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83話『アニン、雑音の剣を振るう』 その2

 この狭く、不安定な岩場で取れる行動は限られている。

 跳躍して背後を取ろうとするか、"体そのものを消してしまうか"だ。


「むっ」


 前触れ無しに、虚空から師の剣が出現し、回転しながら飛来してきた。

 速度は問題ではなく、軌道も顔面。

 払いのけるのは容易い……が、それこそが狙いだと、承知していた。


 剣を払いのけると同時に、尻を軽く叩かれる感覚。


「ひょほほ」

「……齢80に迫ろうとする御方の取る行動とは思えませんな」

「これぞ長寿の秘訣よ」


 色々な意味で、一向に衰える気配なし、か。

 ついため息を漏らし、剣を下ろしてしまう。

 私だからまだ良いものの、然るべき相手ならば大問題になっていただろう。


「剣士の魂を投げてもよろしいのですかな?」

「魂より尻じゃ」


 幼子の頭にそうするかのように、尻を撫でる感触は止まない。


「御戯れを」

「つれないのう」


 振り下ろした肘は空を切る結果に終わり、師が再び滝を背景に座り込んだ。


「アニンよ。今この時を以てお主は追放じゃ。速やかに山を下りよ」

「……なんと」


 先の肘打ちで臍を曲げた訳ではないことは分かる。

 しかし、あまりに唐突な話だ。


「今の己に足りないもの、深みに入ることを妨げている雑音、既に把握しておろう。これ以上この場に留まった所で、永遠に取り払えぬぞ。ごっこ遊びは飽きるほど味わったであろう。修行を逃避の娯楽とするでない」

「……はっ」


 耳が痛い。


「……と、これは表向きの理由よ。これ以上年頃の娘と寝食を共にしては、この老いぼれが辛抱たまらなくなってしまうからの」

「何だかんだと師は、私に甘いですな」

「何のことかの。勘違いするでない。ともあれ、剣を失っていた間、体術を磨いていたというのは非常に良い考えじゃったぞ。知っておろうが、ササ流の要諦は剣のみに非ず。己が肉体も剣と化し、両面を研ぎ澄ませねばならぬ。

 お主ならば必ず、全てに得心が行く答えを導き出せるであろう。それまで存分に苦しみ、悩むが良い」


 やれやれ、急に真面目になられては、これ以上敬意を失って呆れられなくなってしまうではないか。


「お主の成長した顔を見られて嬉しかったぞ。次に訪ねてくるのならば、良人と連れ立ってにせい。早よせんとお迎えが来てしまうからの、あまり待たせるでないぞ」

「そうしたいものです。見つかれば、の話ですが」

「足りておらぬものを埋められたならば、もう一度遊んでやろう。……とはいえ、目標そのものに拘りすぎぬことよ。道草に甘んじてみるのも時として一興。いっそのこと、剣の修行なんぞほっぽって花嫁修業でもしてみたらどうじゃ? かっかっか」


 最後まで飄々とした態度を崩さない師からの助言は、一際私の胸に突き刺さった。






「……道草、か」


 どうしたものか。

 技こそ取り戻せたものの、予定よりも早く追い出されてしまって、完全に宙ぶらりん状態だ。


『花嫁修業でもしてみたらどうじゃ?』

「……くっく」


 私が?

 ろくに考えたことも無かった。

 肉親――父からでさえ一切話を出されず、時々母から"婿の貰い手はあるのか"と苦言を呈されたぐらいだぞ。


 それはさておき、こんな状態になったのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 よく"本音の部分で何を考えているか分からない"、"気の向くまま生きている"などと評されることがあるが、私自身の自己評価では、特に当てはまっているとは思えない。

 私の中では常に明確な目標が立ててあり、それを達成することに心血を注いできたつもりだ。

 父を超える、師に追いつく、父母の仇である皇帝とスール=ストレングを討つ……


 ササ流、というか武術全般に通じる平常心を心がけているため、そう見えてしまっているのかもしれない。

 それにしても、まさかユーリ殿にも正確な本心を分かってもらえていなかったのは、少しばかり心外だったな。


 ……私も人のことは言えないが。

 私とて、果たしてユーリ殿の心情をどれほど理解していたか。


 いかんいかん、また考えてしまっているぞ。

 やめだやめだ、もっと笑って、気楽に行かねば。

 どうしても顔が見たくなったなら、ほとぼりが冷めた後にでも、何か適当な土産を持って、ファミレなりロロスなりを訪ねてみればいい。

 確かなのは、今はまだ会いに行くべき時ではないということだ。


 さて……私としても、剣を追究するだけでは目的地に辿り着けないような気が、薄々としていた頃だ。

 師の仰る通り、ここで一度剣と距離を置いてみるのも一興か。


 では、どうするか。

 ……ユーリ殿の真似事でもしてみるか?


