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82話『ミスティラ、苦く、甘く、熱く、虚ろな想い』 その4

 都の象徴の1つとも言える大瀑布を背に、両の手に剣と杖を握り、凛々しく立たれた大きなエピア様の像。

 その御足下に作られた階段を降りた先の広大な地下空間に、フェリエさんの仰られた遺産の祭壇なるものは設えられておりました。

 成程、言い訳がましくはありますが、このような海の底の更なる下にあっては、いかなわたくしと言えど、簡単には気付けませんわね。


 清新なる気配に満ちたここは、フェリエさんのお言葉の通り、大悪魔の邪悪なる炎による破壊を免れていました。

 しかし、集まった洋の民の方々は一様に憔悴し、憂いや絶望の青を顔に塗り……


 そして、空間の奥――幾重にも張り巡らされた糸状の結界と、水晶の如く美しく透明な氷の箱に閉ざされた奥に安置されている剣と杖……ギャスコと、アブラハネ。

 交差して寄り添う姿は、まるで夫婦のよう……


「ミスティラ様? いかがなされました」

「……いえ、お構いなく」


 このような非常事態に、わたくしは何を連想しているのでしょう。愚かな。


「ミーボルートがここまでやってこないのは、やはりかつて己を追いつめたあの魔具を警戒しているためでしょうか」

「それ以外、適切な理由は考えられませんね」

「――それで、どうしましょう」


 隅の方では、代表者達が今後の方針を話し合っているようでした。

 しかし最早戦う意思など見られず、口から紡がれるのは消極策ばかり。


 それを責められようはずもありません。

 あのような凶暴な力を目の当たりにすれば、無理も無きこと。


 ですが、このまま隠れおおせられるとは到底考えられません。

 ここの床の一部分には非常用の転移魔法陣が描かれており、万が一階段が破壊されて閉じ込められても脱出は可能だとか、そういう問題ではないのです。


 この、針の筵の如き現況を打破しなければ、根本的な解決には……

 しかし、どのように……


 極めて難解なる命題を解かんと、思慮を巡らせていると、洋の民の生き残りが数人、物を抱えて新たにこの場へやってきました。

 負傷が見られないことも加えて、あの2つの物をここへ運び出すのが元々の主目的だったのでしょう。

 槍と……羽衣、でしょうか。

 強大な力を秘めた魔具だということは、誰も何も語らずとも、放たれている波動から伝わってきました。


「おお、"ヴァサーシュの槍"と"トリキヤの羽衣"は無事でしたか」

「これがあれば、ミーボルートに太刀打ちできるかもしれませんね」

「して、誰がこれを用いて戦うのです?」

「我々洋の民には誰一人として扱える者がいなかったのに」

「では、このままこの場所で祈り続けるのですか?」

「仕方ないではありませんか! 一体どうやってあの伝説の大悪魔を……!」


 この感情は、一体何なのでしょうか。

 話し合う彼らの姿を見ていて、心臓の位置にある虚空の場に、濛々と立ち込める正体不明の苛立ち。


「……遅いッ!」


 答えを導き出す前に、気が付けば、淑女にあるまじき大音声で叫んでしまっておりました。


「この非常事態に、何を悠長に話し合っているのですか! 誰も使えないと仰るのならば、わたくしが名乗り出ますわ!」

「ミ、ミスティラ様……!」

「お止めなさらないで下さいましゲマイさん!」

「陸の人間風情が何を言う! この魔具は我々が再びミーボルートに立ち向かうため、持てる技術と魔力、信念と誇りの粋を長年込めて作りし……」

「ならば誰でも結構、装備して直ちに立ち向かいなさい! わたくしも喜んで装備者に追従致しますわ!」

「言われずとも分かっている! 陸の人間が口を挟むな!」

「お黙りなさい! 今は国境を海岸で隔てている場合ではなくてよ! そもそもの話、わたくしが資格を有するか否かは、その魔具が裁定すること! さあ、お貸しなさい! わたくしが必ずや、あの大悪魔を撃退して参ります!」


