83話『アニン、雑音の剣を振るう』 その3
「……の方で、おかしな病気が流行ってるらしいな」
「……の集落は……全滅しちまったらしい」
おやおや、背後の卓に座っている客は随分と物騒な話をしているようだ。
「……食っても食っても腹が減る、原因不明のやばいやつだってな。この間帝都は皇帝含めて全部塩になっちまったって言うし、この国もどうなっちまうことやら」
これはまた、難儀な病が流行っていることだ。
空腹を引き起こす病など、初めて聞いたぞ。
しかし、なるようにしかなるまい。
流行り病というものは、ある一定以上は天の領分、采配によっては摂理のまま死を受け入れねばならぬこともある。
などという無粋をわざわざ口にはしないが。
それに、そのように簡単に切って捨てられもなくなってしまった。
ユーリ殿と出会い、あの思想に触れてしまってからは。
……本当に共鳴か?
口実ではないか?
まあ、どちらでもいいか。
「……の村も結構危ないことになってるらしいな」
「おいおい、こっちまで広がったりしねえだろうな」
確かめに行ってみるとしよう。
思い立ったらすぐ動く、それが私だ。
「店主殿、馳走になった。勘定を」
「おや、もういいのかい。いつもはもっとたくさん飲んで、長くいてくれてたのに」
「行く所があってな。じっくり飲むのは、また次の機会にさせてもらう」
村での滞在時間が予定よりもずっと短くなってしまったのは少々残念だが、致し方あるまい。
馬の調達は……不要か。遠すぎる訳でも無し、独行ならば足のみで充分。
それに、馬を病に巻き込んでしまうのも些か気が引ける。
…………。
……。
己のみで向かう、という選択肢に間違いはなかった。
計算外だったのは、街道をひたすら東進する道中、餓えを呼ぶ正体不明の病の詳細を知るよりも先に、新たなる情報を知ってしまったことだ。
流石にこれは私の無知無学が原因とは言えまい。
「これは……!」
突然に、頭の中へ直接、忘れもしない、あのスール=ストレングの声が響いてくるなどと、一体誰が予想できるだろうか。
ユーリ殿の"力"で既に経験済みだということもあり、現象自体への驚きはない。
しかし、心を激しく揺さぶられてしまったのは事実だ。
仇が、生きていた。
まだ私の手で討てる、殺せる余地が残されていた。
「……くくく」
不謹慎なのは百も承知だが、笑いを抑え切れない。
周囲に人がいない状況で良かったと思う。
「そうかそうか、生きているか、悪魔め」
独り言までもが抑えられない。
「誰かに討たれるならばまだ良し。……だが、勝手に力尽きてくれるなよ」
あのように名指しまでされて許可を出されては、応えぬ訳にも行くまい。
これでは師の言葉に背いて、また目標に囚われてしまうではないか。
「待っているがいい。新たなる我が剣、その濁った臓腑の一つ一つに刻み、覚え込ませてくれよう」
奴の話しぶりからして、"声"は世界中の生物に届いているはずだ。
共に敵討ちの為に闘ったソルテルネ殿は、一体どこで何を思っているだろうか。
……愚問か。
今の私の心境を考えれば、容易に解答は導き出される。
目指していれば、お互い再び道が重なることもあろう。
しかし、今はスールの所へ――インスタルトへ行く手立てが思いつかない。
行ける手段を持つ人脈も持ち得ておらぬ。
それ以前に……現在、そのような者が存在するのか?
