82話『ミスティラ、苦く、甘く、熱く、虚ろな想い』 その7
シィスさん、タルテ……そして、ユーリ様……
様々な意味を、複雑極まる心情を絡め、最後に焼き付けた映像と、ほとんど相違が見られない……
手を取り合って降り立つ御二方の左手の薬指を探してしまうことを、そこに何の飾りも認められず安堵してしまうことを、阻止する手立てはありませんでした。
そして、決して埋まらないと思っていたはずの、我が心の内に在る虚無が、たちまち俗なる感情に塗り潰されていくことも。
「トスト様、槍を手にしたまま拝謁する非礼、お許し下さいませ」
「いえいえ、お気になさらず」
「ユーリ様、タルテ、シィスさん……皆様も、ご無沙汰しておりますわ。御変わりなきようで」
友と、愛する人が並んで立つ姿を目にして、火のように、いいえ、炎のように湧き起こるのは、懐かしさと……羨望。
あの位置に居るのが己であったなら……
氷の棺に封じ込め、凍てつかせたはずの邪心が、またも……!
青みがかった視界に、赤黒いものが浸食するのではと錯覚してしまうほどに……!
「よう、久しぶり」
「ミスティラ……」
あちらもわたくしに対し、少なからず後ろめたいものを抱えていらっしゃるのが、視線の揺らぎから感じ取れました。
そのような態度を微かに見せられたということは、こうして再会するまでの空白を、一体如何なる手段を持って過ごしていたのか。
どうしても悪しき方、悪しき方へと想像してしまい……
「あの、ミスティラさん」
見えざる意志に誘われるがまま、底の見えぬ大穴へ飛び込もうとしていたわたくしを断崖の所で引き留めて下さったのは、シィスさんの遠慮がちな声でした。
「再会の挨拶もそこそこにこのようなことを聞いてしまってすみませんが、詳しい状況と事情を教えて下さいませんか」
「……え、ええ。承知致しましたわ」
促され、トスト様や皆様に事のあらましを説明している最中も、薄皮一枚の所で、獣の如き欲求を必死に押し留めておりました。
わたくしは魔具に選ばれたのだと、大悪魔めに手傷を負わせたのだと、褒めてもらいたい気持ちでいっぱいでした。
無論、欲する対象はただ1人。
しかし、現状の関係性では、そのような要求さえ厚かましいというもの。
万死に値する大罪と言っても過言ではありません。
称賛を欲するならば、己で己に与えれば良いだけの話。
今、この時のように、終始理性が勝り、説明をやりおおせたわたくしは大したものだと。
「――なるほどなあ。潜ってる最中も奴の姿を見かけなかったな。そもそも辺り一帯真っ暗でよく分からなかったけど」
「方向が全く違っていたのかもしれないわね」
「それにしても驚いたぜ。ミスティラだけじゃなく、フェリエさんまで伝説の魔具に選ばれるなんてさ。しかも追い払っちまうとか、半端ねえじゃん」
「自分でも驚いています。私のようなただのか弱いおばさんが、こうして海巫女として認めて頂けるとは」
「あ、いえ、そういうつもりで言ったんじゃないんす」
「あらあら、より精悍になられても、可愛らしい所は変わっていませんのね」
「ちゃ、茶化さないで下さいよ」
従来だったならば、このようなやり取りですら、タルテは軽い嫉妬や不安を見せていたはずでしょう。
しかし今は、笑いをこらえながら、御二方を穏やかな瞳で見つめているばかり。
そんな姿を見て、改めて敗北を突きつけられた心持ちでした。
「えっと、すみませんミスティラさん。私達の方の事情も、説明した方がいいですよね」
シィスさんの口から語られる話は、理解こそ可能でしたが、それ以上の真摯さを以て傾聴することは不可能でした。
それというのも、既に新たなる欲求が湧き上がってきてしまっていたからです。
すなわち、もう一度、ユーリ様たちと同道したいと。
この愚か者!
わたくしは一体、何を邪な……!
これ以上恥を上塗り、痛苦に苛まれようというの!?
それに、今のわたくしは、ローカリ教の特使として重大な使命を帯びた身。
それを放棄するなど、無責任が過ぎるというもの。
諦め、全てを忘れ、己が使命に邁進するのです。
……しかし!
