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83話『アニン、雑音の剣を振るう』 その4

「……なるほど」


 説明を聞いて向かった先――平時、村の食糧が集められている倉庫にて繰り広げられていたのは、何とも醜い、しかし、このような状況下では至極当然とも言える光景だった。

 派手派手しい、しかし薄汚れている格好をした若い男達が4名、地べたに座って、時折互いに罵り合い、奪い合いながら、猿のように食物を貪っていた。


 きっと普段は鼻つまみ者にされているのだろう。

 外見だけで判断するのは無礼だが、そう考えずにはいられない。

 どのような時でも、このような輩が幅を利かせるものなのだな。


 以前、ユーリ殿からミヤベナ大監獄の最下層での話を聞いたことがあったが、それよりはまだ平和だと思えてしまう私は冷血なのだろうか。

 おっと、そのような自問自答をしている暇は無い。


「少しよろしいか」

「……ああ? なんだおめえは!?」


 近付き、一声かけてみると、揃って目と歯を剥き、威嚇される。

 ミヤベナ大監獄にいた囚人に比べれば可愛いものだ。


「私はアニン、一介の旅の剣士だ。なに、食べ物を奪い取りに来たのではない」

「どうせ村の連中から取り返せって頼まれたんだろ。はっ、残念ながらもう全部食っちまったよ」


 半ばふてくされた態度で、男の1人が何かを吐き捨てる。

 何度も噛まれてふやけ、柔らかくなった木の皮だった。


 よく見ると皆、相当なものを食べていた。

 本来は植える為に貯蔵されていたのであろう僅かな種もみ、食するはずがない木の皮や根、昆虫の死骸……

 ……そして、如何なる場合においても、食するには絶対の禁忌とされているはずのものまでもが、男達の周辺に転がっていた。


「い、言っとくけど、俺らはやってねえからな! 最初から……」

「分かった分かった、落ち着くがいい。案ずるな、咎めはせぬし、誰かに告げ口もせぬ」


 方便ではなく、本心からだ。

 飢餓が極みに達すれば、このような所業に走るのも致し方ない。

 実際、過去の飢饉の歴史を紐解いても、同様の記録は残っていたというではないか。


 ただ、この場にユーリ殿がいなくて良かったとは思う。

 この様子を目にしたら、心を取り出して石臼にかけグシャグシャにされたかのように、涙しつつ、やり場の無い激情に震えるのではないだろうか。


「さて、本題に入ろう」


 4名とも飢餓状態で弱っていることを差し引いても、力に訴えて制圧するのは容易だが、それでは意味がない。

 本質的な救いにもならぬだろう。


「先にも申した通り、食糧を奪回しに来たのではない。ただ、少し話を聞いて欲しくてな」

「話……だと?」

「うむ。今お主らが独占している僅かな食糧、他の村人達にも分け与えてやってくれぬだろうか」

「……ふ、ふざけんじゃねえっ!」


 うむ、まあ、そうなるな。


「そんな余裕ある訳ねえだろうが!」

「普段散々俺らのことをバカにしやがってた連中に、何で分けてやらなきゃいけねえんだよ!」

「こっちだって食って栄養つけなきゃ死んじまうんだ!」

「俺達だって死にたかねえんだよ!」


 口々に喚き立てるその様は、恫喝や反抗ではなく、必死の主張にしか聞こえなかった。

 無理もない。

 人間、死の影が背後に忍び寄れば、理性や道徳、慈愛の精神など容易く消し飛んでしまう。

 奪い取り、独占する行為自体を責められはしない。

 この者達にも聞こえたはずの、スール=ストレングの声が、恐慌を更に加速させてしまっているのだろう。


「それは充分承知している。しかし、そこを何とか考え直してはくれぬだろうか」

「……ああ?」

「想像して頂きたい。僅かな食糧を奪い合い、独占し、今を辛うじて食いつないだ所で、その先はどうする? 現状のままでは、どの道待つのは死だぞ」

「ぐっ……!」


 "死"という言葉を直接突きつけられて、男達は明らかに動揺していた。

 どうやら救いようのない人間ではないようだ。

 これなら……


「敢えてはっきり言わせてもらう。現状、この病を止める術も、周囲で充分な食糧を確保する術も無い。このまま村ごと全滅するのはほぼ免れぬだろう。なれば、心だけは誇り高いまま逝く方が良いのではないだろうか。皆で……」

「るせえッ!」

「偉そうにグダグダと……知ったような綺麗事言ってんじゃねえ! 俺は"今"腹減ってんだ! 体が苦しいんだよ! 辛いんだよ! 食い物や水のことしか考えられねえんだよ! 今だってどんどん腹が減ってきてんだ!」

