84話『ユーリ一行、餓死に至る病を止める術を知る』 その1
ツァイのとある街道でアニンと合流した俺達は、再会の挨拶もそこそこに、再び急いで聖都へと引き返していた。
超高速で流れていく眼下の大地や海に、もう何の感慨も浮かばなくなったのは、慣れだけが理由じゃない。
アニンから"餓死に至る病"の蔓延に関わる話を耳にした時、俺の心中に込み上げてきたのは、やり場のない怒りや悲しみ。
聞いただけでこの有様なんだから、実際目にしたらどうなっていただろうか。
実際に様子を確認したかったけど、周りからきつく止められたんだ。
「あなたは世界を救う勇者。みだりにその身を危険に晒してはなりません」
トスト様はそう仰ったけど、本当は俺が我を忘れるほどに取り乱すのを警戒していたからじゃないだろうか。
そうしたのは正しいと思う。
俺は、そこまで冷静に、適切な行動が取れるタチじゃない。
それに……結局は無力だ。
偉そうに絶対正義なんてものを掲げておきながら、こういう時には誰一人救ってやれない。
これまでやってきたことを全て否定されたかのような展開。絶望。
心が真っ黒なものに蝕まれ、押し潰されそうだ……
と、ここで終わってしまえば本当のクソ無力野郎だ。
誰がいじけっ放しでいてたまるかってんだ。
ましてや隣にはタルテもいるんだぞ。
好きな人の前でそんな姿を見せられるかよ。
落ち込んでいる暇なんかねえ。
今出来ることを全力でやるだけだ。
それにあの村だって、とりあえず全滅は免れた訳だしな。
アニンが一人で悪魔を全て撃退したという、あの餓死に至る病に見舞われた村の生存者たちは、トスト様自らの翼によって、まだ被害のない別の町へと運ばれていった。
聖竜王の威光は他国にまでしっかり届いているようで、受け入れは殊のほか円滑に進んだらしい。
ただ、どうしても生まれ育った場所から離れたくないという人たちも何人かいたそうで、その場合は本人たちの意向を優先したそうだ。
ただし聞いた話だと、他の病と同じように、罹患するかどうかには個人差があるらしい。
アニンが大丈夫だったのは"精血の壺"のおかげらしいけど、他にも大丈夫だった人間はいたとのことだ。
そして当然というか、トスト様もかからないようだ。
病の対象には竜も含まれているらしいが、それでも無事なのは聖竜王ならではってことだろうか。
ともあれ、あの村の人達の何割かは当面、餓死せずに済んだ。
今はそれだけで充分だ。
ちなみに推定的な物言いになりがちなのは、トスト様が輸送を行っている間、俺達は一旦、病の及ばない離れた所に置いていかれたからだ。
話を戻して、何故俺達が急いで聖都へ引き返しているのかというと、トスト様の下に同胞、つまり別の竜からまた「今すぐにでも聖竜王に謁見したいと、イースグルテまで来城した人物がいる」と"通信"が入ったからだ。
しかもその詳細を尋ねてみた所、
「その方は、あなた方にも会いたいと仰っています」
なんて答えが返ってきた。
一体誰だろうと思って重ねて尋ねてみて、更に返ってきた答えに、
「えっ……!?」
思わず声を上げてしまった。
まさか、あいつが……今更俺達に何の用だってんだ?
聖都に帰還し、一層張り詰めた空気に覆われているイースグルテ城に直接着陸するなり、休息する間もなくすぐに黄緑の塔へと通された。
「ちょっと失礼しますよ」
塔での移動を円滑にするためか、トスト様が竜から人へと姿を変えた。
「え……?」
脇から素っ頓狂な声。
あ、そうか。
俺やタルテはもう慣れたけど、ミスティラは初めて見るんだったな。
「え、え、え……?」
ミスティラの表情が、ぼんやりとしたものから段々と激しい驚きへと変化していく。
おいおい、せっかくの整ったお顔が崩れてるぞ。
「ま、まままままさか……あの競竜場にいたリージャンさんががが……そ、そんな、せせ聖竜おおお……!」
「ははは、驚かれていますね」
「あ、あの時は大変な無礼を……! 今すぐにでもこの胸を裂いてお詫びしたい所存ではありますが……!」
「いいんですよ、お気になさらず。むしろあそこまで熱くなれることに好感すら抱いていますよ」
ひたすら恐縮しているミスティラとは対照的に、アニンはと言うと、精々眉を少し動かした程度で、特に驚いた様子を見せなかった。
こいつのこういう所、全然変わってねえな。
「もう、ユーリ様ったらいけない方ですわ。事前に教えて下さればよろしいのに」
「ん? ああ、悪かったな。黙ってた方が面白くなりそうだと思ってさ」
そんなやり取りをしつつも、ミスティラとの間に若干の距離を感じていた。
恐らく向こうも、同じような印象を抱いているはずだ。
かつての関係性だったら、腕を掴まれたりしていただろう。
