78話『ユーリ、母親と再会する』 その2
「ここ、まるでアニメだかゲームみたいな世界よねえ。食い物もまあまあ美味いし、悪くはないかも」
やめろ。やめてくれ。
俺の優しかった母ちゃんを、これ以上汚さないでくれ。
母ちゃんはそんな喋り方をしない。
そんな表情をしない。
そんな食べ方をしない。
「そうそう。私もあんたと同じような、面白いことができるようになっちゃった。ううん、"思い出した"って言うべき?」
「……!?」
「例えばさ……あのハゲデブを真っ二つにしてやった攻撃とか! 食らってみる?」
相手が、持っていた食べ物を放り投げ、右手を頭上に掲げた。
その上に光点が発生したかと思うとみるみるうちに膨張していき、円盤状の発光体へと変形する。
「ほらよっ!」
右手が振り下ろされる直前、今さっき見た親父の姿が脳裡に蘇り、ホワイトフィールドによる防御でなく回避を自動的に選択させた。
その判断は正解だった。
光の円盤は屈んだ俺の頭上を通過していき――後方の木々を次々と切り裂いて消えていった。
「ちっ、イマイチだな。メシが足りねえ」
舌打ちする相手。
「でもよけるなんて、まあまあやるようになったじゃん。あの鈍臭かったお前がさ」
あっちの世界での仕打ちからして希望なんて持ってなかったけど……
この人……本気で俺を殺す気だった!
「ん?」
と、雨音に混じって、バタバタと大きな足音が聞こえてくる。
まずい!
「来るなタルテ!」
叫んだ時にはもう手遅れだった。
呼吸を荒げ、髪を乱し、激しく動揺している様子のタルテが、戸口から姿を覗かせる。
やってきた位置からして、厨房の惨状も見てしまったはずだ。
「ユーリ! ……お、お義母様!? え、これって……!」
「彼女のご登場ね」
相手が、歪んだ笑みを浮かべる。
「動くな!」
相手の視線から遮るようにタルテの前に立ち、全力でホワイトフィールドを張る。
さっきの円盤を見た時、直感した。
相手にも、俺と同じような"力"がある。
しかも俺のものとは異質な。
「ねえ悠里、そこの子、地球での私と似てるよね。ま、私の方が顔が良かったけど。もしかして、私に似てるから好きになったの!? あはははは! 甘えん坊ね、相変わらず」
背中に体温と、被さる重さを感じる。
離れろとは言えない。
ここまで来るのに精神を消耗しきってしまって、おまけに目の前の状況を理解できなくて混乱してるんだろう。
言葉にさえできず、ただ嗚咽が漏れているのだけが聞こえる。
「どうして親父達を殺した!」
未だ混乱してるのは俺も同じだったが、だからこそ心を奮い立たせて声を放った。
ここで俺が崩れたら、誰がタルテを守るんだ。
「あ? 分かんねーのかよ。うぜえし、キモいから殺したんだよ。私の力なら簡単にできるし、地球みたく警察とかもうるさくなさそうだしさ」
幼稚極まりない理由を、まるで悪びれもせずに口にされる。
「……ぐっ」
と思ったら、苦悶の表情を浮かべて頭を押さえ出した。
「うるせえ! 黙ってろ! ……ふぅ」
俺には分かった。
相手は今、記憶や人格の混同に苦しんでるんだ。
完全に戻ったと思っても、しばらくの間ぶり返しが起こるのは体験済だ。
「さあて」
深呼吸をした後、相手の体が浮かび上がった。
魔法でも技でもないあれも多分、独自の"力"の1つだ。
「何する気だ」
「あ? 遊びに行くに決まってんだろ。こんなつまんねえ町にいる理由なんかないし。それといちいち言わなくても分かってるでしょ? 私、あんたのことなんかどうでもいいの。だからその子と何しようと好きにすりゃいいよ。
でも、親として1個忠告してやるよ。ガキが出来たら、しっかり堕ろしとけよ。お前みたいないらねえ奴が生まれるからさ」
激しくなり始めた雨と共に、上からその言葉を浴びせられた瞬間、意識が遠くなった。
背中にタルテがいなかったら、そのまま押し潰されてしまっていただろう。
「でもあえて理由くっつけるなら、そうね……あんた、世界を回って腹減らしてる連中を助けてきたんだって? 私がそんな下らない努力を全部ぶち壊してあげる。あんたをもっと苦しめてやるわ。あはははは! そこで彼女と乳繰り合ってなよ! じゃあね!」
「ま、待て!」
高笑いしながら、そのまま低空で町の方へ飛び去ってしまうのを、今の俺が止めることはできなかった。
残されたのは、混乱、戸惑い、冷たさ、そして、否定。
全部壊すってなんだ?
