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82話『ミスティラ、苦く、甘く、熱く、虚ろな想い』 その5

「……ミーボルートに立ち向かう覚悟に一切の偽りが無いのでしたら、これをお持ちなさい」


 わたくしの前に差し出される、羽衣と槍。

 改めて名状するまでもありませんが、トリキヤの羽衣と、ヴァサーシュの槍。


「ギャスコとアブラハネがフェリエ様を認めたように、トリキヤとヴァサーシュにも選んでもらいましょう。貴女が相応しき人物か否か」


 まるでユーリ様の持つ力の如く、無言で意志の疎通を図っていたのか、誰もが青の眼をこちらに向け、小さく首肯してきました。

 ……理解を得られたと、解釈していいのでしょう。


「残念ですが、女性にしか扱えません。ギャスコとアブラハネのような魔具を製造するという理念が前提にあったゆえ」


 そして、ゲマイさんの思考を先読みするかのように、言葉を付け加えるのでした。


「魔具に認められなければ、最悪の場合、命を落とすことになります。強要はしませんが」


 決して誇張や脅しではないこと、肌で感じております。

 浮遊こそしておりませんが、微かに空気を振動させている力の波動が、雄弁に物語っていました。

 選ばれなければ、あるいはわたくしに力が無ければ、たちまち全てを吸い取られてしまうのは瞭然。


「……単純明快」


 抑えられない、砂漠のように乾いた笑み。

 もはや命など惜しくも無し。

 最も欲しかった愛が得られない今、万民を救うため捧げるに、些かの躊躇も無し!


「大悪魔の復活を予期し、再度討つべく拵えられし2つの魔具よ。若輩者ではありますが、どうか力をお貸し下さいませ」


 赤き薄布よ、潔白なる槍よ、命奪いたくば奪ってみなさい!


「…………」


 黙して待つも、変化も、剥奪も、何一つ起こらず。

 現時点ではただただ、変哲なき道具として傍にあるのみ。


「トリキヤとヴァサーシュは、あなたを所有者として認めたようです」


 わたくしの気のせいか、洋の民が些か意外そうな表情をしておりましたが、ひとまずは成功したようですわね。

 感激も、安堵も、定義できるほど鮮明には表れませんでした。

 内側に在る領域のどこかから発せられる"当然のこと"という声にも、耳を貸す気にはなれませんでした。


「皆様も御覧になったでしょう。これぞ吉兆! 旧き魔具と新しき魔具が揃えば、もはや恐れるもの無し!