流石のソルテルネ殿も、そこまでは分からぬだろう。
最悪の場合、私自らがインスタルトへの道を探すか、作り出さねばな。
不思議と、絶望感は薄かった。
――頑張って"道"を見つけてみてちょうだい。
という言い回しからして、何らかの移動手段が存在する可能性は決して低くないと思われる。
その検討も含めて、ソルテルネ殿と合流したい気持ちも無きにしもあらずだが、ひとまずは当初の予定――"餓死に至る病"をどうにかしに向かうとするか。
この病の発生源もインスタルトにあるそうだが、傍観している訳にも行くまい。
と、ユーリ殿ならば言うだろう。
それに、感染の危険を顧みることもないだろう。
もっとも私は、"壺"から得た加護があるから、恐らくは問題ないだろうが。
……急ぐとするか。
道中、別の村に立ち寄り、食糧を買ってから目的地へ向かおうとしたが、売ってもらえなかった。
では何か採集するなり狩りをするなりして食糧を集めようと思ったが、まるで見つからなかった。
事態は相当深刻なようだ。
目的地に近付くにつれ、確実に、死の空気が色濃くなり始めている。
この病、人間のみならず、鳥獣や魔物にも効果を及ぼすらしい。
あちらこちらに屍が転がっている。
一定の時間が経過している死骸に蝿や蛆も集っていないのを見るに、小さな生物にさえ……
生きとし生けるもの全てに遍く襲い掛かる死の病、という訳か。
植物の類は無事で、暖かな日差しや、乾いた風は変わらず心地良いのが余計に不気味だった。
結局、満足な食糧を集められずじまいだったが、ここまで来て行かぬ訳にも行くまい。
話題に上っていた東の村は、確かに噂通り、いやそれ以上の悲惨な有様だった。
表面的には静かであるものの、決して長閑さに由来するものではない。
死が、破滅が、現在進行形で緩やかに進んでいた。
麓の村よりも少し規模が大きく、元は活気があったと思われる分、余計に静寂が際立っていた。
「……う……」
道端や軒先で蹲り、横たわっている村人たちからは、まるで生気というものが感じられなかった。
全員が餓死している訳ではなく、何割かはまだ辛うじて命を繋いではいるようだが、このままでは途切れるのも時間の問題だろう。
餓死に至るなどと、奇妙な病が実在するとは……
極端に痩せ細ってはおらず、急に食事を断った時の姿に酷似している所に、信憑性の高さを覚える。
さて、どうしたものか。
手持ちの食糧を全て与えたい所だが、量と人数が釣り合わぬのは明白。
なれば優先順位をつけて対応すべきだろうが、数人を救った所でどうにもなるまい。
その場凌ぎにもならぬ。時が経てば、またすぐ飢餓に襲われよう。
無意味な不平等感を残してしまうだけだ。
「……済まぬな」
こればかりは幾ら剣を磨いた所で、どうにもならぬ。
おっと、詫びても仕方あるまい。
とりあえず、村の周辺で少しでも食糧をかき集めねば。
「……あ、あの」
そう考えていると、道端に横たわっていた女の1人が、体を弱々しく震わせながら声をかけてきた。
「あなたは……もしかして、他の町から援助を……?」
「そう在りたかったのだが、残念ながら現時点では食糧を集められておらぬ。すまぬ」
偽っても仕方がないので、事実のみを伝えると、女は絶望の色をありありと浮かべた後、さめざめと泣き始めた。
「夫も、娘も死に……私も……ああ……」
焦点定まらぬ瞳で虚空を見つめ、途切れ途切れに譫言を呟く。
「泣き言は感心せぬな。死んだ所で家族には会えぬぞ。さあ、これを食して当面の命を繋ぐのだ」
つい先程の思考を撤回する形になってしまうが、仕方あるまい。
臨機応変に対応する方が重要だろう。
「……」
最後の希望までも切って捨てるように否定されたのが堪えたのだろう、か弱い眼光を向け、掻き消えそうなほどの小声で礼を述べたのみで、後は私の手からひったくった水と干し芋を貪るのみだった。
それでいい。恨みつらみも生き抜く為の重要な原動力だ。
「……水場まで連れて行って下さい」
「承知した」
人をこき使えるくらいに太々しくなれたのならば、ひとまずは大丈夫だな。
女を背負って、指示されるまま向かった先は、共用の井戸。
そこには既に他の生存者達が群がっていた。
列を成さず、井戸を取り囲み、力を振り絞って絶え間なく水を汲み上げ、浴びるように飲み下し続けている。
皆一様に腹のみが異様に膨張していたが、それを醜いと誰が謗れようか。
どうやら生物の範疇に含まれない水は無事らしい。
意外と生存者がいるのはそのためかと得心する。
もう1つ気付いたのは、症状の進行に個人差があるのではという点。
あくまで目測によるものだが、男や子供よりも女の方が、比較的症状が軽いように見える。
また、元来肉付きが良かったであろう者も軽症に見えた。
飢餓を引き起こす病なのだから、当然と言えば当然か。
私の姿に気付くなり、生き残りの村人たちが、今し方運搬した女と同様、縋り付くような視線を向けてきた。
「これから近隣で食糧を探してくる。もう暫し耐えてもらいたい」
言われる前に言ったのだが、それはどうも些か的外れなやり方だったらしい。
「……それよりも」
「む?」
井戸の汲み上げを行っていた、この中では比較的元気そうな男が、何かを訴えようとしてきた。
「見た所、あんたは強そうだ。……頼みたいことがある」
「頼みたいこと?」