 本音を言えば、根拠も自信もありませんでした。

 あったのはただ、"このままで終わってはならない"という、反骨心にも似た一念。


「私からもお願い致します。どうかこの方に、ヴァサーシュの槍とトリキヤの羽衣をお貸し願えませんでしょうか」


 最初に心を動かせたのは、フェリエさんだったようです。

 言葉と共に、深々と礼を覆い被せるのでした。


「……し、しかし」

「それに私も、ミスティラさんと同意見です。ここは守るよりも、戦うべきかと。私は行きます。魔具がなくとも……」


 水を打ったようになる地下空間。

 その気高き覚悟は美しいと、一切の掛け値無く言えるのですが、果たして争いとは縁遠い雰囲気のこの方が、戦力に成り得るのか……


 その時でした。


「……!」

「祭壇が……!?」


 その場にいた者全ての視線が、祭壇へと向けられました。

 何故なら、まるでフェリエさんの覚悟に呼応したかのように、眩いばかりの光がそこから発せられていたから。

 エピア様の魂の一部が、未だあの場所に留まられていらっしゃるのでしょうか。


 そのようなことを考えていると――なんと、2つの魔具を眠りに就かせていた氷の箱が粉々に砕け散ってしまったのです!

 誰もが悲鳴にも似た、感動や感嘆も入り混じらせた声を上げていました。


 それはそうでしょう。

 エピア様の先にも後にも、あの2つの魔具を扱えた者はおらず、また意思を持って封印を破った例など存在しないこと、わたくしも存じ上げております。


 ひとりでに浮遊する2つの魔具は、明確な意志を持っておりました。

 その向かう先は――


「……フェリエさん? 2つの魔具が、フェリエさんを選んだ……?」


 まるで手に握るのを待つかのように、フェリエさんの前で空中停止したのです。


「このようなことが……!」

「よりにもよって、惰弱な者を選ぶなど……!」


 剣と杖。

 2つの大いなる遺産を蒼の眼に映したフェリエさんは一言も発さず、ただ己の内で全てを納得したかのように小さく頷いておりました。

 その正確な心境は、ご本人以外知り得ようはずもありません。

 わたくし如きが推察するのも無粋、無礼でしょう。


 そして、やおら両の手を差し出し、柄に指をかけました。

 証明は、それだけで充分でした。

 フェリエさんこそが、次代の新たなる海巫女であると。


 それにしても、ただ両の手に剣と杖を握られただけだというのに、何とお美しく、神々しい……!

 このミスティラ=マーダミア、美貌においては誰にも引けを取らない自信がございますが、今のフェリエさんには太刀打ちできるかどうか……


「ギャスコとアブラハネは、海巫女にしか扱えない魔具のはず。しかし現在、海巫女の座は長らく空位。何故今になって……」

「失礼を承知で申し上げますが、皆様の疑問、全て愚問と言わざるを得ませんわ。エピア様の振るいし魔具が、相応しき使い手をお選びになった。その事実こそが全てでしょう」

「何を無礼な……!」

「全ての同胞よ、お聞き下さい」


 全ての疑問や動揺、論争の火種を掃う、静かなる一声。

 別人になった、と評するには些か語弊がありますが、見違える程の変わり様でした。

 顔貌には既に柔弱さはなく、声は凛として慈愛に満ちていて。

 "同胞"には我々も含まれているのは明白でした。


「私如きがこのギャスコとアブラハネを手にしたことについて、数限りないほどの不満がおありなのは承知しております。ですが今は議論を戦わせている時間はございません。本来は誰もが扱う資格を持っているはずですが、そのお役目を与えられたのがたまたま私であった。それだけです。今はそれでご納得下さい。

 そして……戦うべき相手は既に明白。暫定的ではありますが、洋の子が一人、このフェリエ、海巫女としてミーボルートの所業を鎮めて参ります」


 決意を簡潔に語るそのお姿に、最早誰も異論を挟む者はありませんでした。

 大海原のような包容力と存在感。

 無論、実際に拝見した経験はございませんが、エピア様もきっと、同様な佇まいをされていらっしゃったのでしょう。


「海巫女・フェリエ様」


 同時に、力強き渦潮の如き情動が、我が身を突き動かしておりました。


「此度の聖戦、どうかこのミスティラ=マーダミアの随伴をお許し下さいませ」

「なりませんぞミスティラ様。はっきり申し上げますが、今の貴方様でも、足手まといになるだけかと」


 ゲマイさんのお言葉は、既に痛いほど理解しております。

 しかし!


「全て先刻承知。ですが、かつての侵攻においても、種の垣根を超えて戦ったではありませんか。ここで我々が立たずして何とするのです! 魔具が無くとも戦うのみ!

 ……それに、わたくしの勇気が、後に続く者への道標になるのならば、決して無駄死ににはなりません」

「なれば私が」

「はっきり申し上げますが、老僧よりも美しき淑女の方が、偶像には相応しいのでは?」

「お待ちなさい」


 下らぬ摩擦を切っ掛けに、つい起こしてしまった小火を揉み消したのは、意外なことに洋の民でした。

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