必ずや大悪魔の脅威を退けてみせましょう!」


 場に則した適切な振る舞いを、役者として演じるのみでした。


「ミスティラ様……お見事ですぞ」

「恐縮ですわ。すぐにでも参りましょう、フェリエ様」

「はい。共に力を合わせ、事を成しましょう」


 まるで、このようになることを初めから分かっていたかのように、フェリエ様は柔らかな微笑みを湛えていらっしゃいました。


「我々はこの場にて祈りを捧げ、天蓋の修復に専念致します。フェリエ様、ミスティラ殿、どうかご武運を」

「ゲマイさんはこの場に残り、皆様を御守り下さいませ」

「承知しました」


 戦場へ赴くわたくしたちに、万雷の拍手はおろか、声援すらありませんでしたが、構いはしません。

 そのようなものは不要。

 必要なのは、覚悟と勇気、そして力。


 強力な魔具を得たとはいえ、色に喩えるならば青や赤に近いもの。

 恐怖の黒を塗り潰すことは叶いません。


 しかしその黒も、底のない無色と比較すれば……


 …………。


「ミスティラさん。今の貴女の御心、理解しているつもりです」


 戦場たる都へと続く階段を上がる最中、フェリエさんが、掻き消えそうなほどの小声で語りかけてきました。


「私の心も既に、この世界にはありません。夫を喪った日から……」


 この時、おおよその心情を理解してしまいました。

 この御方もまた、わたくしと類似した空虚を心に抱いているのだと。


「……必ずや、勝利を」


 エピア様のようにその身を犠牲にしようとしてはなりません、などとは、唇が剥がれようとも口にはできませんでした。






「これは……!」

「惨い、ですわね……」


 我々が潜行していた間、かの大悪魔めは、一層の激しさを伴って都への暴虐を継続しておりました。


 炎熱地獄。

 エピア様の像の周辺こそ未だ無事ではありましたが、あの美しかった都は、ほぼほぼ黒煙と炎に飲まれ、あらゆる生を拒む空間へと変貌を遂げていました。


「悪魔め……我が物顔でいられるのもそこまでですわ。今からこの魔具の助力と加護を受けし我々が、不出来な組曲に終止符を打って差し上げましょう」

「申し訳ありませんミスティラさん、私はまず、都の消火を行わせてもらいます」

「確かにそれも重大な責務ですわね。よろしくお願い致しますわ。では、わたくしがミーボルートの注意を引き付けましょう」

「お気を付けて」


 事ここに至って、ただ独りでの戦いを、不安に感じなどはしません。

 今のわたくしは、左様なものよりもずっと重く、熱く、激しい責任を帯びているのですから。


 フェリエさんが左手に携えし杖を掲げると、たちまち御足下に雲が出現し、御体を浮かび上がらせました。

 弾き語りや書物などでしか知らされていなかった伝説の魔具の効果を目の当たりにしても、さほどの感動は湧いてきませんでした。

 あたかも、幾度も読み返した物語をまた読んだかのような感覚、とでも申し上げましょうか。


 どの道、今は聖戦の最中。

 これからは全てを、悪魔打倒に向け、注がねばなりません。

 一際色濃い黒煙へ飛び込んだフェリエ様と、天蓋の境界辺りを飛行する悪魔を順に眼へ収め、わたくしも続くべく、語りかけました。


「トリキヤの羽衣よ……ヴァサーシュの槍よ……どうか力をお貸し下さいませ」


 2つの魔具に意志を伝えた瞬間、それぞれが秘めし力、行使する方法、諸々が頭の中へと流れ込んできました。

 使い手を選ぶ魔具は皆、同様の現象が起こると耳にしておりますが、体験するのは初めてでした。


「ええ、参りましょう」


 意図を込めるだけ。

 ただそれだけで、美しい我が身が、先のフェリエ様のように、見えざる軛から解き放たれ、浮かび上がりました。

 更に、速度や曲芸も思いのまま。

 "解放の羽化"を用いずとも、こうまで自在に宙を舞えるとは……

 また、ただ浮上、飛行するだけならば、魔力の消耗は最低限で済むようですわね。


 この特権、心ゆくまで堪能したい所ですが、今はそれどころではありません。

 我が闘争の炎を糧として羽衣に注ぎ、ただ天へ。天へ!


 決して冷静さを失ってはなりません。

 振り返り、炎上する都を目に入れぬよう、迂闊に接近しすぎぬよう、充分な間合いを取って。


 元より忍び寄るつもりは毛頭ありませんでしたが、指呼の間と呼ばれる距離よりも更に離れた位置で、相手に存在を気取られてしまいました。

 不気味の色を、一層濃く出した振る舞い。

 動きを止め、炎を吐き出すことを止め、赤く光る双眸を向け……品定めでもしているつもりなのでしょうか。


 相手の所作が如何なものであれ、関係無し!


「そこまでです! 眠りより醒めし古の大悪魔・ミーボルート! これ以上の暴虐、許す訳には参りません! 理解出来る知性あらば耳を傾けなさい! 我が名はミスティラ=マーダミア! ローカリ教が教主、モクジ=マーダミアが一女! これよりこのわたくしが……」


 名乗りを上げている間も油断はせず、充分に警戒はしていたはずでした。

 それにも関わらず、前触れ無く悪魔が吐き出した炎に対し、完全な回避行動を取ることはできませんでした。


 しかし、瞬く間に視界が鮮烈な赤色で埋め尽くされていても、わたくしの中に絶望はありませんでした。

 何故なら、絶対的な安心と信頼が、代わりにあったから。


 身に纏いしトリキヤの羽衣が、髪の毛の一本に至るまで、漏れなく確実な守護をもたらして下さることを知っていたから。


「……その程度ですの? 恐るるに足りませんわね」


 視界が元の色に戻った後、漏れ出た言葉は、決して虚勢に拠るものなどではありません。

 髪の毛の一筋さえも焦げず、些かの熱さえも感じない……これが、トリキヤの衣の加護……

 それに、炎に包まれたというのに、些かの息苦しさも無い……

 先程までそよいでいた羽衣の一部が、赤い霧となって我が周囲に漂っているのを見て、改めて感謝と信頼、敬意が込み上げてくるのを認識します。


「名乗りを上げている最中に不意打ちを仕掛けるなど、やはり悪魔というものは礼を解せぬ、下衆にも劣る存在のようですわね。ならば、こちらも相応の対応を取るまで」


 盤上遊戯ではありませんが、受けの後は攻めと定められているもの。

 沸々と湧き上がる怒りや闘争心が、残滓として秘められた恐怖や、羽衣の加護を受けた代償である身体の重さを塗り潰していく……! 


「これは……」


 頭を冷やしなさいと言わんばかりの拍子で、篠突く雨が天蓋から叩き付けられてきました。

 常に海の天蓋に覆われているこの場所で、このような現象が起こっているのは、紛れもなく、アブラハネの杖の力。

 これならば、都の炎が鎮まるのも時間の問題でしょう。

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