「耐えられないと思うから耐えられなくなるのだ。よいか、手軽に実行できる秘策を授けよう。苦しくて辛いのならば、そのような状態を全て受け入れ、抵抗するのを止めてみるがいい。言うなれば、"苦しくて辛いから嫌だ"の"嫌だ"を消し、ただ"苦しくて辛い"状態だけを、思考を止めて味わってみるのだ」


 かつて師から聞かされた心構えを、この状況に置き換えて話してみたが……


「てめえなめてんのか!」

「そんなんで腹が膨れる訳ねえだろ!」

「クソくだらねえ宗教みてえなことほざきやがって!」


 案の定、まるで理解してもらえていないようだ。


「当然だ、紛れる訳が無かろう。これでどうにかなるのならば、過去の人々が飢餓に悩まされなどはせぬ。あくまでも気休め、精神論だ。しかし精神論だからこそ、心は多少なりとも救われるぞ。体も心も救われぬよりは、心だけでも救われた方が合理的であろう。ほれ、笑え。笑うのだ。最初は無理な作り笑いでも、そのうち段々と本当におかしくなってくるものだ」

「おかしいのはおめえの頭の方だろが」

「つーか何であんたは平然としてるんだ。魔物でさえ病にかかってるのがいるってのに」

「おめえこそ、隠れて食ってるんじゃねえだろうな」

「まさか」


 やはり思い当たる節といえば、"精血の壺"だろうか。

 完全に懸念を拭い去れぬままこの地へ向かったのだが、空腹が通常の生理現象以上に加速することがなかった。

 まさかこのような未知の病にまで加護をもたらしてくれるとは、つくづくチョラッキオの市場でいい掘り出し物をしたものだと思う。

 ただしこのような状況では、持ち得る者の余裕と尚更耳を貸してもらえぬ不具合も強調してしまうが。


 1つにつき1人にしか壺の効果が得られないのが悔やまれる。

 かと言って、現在の危難において、量産している猶予もない。

 いや、そもそも壺の製造法は現存しているのだろうか。


「だいたいよお、強え奴に言われたって説得力がねえんだよ!」

「なめんじゃねえってんだ!」

「ふむふむ、お主らには私がそう見えるのか。なれば問題は無いな。お主らも、充分に強く在ろうとする者達だ」

「あ?」

「訳分かんねえこと抜かしやがって」

「そうか、ではもっと明け透けに言おう。……実は私も、現在進行形で死にそうな程空腹でな。今にも倒れてしまいそうなのだ」

「嘘つけや!」

「嘘ではない。そう見えぬのは、私が今さっき言ったことを必死に実践しているからだ。重ねて言うが、本当に簡単だぞ。私如きでも容易に実践できるのだからな。騙されたと思って試してみるといい」


 嘘も方便、利用できるものは利用させてもらおう。


「…………」


 折角、彼らの心も少しは揺れ動いてきたのだから。


「……ど」

「ど?」

「どうすりゃ、いいんだよ」


 よし来た。


「うむ、全く案ずることはない。この私が手取り足取り教えてしんぜよう」


 ようやく取っ掛かりが見え始めた、その時。

 突として、我々のいる場所から少し離れた草薮に、何かが落下してきた。


「む?」


 しかも、一度に留まらず、二度三度と続けて。


「一体何事だ。美しく話がまとまりかけていたと言うのに……」


 透き通った蒼天を見上げる。

 隕石ではないようだ。

 もっと異質で、厄介な……


 落下してきた異形のモノが自律的に動き出したのを見て、正体を理解した。


「……なるほど」


 形状こそ生物的だが、構成される肉体は……金属。

 見覚えがあった、というか忘れもせぬ。

 以前、フラセース聖国内のタゴールの森で遭遇した……"帰れずの悪魔"と同質のモノ。


「う、うわああああ! ば、化物だああ!」

「魔物!? いや、ち、違う! あれが悪魔!?」

「も、もう終わりだ……本当に終わりだ……」


 男達も、既に正体を正確に把握しているようだ。

 スール=ストレングの声を聞いているのだから当然だろう。


「騒ぐな」


 制しつつ、井戸のあった方角や空を目視してみたが、今の所は幸いあちらへ悪魔が降下する様子は無い。


「いいか、よく聞くのだ。息を殺し、指示するまでここから動くな」

「指示って、おめえ」

「悪魔の相手は私が引き受ける。すぐに済ませるゆえ、良い子にしているのだぞ」


 返事を待たず、剣を抜き、動き出した悪魔の群れへ接近。

 この者達とは違い、話し合いなど通じぬであろう相手だ、先手を取って始末するに限る。

 友好関係を築くために降下してきた訳でも無かろう。


 恐怖は無い。

 感じているのは――むしろ、高揚感。

 スール=ストレングを討つ前の試し切り――練習台としては申し分無し!


「アニン=ドルフ、参る」

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