずに対話ができる存在が自分だからそうしたんだろう。
「ああ? あ、そっか、言ってなかったっけ。"一応"、そこのガキの産みの親でーす」
それは正しい判断だったみたいだ。
言葉遣いのみならず、宙に浮いたまま見下ろすという極めて礼儀を欠いた絵面ながら、癇癪を起こすことだけは避けられた。
隊長は一瞬眉をしかめる素振りを見せながらも、丁重に答えてくれた礼を述べ、自分の名を名乗った。大人だ。
「ユーリ様の……」
「母君?」
ミスティラやアニンが誰ともなしに呟いた所で、いつの間にかシィスがこの場から姿を消していたことに気付く。
怪しまれない程度に視線だけを周囲に走らせるが、見つからない。どこへ行った?
……まさか、暗殺でもする気か?
それはまずいんじゃねえのか。
背筋がゾっとする。
俺と似たような"力"を持っている今のあの人は、尋常じゃない。
それに逆上され、樹を破壊されでもしたら……
「こっちからも質問させろよ。この変な樹を生やしたのはあんたらか?」
シィスの消滅に気付いてないのか、興味がないのか、あの人が隊長の聖騎士に質問する。
「そうです。全世界を襲う餓死に至る病を止めるため、必要だったのです」
間を置かず、真摯な態度を貫いたまま、隊長が淀みない口調で答える。
「……なるほどねぇ。マジみてえだな」
元々変に疑り深いはずだったのに、嘘臭いくらい素直に、あの人は納得したように頷いた。
確かに隊長の応対は完璧と言っていいくらいだとは思うが……
「クソうぜえ病気を止めたってんなら、殺さないでおいてやるよ。つーかその前にブッ殺してえ奴がいるしな。あのキモいオカマ……生かしちゃおけねえ。こっちの世界は私のモンだっての」
ブツブツ言いながら肥えた体をひと揺すりし、仏頂面のまま仄暗い天空を睨み急浮上して消えていく。
そのまま、戻ってくることはなかった。
結局声をかけたのは最初だけで、あとは完全無視か。
もはや俺なんかの存在なんかどうでも良くて、虫ケラ以下としか認識してないんだろう。
……あっちの世界でもそうだったもんな。
思わず深いため息をついてしまうが、それ以上の深みには沈めなかった。
周りの視線が自然と俺の方に集まっていたから。
誰も彼も、色々聞きたげな表情をしている。
そりゃあまあ、そうなるよな。身内だってのが発覚しちまったらな。
「……えっと」
黙秘を貫く訳にも行かないし、正直に言っちまうか。
弁明する覚悟を決めた時、
「……ど、どうも」
「シィスさん?」
近くの木陰から音もなく、シィスが小さく片手を上げて姿を現した。
その辺も目で確認したけど、誰もいなかったはずだ。
「お前、ずっと隠れてたのか」
「はい。かつて一度交戦した自分の存在を気付かれたら、暴れられて大樹に被害が及ぶ可能性があったため、姿を消していました。
ユーリさんの前でこのようなことを申し上げるのは失礼と承知していますが……あの人は極めて危険です」
「いや、気にしないでくれ。お前の言う通りだ。それに判断も凄い的確だったと思う。感心と感謝しかねえよ」
シィスのさりげない有能さには救われてばかりだ。
つくづく、大樹を破壊されたり、転移に必要な魔法使いを殺されたりしなくてよかったと思う。
みんな気遣ってくれてるのか、誰も必要以上に俺とあの人との関係性について、深く尋ねようとはしなかった。
それがありがたかった。
正直、今の自分は少なからず冷静さを欠いていたから。
しかし、
「申し訳ありませんが、先の出来事については立場上トスト様へ報告を行い、少なくとも聖騎士団内でも、情報の共有を行わねばなりません」
と隊長から言われた。
「構いません。それと、トスト様は既にこのことをご存知ですので」
今更な話だし、別に話が広まったからと言って、即投獄されたり非難を浴びる訳でもないだろう。
バレることを過剰に気にすることもない。
評判を気にすべき家族も、もういない。
あの人が、誰かの手によって……討たれたとしても……
「考えないで」
「タルテ……」
「こういう時は余計なことを考えない方がいいの。……い、今だったら、いやらしい冗談を言っても、笑って許してあげるんだから」
「……ぷっ」
この真面目ちゃんめ。
「ありがとな」
「ううん、いいの。支えさせて。わたしは、あなたの家族になるんだから」
この場に誰もいなかったら、泣いていたかもしれない。
花精たちはまだ回復しきっていなかったが、予定を早め、無事に起動した大森林側の転移魔法陣を使ってタゴールの森の奥の遺跡に移動し、待機していた部隊と合流して急いで聖都に引き返した。
かなりの強行軍だったためか、やはり慣れていない花精たちの疲労は相当なものだった。
だけど、そこまでした甲斐は、確実にあった。
どことなく、出発時よりも城や聖都の雰囲気が明るくなっていた時点で察してはいたが、
「皆さん、本当によくやって下さいました! 餓死に至る病の進行が止まり、罹患者たちが回復していると、国内外から続々と報告が入っております!」
イースグルテ城の前で、人間形態で出迎えて下さったトスト様が喜びを爆発させながら結果を教えてくれたのを聞いて、俺達もまた歓喜の声を上げた。
「随伴した聖騎士団も、トラトリアの花精の皆さんも、本当にありがとうございます。今は言葉によるお礼しか述べられないのが心苦しいですが、全ての危難を退けた暁には、必ずや皆さんの成果に報いる報奨を差し上げることをお約束します」
「そのお言葉だけで充分でございます、聖竜王・トスト様。我々トラトリアの里一同、古より定められし己が役目を全うしたのみです」
「では私も、王としての己が役目を全うするとしましょう。皆さんどうぞ城内でお休み下さい。それが今できるせめてものお礼です」
「御厚意、有難くお受け致します」
トスト様とエレッソさんの間でそんなやり取りがあって、めでたく目的を達した大所帯も解散となった時、もう一度坊ちゃんと話をしておくことにした。
何でかって?
そりゃあ……一応、友達だと思ってるからな。
「お疲れ。色々ありがとな、坊ちゃん」
「坊ちゃんはやめろと言うのに」
「悪かったよ、ラレット」
「ふん、まあいい。……今後も奮励し、互いの使命を全うしようではないか。そして、全てが終わったら……我が邸へ来るがいい。酒でも酌み交わそうではないか」
……まさか、坊ちゃんの口から、こんな言葉が聞けるとは。
「何をにやついているのだ。薄気味が悪い」
「いや、嬉しくてさ」
「ふ、平民に労いや施しを与えるのは貴族の役目。例え身内がどうであろうともな」
「……お前は、本当にいい奴だな」
「やめたまえ、調子が狂う」
別れ際、またお互いの拳を打ち合わせたが、今日のはあの時よりも強く、熱く感じられた。