…………。
でもお互いそんなことを言い出せるはずもなく、移動しているうちに、再びミスティラは元の調子を取り戻していた。
「嗚呼、まさかイースグルテ城に足を踏み入れられる日が訪れようとは……! 身に余る光栄に、わたくし、興奮を抑え切れませんわ!」
「至って普通なのだな」
体温、血圧、色々なものをグングン上げていそうなミスティラとは対照的に、アニンは至ってのほほんとしていた。
もはや突っ込む気も起こらない。
「はぁ……このような名誉を、陽光と草花の関係性の如く身に浴びているというのに、どうして貴女方は不感なのです。感受性を疑いますわ」
「そうか?」
「あ、ああああすいませんほんとクソッタレニブチンで! いや、ニブマンで!」
「ちょっとあなたたち、静かにしなさいよ。あとシィスさんも、そういう訂正はしなくていいから」
「うぐ……すいません」
「む、失礼した」
「貴女に言われずとも承知しておりますわ」
だけど、そういうやり取りが妙に懐かしくて、嬉しく感じられてしまった。
一時、距離感や障壁さえも忘れてしまうほどに。
転移魔法陣での移動を挟みつつそんな風に、聖竜王様がすぐそばにいらっしゃるということも忘れてああだこうだとやっている内に、目的の場所――来賓の間へと到着する。
「……!?」
部屋に立ち入った瞬間、つい反射的に身構えてしまった。
俺だけじゃなく、アニンやミスティラ、シィスも同様だ。
事前に客の名前を知っていたにも関わらずそんな反応をしてしまったのは、禍々しい、怨念じみた気配が部屋いっぱいに充満していたからである。
少しでも殺気が混ざっていたら、恐らく俺達は飛びかかっていただろう。
つまり、攻撃せずに済んだのは、これだけ異様な気配を放っているにも関わらず、相手に全く殺気がなかったからだ。
来訪者は、国賓御用達の座り心地最高な超高級長椅子にも腰かけず、部屋の中央で直立していた。
おまけに、全身を漆黒の甲冑で固めていた。
部屋の飾りにと見るにはあまりに異様すぎる、格調高く、明るく照らされた部屋にはまるで相応しくない漆黒。
光さえも飲み込んでしまいそうなほどの暗黒。
相手が相手とはいえ、よくこんな格好した奴を取り次いで中に入れたもんだ。怪しすぎるだろ。
「このような姿で会談に臨む無礼をお許し下さい、トスト聖竜王」
身構えた俺達のことなどまるで意に介さない様子で、甲冑男がトスト様へ深々と一礼する。
兜越しのためくぐもってはいたが、確かに聴き覚えのある、あの男の声だった。
「私は構いませんよ。確かにジャージア=キンダック皇帝で御間違いないようですな」
「ええ、正式な御挨拶はまた日を改めてということで御赦し願いたい。そして……久しいな、ユーリ=ウォーニーとその仲間たち」
「どうも。"あの時"は"大変お世話に"なったっすね」
わざと特定の部分を強調して嫌味ったらしく言ってみたが、
「君達には感謝している。故に相応の謝礼は支払ったつもりだ。今は掘り返している猶予などないはずだが」
全く悪びれもせず受け流されるのみだった。
そもそも兜で顔面が完全に覆い隠されているため、表情さえ窺い知ることができない。
「俺が言うのも何だけど、トスト様の御前だってのに、兜ぐらい脱いだらどうっすかね。そんなに気に入っちゃったんすか? 俺達がミヤベナ大監獄で必死こいて取ってきた弟の形見」
「この"ソバコンワの鎧"には呪いがかけられていてな。我が命を食らい尽くすまでは外れないのだ。ダシャミエより回収する際に気付かなかったのか?」
「知るかよんなこと。こっちは生き残るのに必死だったんだ。つーかあんたの部下はどうしたよ」
「……新たなる帝国を築き上げる上での礎となった。言っておくが、全員承知の上で行った結果だ」
「つまり、問答無用で塩にしやがったってことか。世知辛い結末だなおい」
「ユーリ殿、今は……」
横からアニンが、強めに肩を掴みながら口を挟んできた。
「……ああ、大丈夫だ。悪い」
分かってる。
今はグダグダ食ってかかって時間を無駄にしてる場合じゃないってのはな。
「とりあえず皆さん座りましょうよ。……して、一国の主ともあろうお方が、供も連れず直接出向いて下さったご用件は?」
トスト様の一声を合図に、俺達は全員椅子に腰かける。
その中にはロト(こっちの方が個人的に呼びやすいからあえてこう呼ぶ)も含まれている。
さっきの一礼もそうだったが、まるで甲冑の重さを感じさせない、軽やかな挙動だったのが不思議だった。
「単刀直入に申し上げる」
半ばどうでもいいことを考えているうちに、ロトが本題を切り出し始める。
「世界へ広がろうとしている"餓死に至る病"を鎮める方法を、お伝えしに参った次第」