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82話『ミスティラ、苦く、甘く、熱く、虚ろな想い』 その6

 アブラハネの杖が降らせた雨により、あらゆるものが薄く煙り始めた中でも、悪魔の漆黒の輪郭は、憎らしいほど鮮明に映っておりました。

 しかし、雨粒に射抜かれ、茫然と空に留まる悪魔の心中を思うと、僅かな痛快さを覚えてしまったのも本音。

 起こした火を、容易く消されようとされている心境はいかがかしらと、問い質したい心持ちですわ。


 もっとも、そのような暇があるのでしたら、反撃を行いますが!

 最早宣告など必要無し!

 見た目ほどではない槍の重みに、信頼と敬意を添え――力を振るう!


「ヴァサーシュの槍よ! 我に悪魔を退ける力を!」


 戦い方も、生み出された経緯も、全て記憶を司る回路へと銘記済み。

 ヴァサーシュの槍もまた、来たるべきミーボルートとの戦いに備え、積み重ねてきた情報と洋の民の技術の粋を結集し開発された魔具。

 故に、高熱を発する身体に近付かずとも、離れた間合いからの攻撃が可能であり、それこそが第一の得意分野。


 突きつけた、飾り気のない穂先から、液体とも金属ともつかない、白銀色の不可思議な物質が生まれて。

 雨を弾きながら、みるみるうちに巨大化していって、悪魔よりも巨大な不定形となって。


「――征きなさい!」

 

 わたくしの意志、槍を作りし方々の意志、槍を託して下さった方々の意志を引き金に、燃料に。

 弾けたそれらが、幾十筋もの流星となって悪魔へと奔っていく!


 狙いは全身。

 上下左右前後、あらゆる方向から粉砕して差し上げますわ!


 しかし、相手も伝説の大悪魔。

 容易く蜂の巣になどならず、逃げ場を失う前に、高い機動力をもってその場から離脱してしまいました。


「……ふ」


 忌々しいと嘆くよりも先に漏れ出たのは、笑み。

 ヴァサーシュの槍の本領は……これから!


「雨降る水の都を奔る流星よ! 束なり、我々の思いを象徴せし、雄渾なる一閃を!」


 此方の意思に呼応した白銀の流星群が、それぞれ弧を描いて軌道を変え、大悪魔を追尾しながら重なり合って、一つの大きな閃光と化して速度を上げ……


 ――穿てる!


 小賢しくも蠅のように逃げ回る大悪魔を終ぞ捉え――左肩の甲冑を貫いて破損せしめたのです!

 これこそが、ヴァサーシュの槍に込められし固有能力。

 自在に形質を変える"白銀の水"を操り、敵を討つ力。


 槍はこうも教えて下さいました。

 白銀の水は、人や魔を遍く溶かし、狂わせる性質さえ有する。

 ゆめゆめ、用法を過つなかれ、と。

 確かに、力に溺れるような愚は犯してなりませんわね。


 ……正確には、溺れるとするならば、非力の枷によって、でしょうか。


「……っ!」


 まだ一撃しか加えていないにも関わらず、何という消耗……!

 魔力のみならず生命力そのものまでも利息として支払っているような……!

 飛行するため、羽衣へ回している魔力さえ覚束なくなりそう……!


 斯様な体たらくでは、長期戦は望むべくもなし。

 一刻も早く、決着をつけなければ……!


 いかなる原理か、傷口から激しい火花を散らす悪魔から目を離さず、忠言と方針を反芻していると、右方から雲車に乗ったフェリエ様が雨霧を裂いて、姿をお見せになりました。


「ミスティラさん、お待たせしました。火はあらかた消し止めました」

「それは何よりですわ。こちらも、勝機が見えてきたところですの。そしてこれからはフェリエ様も加勢して下さる。……これは最早、勝利は我々の手にあり、と断言しても差し支えないかもしれませんわね」


 わたくしの不甲斐なさとは対照的に、フェリエ様に魔具の行使に由来する疲労の色無し。

 この状況ならば、かつての聖戦のように、大きな犠牲を払うことなく、大悪魔を討ち果たせるかも……!


「ミスティラさん、お体は大丈夫ですか?」

「支障はありませんわ。いいえ、例えあろうとも、今は泣き言を言っている場合ではありません。ここが正念場ですわ! ここでミーボルートを打倒するのです!」

「……仰る通りですね。頑張りましょう」


 会話の間も、大悪魔の動向に注意を払っていたのですが、攻めの気配は見受けられませんでした。

 最初にわたくしが名乗りを上げた際は、不意打ちさえ平然と行ってきたというのに。


 原因の特定は至難ではありませんでした。

 恐らくは、フェリエ様。

 フェリエ様が現れてからというものの、心なしか大悪魔の雰囲気や挙動が、停滞気味になったような……

 やはり、かつて己を追い詰めた2つの魔具、ギャスコとアブラハネ、そしてそれらを扱う海巫女に対して並々ならぬ警戒心を抱いているのでしょうか。


 それもまた、好機と解釈すべし。

 ここは一気に畳み掛けるが得策!