「ミスティラ殿」
ふと、横から声をかけてきたのは、洋の民の代表者が1人。
「我々から正式にお願いしたき儀がございます」
「何でしょうか」
「今の貴女様へ願うことは他でもありません。トスト様やこの方々と同行し、逃走したミーボルートを打倒して頂きたい」
「ですが、それでは」
「ミネラータには、フェリエ様に留まって頂きます。そうすれば仮にミーボルートがここへ戻ってきたとしても迎撃が可能。お2人には別々に行動して頂いた方が効率がよろしいでしょう。
それと、貴女様の真心、高潔なる精神、魔具を扱っての立ち振る舞い、しかと拝見させてもらいました。貴女様は、信頼に値する御方です。これまでの数々の冷遇、どうかお許し下さい」
「……いえ、どうかお気になさらず」
ここへ来訪した目的が叶い、欲求を満たす許可を頂いても、手放しに喜びなどできませんでした。
「我々洋の民全員、これより種族の壁を取り払い、現在全世界に差し迫っている危機に対していかなる協力も惜しまぬことを、大いなる海に誓ってお約束致します。ローカリ教との友好関係についても、是非とも前向きに考えていく所存です」
むしろ逆に、一層感情は混迷を極めるばかり。
わたくしの心は、ここまで穢れ、堕ちてしまったというのでしょうか?
トリキヤの羽衣よ、ヴァサーシュの槍よ、このようなわたくしを、未だ使い手として認めて下さるというのですか?
尋ねてみても、言語による返答はなく、魔力や生命力の剥奪という罰を与えられることもありませんでした。
「御安心下さい。私もここへ留まりましょう」
「ゲマイさん」
「誤解めされるなミスティラ様。あくまでも世界の安寧の為ですぞ。
……それと、ミスティラ様がこれより進まれるは茨の道。どうか迷わず、痛みに負けることなく、力強くお進みなされ」
ゲマイさんの鋭い眼光、しわがれながらも重々しい声が、わたくしを厳しく叱咤して下さいました。
確かにその通り。
わたくしの歩むべき道は、もう敷かれている。
足に砂利が食い込もうと、茨で肌を引き裂かれようと、灼熱に焼かれようと、ただ進むのみ。
「……承知しておりますわ。ミネラータを護り、かすがいとなる役目、託させて下さいませ、我が師よ。そして洋の民の皆様、寛大なる御英断を下して頂き、感謝に堪えません。必ずや御期待に沿えてみせましょう」
「どうかよろしくお願いします。無論、手ぶらで行かせなどしません。我々洋の民からあなた方への信頼と友好の証として、その2つの魔具は進呈致します。
ですが既に御存知の通り、使用にあたっては相当量の消耗を引き起こしてしまいます。危急の事態以外での使用はなるべくお控え下さい」
「ご忠告、傷み入りますわ。……ユーリ様、強引に話を進める形となってしまいましたが、よろしいでしょうか」
「ああ、俺達は大歓迎だよ。またよろしくな」
努めて軽やかに振る舞われているのは、誰よりも先んじ、代表して言葉を発したのは、気を遣わせぬためなのですね。
嗚呼、やはり貴方様は、お優しい……
「和を乱す愚は犯しませんゆえ、御安心下さいませ。今のわたくしは一介の戦士であり、ローカリ教の一信徒。背負いし期待に応えることのみに徹しますわ」
「ミスティラ……」
「そのようなお顔を見せないで下さるかしら。……トスト様、どうぞわたくしにもその背を拝領する栄誉を」
「まあまあ、肩の力をお抜きなさい、若き女神殿。いいや、ローカリ教の御令嬢とお呼びした方が気楽ですかな?」
矮小なるわたくしの心中など、トスト様には全て見透かされているのでしょう。
それでも、構いはしません。
どれだけの恥を知られようとも、晒そうとも。
この身を、心を、命を削られようとも。
使命の下、期待の下、戦い抜くのみ。
虚ろの鎧を纏った下にある、甘く、苦く、熱い、まるで珈琲のような想いを、血潮に乗せて全身へ駆け巡らせたまま。