そもそも、何でまたあの人が俺の前に現れるんだ?
俺はまた、あの人に無視され、苦しめられなきゃいけないのか?
「……ユーリ」
深い絶望の沼に沈み込みそうになったのを引き上げてくれたのは、タルテの声だった。
そうだ、タルテがまだいるだろ。
タルテだって同じく、いや、俺よりも混乱していて、恐怖と絶望に苛まれているはずだ。
俺が支えなくてどうするんだ。
「気が動転しててそれどころじゃないだろうけど、聞いてくれ。今俺達が見たあれは、もうナラタ=ウォーニーじゃねえ。あれは……あっちの世界で、俺が安食悠里だった時の母親だ」
「あなたの……最初のお母様?」
「突然記憶が戻っちまったらしい。親父達をあんな目に遭わせたのも……」
「……な、なんだこれ!」
「……ゃぁぁぁ!」
突然、悲鳴や足音で家の中が騒がしくなり始める。
まずい、町の人達が来ちまった!
とりあえず事情を説明しねえと。
「おいユーリ! どうなってんだ!」
「どうしてあんな惨いことを……!」
現れるなり、町の人達が口々に言葉を並べ立てる。
一様に顔が青ざめ、恐れや忌避の感情をありありと出していた。
「みんな……これは……」
この状況を、どうやって説明すればいい。
母親の変貌を、どうすれば理解してもらえる?
なんてことは考えるだけ無駄だというのを、皆から向けられている視線で気付いてしまった。
「な、何だよ、みんな」
こちらへ向けられる何十もの視線が、声に出さずとも物語っていた。
全員明らかに、俺を疑っている。
その中には、アリドや近所のおばちゃんも含まれていた。
返り血を浴びていないことを証拠に潔白を証明しようと考えたが、この強い雨の中では意味がない。
体温と同時に、心までもが熱を奪われていくのを感じる。
「俺じゃねえ。別の犯人がやったんだ! なあアリド、お前は信じてくれるだろ? 俺達、友達だもんな」
親しい人間から懐柔しようと、幼なじみに近付こうとしたら、
「ま、まさか、お前が……」
引きつった顔で、距離を開けられた。
「笑えねえ冗談はやめろよな。俺がそんなことする訳ねえだろ!」
「だって、俺だけじゃなくて他の人らも見たんだぜ。血だらけになったお前のお袋さんが"息子に殺される"って言いながら逃げてきたのを……」
しまった、利用されちまった……!
事情を知らなければ、騙されちまうのも無理はねえ。
どうする。
どうすればこの状況を切り抜けられる?
真実を分かってもらえる?
「そういえば昔も、精神的に不安定になってた時期があったわよね。それが関係してるんじゃないかしら?」
「雰囲気も前とは変わってたものねえ。野盗にでも落ちぶれたんじゃないの?」
「急にロロスに帰ってきたのって、金目的で家族を殺すためじゃ……」
「絶対に違います!」
「タルテ……?」
さっきまで後ろにいたタルテが、俺の前に回り込んで、町の人達に向かって憤然と言い返した。
「好き勝手なことを言わないで下さい! ユーリがそんなことするはずがないじゃないですか! 皆様だってご存知のはずです! ユーリがどれだけ、ご家族のことを大切に思い続けているか! どれだけ他の人のために優しくなれる人間か!」
「……じゃあ、俺達が見たのは何だったんだよ」
おっさんから指摘され、タルテが言葉を詰まらせる。
彼女もまた、事情を適切に説明する言葉を探しあぐねているんだろう。
注意して町人の様子を探ってみると、もう俺達を捕縛する流れに大勢が傾いているように感じられる。
これはもう説得は無理か。
一旦逃げるしかない。