 打って出る覚悟を決め、右の手に握りし槍に力を込めた時でした。

 停滞していた大悪魔の全身が赤く灼熱し、火を吹く翼を大きく広げたのです。


「攻撃を仕掛ける気ですの……?」

「お気をつけ下さい!」


 しかし、かつての競竜の時が如く、わたくしの予想はとんだ大誤りを犯してしまっていたのでした。

 こちらへ突撃するでもなく、極大の火炎を吐きかけてくるでもなく……


 上方へと飛び、現在地底にいる洋の民の方々が必死に祈りを捧げて修復を行っている天蓋を貫き、そのまま大海へと姿を消してしまったのです!


「逃げ出した……?」

「くっ……!」


 愚か!

 何という愚かさ!

 "一時撤退して傷を癒す可能性"という、重大なことを失念していたとは……!


「こ……この臆病者! 卑怯者! 戻ってきなさい!」


 無意味と知っていようとも、罵らずにはいられませんでした。

 狩人を生業としていないわたくしでさえ、獣にせよ人にせよ、手負いのものを野放しにするのは危険極まりなきこと、重々承知しております。

 ましてや大悪魔を同様に扱っては……


「……ひとまずは、大悪魔の攻撃からミネラータを護れたことを受け入れ、喜びましょう」


 押し殺したフェリエ様の呟きにも、無念が滲み出ておりました。

 一字一句、反論の仕様もございません。

 残されたのは、最早追跡は不可能という事実、それと、大打撃を受けたものの、鎮火は終わったという事実の二点。

 洋の民の皆様の全滅は免れることができた、というのは、確実なる成果と言えるでしょう。


 そしてその後、大悪魔と半ば入れ替わるようにここミネラータへ降り立った新たなる存在は、わたくしにとってある意味では大悪魔以上に衝撃を与えるものでした。






 "それ"が起こったのは、地に降り立ち、生き残った洋の民の方々に出迎えられていた時のこと。

 万雷の拍手や歓声を浴びつつ、フェリエ様こそ正当なるエピア様の後継者、真なる海巫女……

 そして過分な扱いと認識しておりますが、わたくしもまた、救済の英雄、女神などという御言葉を頂戴していた最中。


 新しく張り直された天蓋が、再び激しく揺らぎ始めたのです。

 早くもミーボルートが再襲撃をかけてきたのか、或いは悪魔の軍勢が攻め込んできたのかと、落ち着きを取り戻しかけた都に悲鳴や恐怖が蔓延しかけましたが、それはほんの一瞬の出来事。

 誰もが、すぐさま事実を認識でき、恐怖どころかむしろ逆に大いなる安息さえ覚えました。


 揺らぐ天蓋も、破られるというより、意味合いとしては通り抜けられるに近く。

 その御業を成された御方が、ゆっくりと降臨するのを目視できるようになった時点で、天を見上げていた誰もが、その大いなる神性に打たれておりました。

 無論、わたくしやフェリエ様を含めて。


 如何なる美辞麗句を並べ立てたとて、正確に表現することは出来ないでしょう!

 いいえ、下手な比喩を用いることすら非礼。


 金銀の鱗を散りばめた、雄大な翼を広げた竜――あれはまさしく、我が国・フラセース聖国を統べる、聖竜王・トスト様!

 蒼の天蓋を背に御降臨なされるその姿、エル・ロションの大聖堂に飾られていた絵画が、まさしく現実となって具現化したかのよう!

 骨の髄にまで、感動という名の電撃が駆け抜けていく……!

 自然と身体が、精神が、魂までもが、平伏の姿勢を取っておりました。


「古くからの盟友達よ、どうぞお顔を上げて下さい」


 嗚呼、何という温かく、慈愛に満ちた声の響き……


「……あああっ!」


 甘き陶酔にも酷似した崇敬は、いとも簡単に吹き飛ばされてしまいました。

 トスト様の背に、数人の人間が乗っているのを見てしまったから。


 その行為自体を不敬と咎めねばとは、欠片も考えられませんでした。

 元よりトスト様は慈悲と親しみ、双方に果て無き深みを持たれている御方。


 極めて無礼と知りつつ、わたくしが声を上げて驚愕してしまったのは……

 乗っていた方々が、わたくしのよく知る……友と、最も愛した御方だったゆえ。

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