 それも面白そうだが、とりあえずは最寄りの村へと行ってみるか。

 久しぶりにあそこの店の酒が飲みたい。

 手近な欲求を満たすだけに……いや、今は歩くことだけに集中だ。


 …………。


 ……。


 着いた。

 師事していた時から買い出しなどの用事で幾度も訪れたことがあるが、変わっていないな、ここは。

 小さいし、やや寂れ気味だが、戦乱とも、ツァイ特有の殺伐とした空気とも縁遠いのどかな村。

 嫌いではない、と言うより、むしろここへ来るのを毎度楽しみにしていた。


「おお、剣の姐さんじゃないか。また来たのかい」

「来てしまったぞ。この村が好きだからな」

「嬉しいことを言ってくれるじゃないの」


 村人とも、すっかり顔見知りになってしまっていた。


「今なら酒場も空いてるよ」

「む、そうか。かたじけない」


 語らずとも、目的をお見通しにされているくらいには。

 私は、気さくに話しかけてくれるここの人々が好きだ。


 早速酒場へと足を向け、年季を感じさせる褪せた木製の扉を開け、


「御免」

「いらっしゃい……お、剣の姐さんじゃないか。久しぶりだな。座りなよ、いつもの席に」


 いつもの、横長の一番左隅の席へと腰かけ、


「一応聞いておくけど、何にする?」

「いつもの」


 いつもの、ここへ立ち寄る度愛飲してきた酒を注文する。


「どうぞ。……姐さん、また色っぽくなったんじゃないの」

「御主人は特に変わっておらぬな」

「それは褒めてるのか?」

「無論だ」


 店主は笑って、無色透明の液体が注がれた、これまた年季を感じさせる陶製の酒器を置いた。

 この村で生産されたものでもなく、高級なものでもない、ましてや他の場所でも飲める、やや強めなだけが特徴の米酒。

 だが……


「……美味い」

「その酒を、そんなにも美味そうに味わって舐めるのは姐さんぐらいのもんだよ」

「そうか?」


 店主の言い分も、もっともだとは思う。

 しかし私にとっては、この酒をここで飲むことに意義があった。

 恐らく、まだ修行時代の小娘だった頃に初めて口にした酒で、初めて口にした場所だから、一際印象強く焼き付けられているのだろう。


 あの時は柄にもなく、ちょっとした悪事というか、背伸びした悪戯心で胸躍らせていたものだ。

 もっとも父と違って師は、このような行動を咎める御方ではないので、露見しても笑って流されるだけだったのだが。


 父上……母上……そして、弟。

 仇討ちがあのような形に終わり、満足されているでしょうか。

 ……考えても仕方がないか。


「2杯目はどうする、剣の姐さん」

「同じのを頼む」


 酒気が少し頭の中へ浸透してきた辺りで、いつの間にか自分が"剣の姐さん"なる呼称をすんなり受け入れてしまっていることに気付く。

 別にそう呼ばれるのが気に障る訳ではないが……周囲からもすっかり"剣の人間"なのだな。

 既に体の一部と化しているものを、果たして切り離せるのか……


「む」


 2杯目の中身が半分以下になってきた辺りで、一組、また一組と客が入ってきて、静かだった狭い店内が徐々に賑やかになり始めていく。


「よっ、剣の姐さん。久しぶり」

「うむ、そちらも壮健そうで何よりだ」

「隣、いいかい?」

「構わぬぞ。ただし奢りはせぬが」


 次々と声をかけてくる客――村人たちに返事をしつつ、酒を傾ける手は止めない。

 このような心境ではあるが、静かに飲ませて欲しいとは思わない。

 やはり酒は大勢で楽しく飲んだ方が楽しい。それはいつ何時も変わりはしない。


 話をするだけではなく、ついでに付近から聞こえてくる、他の客の噂話に耳を傾けてしまうのも好きだったりする。

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