79話『新たなる悪魔、世界に語りかける』 その2
「……!」
蝿共は黒煙を上げ、火花をながら、遙か眼下に広がる海へと力なく落下していく。
さながら殺虫剤を撒いたかのような一網打尽ぶりだ。
聖竜王だけあって、強え!
これだけの力があるのに、果たして俺達は本当に必要なんだろうか。
「本来は私が率先して前線に赴き、同胞や兵、民の模範となるべきなのですが、然るべき時の為になるべく力を溜めておく必要がありましてね」
すぐさま飛行を再開したトスト様が、こちらの言いたいことはお見通しとばかりに、申し訳なさそうに言った。
「いえ、トスト様にわたくしどもでは計り知れない事情がおありであろうことは承知しております」
「お気遣いありがとうございます、タルテさん」
ここでトスト様は一度言葉を切った。
「はっきり申し上げましょう。私にはあまり寿命が残されていません。ヒトよりも長い時を生きられる竜と言えど、摂理から逃れることはできません。その身は有限なのです。故に、力の使い所を見極めなければならない」
「トスト様がそうまでする価値が、俺達にあると?」
「無論です。ありますよ」
トスト様は即答した。
「私のこの眼力で見込んだ方々ですからね」
あれ以降悪魔の襲撃はなく、更に飛行を続けていると、大きな陸地が見えてきた。
あれは……ツァイのある大陸か?
やっぱりワホンのとは比べ物にならないくらい広いな。
それに地形も更に雄大というか、壮大というか、砂漠も山も広くデカい。
今飛行している高度よりも更に高くそびえ、連なった山々もゴロゴロある。
「迂回し、北寄りの進路を取ります」
俺達が飛んでいる訳でもなし、何もできないので、全てトスト様にお任せすることにした。
「うお、すっげえ大森林だな」
見下ろす限り、と言っても過言ではないくらい、陸地が濃い緑色で塗り潰されているかのように、ツァイ北部には巨大な森林地帯が広がっていた。
部分部分、蛇行した川が間を縫っているのも見える。
かなりの高度の上空から見てもこれなんだから、実際降り立って中に入ってみたら……もう、想像もつかない。
コクスの大森林の何倍、いや何十倍あるんだろうか。
「いつかアニンがこの辺りのことを"秘境"だって言ってたわね」
「そういや、ウォイエンの大樹だっけか。あれもここのどこかにあるんだよな。あいつの話だと、滅茶苦茶デカくて高い樹らしいのに、どこにもそれらしいのが見えないじゃんか。そんな目立つもんなら、ここからでも見えそうだけど」
全方位をぐるりと、遠方まで探してみるが、それらしき形はまるで見当たらず、ただ森と山があるだけだ。
大樹って言っても意外と小さかった……なんてオチはないよな。
――……あ゛~、あ゛~。
「どうしたよ、変な声出して。発声練習か?」
「え? わたし、何も言ってないわよ」
タルテが怪訝な顔をする。
あれ、おかしいな。確かに声が聞こえた気がしたんだけど。
――あ~、あ~。
まただ。
幾分雑音が混じってはいるものの、声がさっきよりも明瞭に聞こえる。
確かにタルテの声じゃない。
トスト様とも明らかに声色が違う。
「ユーリ、これって……」
タルテにも聞こえてたのか?
全くの第三者の声ってことか?
――本日は晴天なり~! ……うん、これでよし!
「これは……!」
トスト様が驚いたような声を上げるのを聞いて確信する。
しかもこの声、喋り方……覚えがある!
「……スール=ストレング!?」
――やっほ~、世界の皆さ~ん! ご機嫌いかがかしら? 知ってる人は声だけでも分かるわよね? 史上最悪の大犯罪者、スール=ストレングで~す。
姿が見えてないのに、声だけが聞こえてくる。
ブルートークみたく、直接脳内に語りかけてきやがるのか!?
しかも口振りからして、世界中の生物へ一斉に語りかけているみたいだ。
どんな能力を使ってやがるんだ!?
いや、それ以前に……どうして生きている? 声が聞こえる?
奴はソルティがズタズタにしながら吹っ飛ばしたはず……
――今あたしは、インスタルトから皆さんに語りかけてま~す。そう、世界の空をずっとフワフワ漂い続けている、あの島のことよ。
「インスタルトから……だと!?」
「あの場所は結界のような障壁が張られていて誰も立ち寄れないはず……」
トスト様がそんなことを口にする。
――突然大犯罪者から直に頭の中へ話しかけられて、皆さん、ビックリしちゃってるでしょうね。ごめんなさいね~。でもね、皆さんに重大発表があるから、どうしてもこんな形で伝えるしかなかったのよ。
ああ、ちなみに皆さんからあたしの方へは声をかけられないみたいだから、悪しからず。女王様の講演を聞く気持ちで傾聴してちょうだい。いいわね?
本当に心の準備をさせるつもりなのか、しばし間が空いた。
その間俺とタルテはただ無言で顔を見合わせることしかできなかった。
――いいかしら? えっと、今世界中に悪魔が襲来していたり、"餓死に至る病"が蔓延しようとしているのはもうご存知よね。
あの野郎、せっかく民衆が動揺しないようにこっちが気を遣ってたってのに、勝手に喋りやがって!
――あたしも割と最近知ったんだけど、どうやらこの悪魔たちや伝染病、インスタルトから発生したらしいのよ。
「マジかよ!」
恐らく声に出して驚いたのは俺だけじゃなく、世界中にもたくさんいたはずだ。
――この場所、凄いわよ。見たこともない建物や施設が、見たこともない素材で作られてるの。その中に、誰が操作するでもなく、自動的に悪魔を作ってるヘンテコなモノがあってね、そこから産まれているみたいなのよ。
だから、悪魔が降ってきた大元はインスタルトだけれど、けしかけたのはあたしじゃあないわ。
ここで、どうして止めないんだ、って声が聞こえてきそうだから言っておくわ。理由は簡単。あたしに止める気がないから。
そう言うと、この大犯罪者め、って声も聞こえてきそうだから、付け加えておくわ。あたしが止めないのは悪意があるからじゃなくて、むしろ逆。"愛"のためよ。
愛だと?
また訳の分からねえことを……
――ここからが本題なのだけれど、まずは経緯から少しお話させてちょうだい。
お、アニンやソルティと戦った後の出来事が聞けるぞ。
一層注意深く、心の耳を傾ける。
――大分前の話だけど、ミヤベナ大監獄で、あたしはある男女と戦ったの。
男女はあたしを憎んでいたわ。その2人の大切な人を殺しただけじゃなく、その人たちを苦しめ、辱め、尊厳まで根こそぎ奪ったから。
後悔するでもなく、武勇伝のように誇るでもなく、事実のみを淡々と語る様は、声だけでも充分不気味さを感じさせた。
――結果、あたしは負けてしまった。敗因は完全に油断ね。まさか男の方が、あたしの恋心を読み切り、利用した上であれだけの強烈な一撃を放てるなんて思ってなかったのよ。
恐らく死体を確認するまでもなく殺せる自信が男にはあったんでしょうけど……あたしはまだ生きていた。とは言っても、全身はほぼ千切れ飛んでいたし、死にかけていたのは事実だけれど。男の方もまた、あたしの頑丈さを侮っていたのかしら? ま、他の誰でもないあたし自身が一番驚いているのだけれど。体がズタズタに千切れた状態で海に叩き付けられても、死ねなかったのよねえ。
全くだ。人間離れしすぎてるだろ。