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78話『ユーリ、母親と再会する』 その1

「……ん」


 実に爽やかな目覚めだった。

 やっぱり実家だとよく眠れるな。

 体も目蓋も軽いし、頭もすっきりしている。

 誰も叩き起こしに来なかった所からして、寝すぎたって訳ではないみたいだ。

 せっかくだから二度寝を決め込みたいところだが……そうするには意識が冴えすぎている。


 すぐ近くでは、目を閉じたタルテが、ほとんど聞こえないくらいの寝息を立てていた。

 やっぱり元気に振る舞ってはいても、旅の疲れが溜まってたんだろう。

 未だ深い眠りについている。

 起こさないでそっとしといてやるか。


 ……ちょっとぐらい、その、口にちゅってやってもバレないかな。

 いや待て、万が一家族に見られでもしたらどうする。

 こういう時の間の悪さには定評があるんだ、俺は。


 それにしても、やけに静かな朝だ。

 今日はあいにくの天気のようで、外はまだ薄暗く、小雨の微かな音までもはっきり聞き取れるほどだ。


 タルテを起こさないようにそっと動いて居間を出、廊下を抜けて厨房の方へと向かう。

 居住空間だけでなく、厨房の方も未だ静まり返っていた。


 他の家族だけでなく、親父が起きてないなんて珍しいな。

 どんなに酒かっくらっても、太陽が昇る頃にはもう活動を始めてるってのに。

 ったく、歳か?


「…………!」


 なんて理由で片付けられたら、どれほど良かっただろうか。

 旅に出て、色々な経験を積んだことで、五感や気配の察知が鋭くなったことで、分かってしまった。


 妙な気配が、厨房の方から漂っている。

 それにこれは……血の臭い!?


 平和な家庭にあってはならないはずの異物を認識した瞬間、心臓の鼓動が早くなる。

 背中に冷たい汗が滲み出る。

 ……嫌な予感がする!


 反射的に厨房へと駆け出していた。






「な……!」


 凄惨な光景や修羅場にはもう慣れているはずだったのに、厨房の様子を見て、卒倒しそうになってしまった。


 厨房に、夥しい量の血がぶちまけられていた。

 食肉の加工に伴うものじゃない。

 これは……


「お……親父!」


 嘘だろ……?

 どうしてこんな……


「おい親父! どうしたってんだ! しっかりしろ!」


 2つになって床の上へ無造作に転がっている父親にはもう何を呼びかけても無駄だというのを理解するのに、時間を要してしまった。

 誰がどう見ても生きている訳がないってのに。


 大監獄の底でもう慣れたはずなのに、はみ出てたり散らばったりしている臓物を目にすると、耐え難い嘔吐感や悪寒が襲いかかってくる。

 肉親のもの、というだけで、こんなにも違うのか。


 勝手に荒くなり始めた呼吸に負けず、停止しようとする脳を絞って動かし、思考する。

 一体誰がこんなことを……強盗が押し入ったのか?


 いや、それにしては整いすぎている。

 室内を荒らされた形跡がない。

 それに、この滅茶苦茶に強い親父が、魔物を含めてそこらの相手にやられるとは思えない。


 やられ方もおかしい。

 鋭利な刃物でそうされたかのように、腹の所から真っ二つに切断されている。

 それだけじゃなく、切断跡が壁や厨房の設備にまで到達している。


 更に不可解なのは、親父に抵抗した跡がない点だ。

 普段俺達家族には見せたこともない――絶望に目を見開いたままの表情で、青白くなっていた。


 そこまで何とか考えた所で、俺は肝心なものを見落としていたことに気付く。

 ……そうだ! 弟や妹は……!


「……アザミ!」


 探す必要もなく、妹はすぐ近くにいた。


 ひ、ひでえ……ひどすぎる……

 体のあちこちに穴を空けられ、大量に出血したまま、うつ伏せに倒れていた。


 もう……息が……

 これじゃあグリーンライトでも……


「オリング! お、お前まで……!」


 弟は、頭からかまどに押し込まれ、ぴくりとも動いていなかった。


「あ……ああ……」


 嘘だろ?

 これは悪夢だ。俺はまだ寝ているんだ。そうに違いない。

 頭を強く殴っても、頬をねじっても、目が覚めない。

 何でだよ。早く起きろよ。

 起きたら変わらない幸せが待ってるはずなんだ。


 どうして、何の罪もない家族がこんな目に遭わなきゃいけない?

 みんなが何をしたっていうんだ。


 ……みんな?

 そうだ、母ちゃんは? 生きてるのか?

 この場には……いない。

 どこだ、どこにいる。

 探さなきゃ。


 頼む、生きててくれ。

 殺されていないでくれ。


 と、その時、開きっ放しになっていた厨房と裏庭を繋ぐ扉から見えている地面に、何か薄い影のようなものが見えた。


 ……誰かいる!

 母ちゃんか!? それとも……犯人か!?

 何故か気配だけじゃよく分からねえ。

 でも、生きているのは分かる。

 どっちにしても、確かめなきゃいけない。


 母ちゃんだったら、生きていることを喜べる。

 犯人だったら……ただじゃ殺さねえ!


 大包丁はないけど、餓狼の力は充分使える。

 拳を握り締め、気配と足音を殺し、ゆっくりと外へ出る。


 湿度の高い冷えた空気が肌に纏わりつく。

 重く垂れ込めた空から霧雨が吹き付けてくる中、狭い裏庭に立っていたのは……


「母ちゃん! ……良かった、生きてたのか!」


 安堵感でへたり込みそうになるのを、下半身に力を入れて何とか踏み止まる。


 だけど、何かがおかしい。


「母ちゃん?」


 丸い背中へもう一度呼びかけると、母ちゃんがゆっくりと振り返った。


「……」


 普通に生きてはいる。

 が、素直に駆け寄れない。

 近付くなと、心のどこかから警告が聞こえる。

 鳴り止まないのは、所々に違和感があるせいだ。


 外傷はないみたいだが、何故か服の所々が血で汚れている。

 生気がない訳ではないが、今まで見たことのないような獣じみた表情。

 そして……


「な、何で……メシなんか食ってんだよ」


 両手いっぱいに、恐らく貯蔵庫に入っていたであろうハムやチーズの塊を握り締めている。

 更に、持ち切れない食べ物が、傍の切り株に大量に積み上げてあった。


 おかしい。明らかに異常だ。

 悪霊にでも憑りつかれているのか?


「あぁ? 腹減ってるからに決まってんだろ」


 声自体は、母親そのものだった。

 口調もはっきりしているため、憑依の疑いは消滅した。

 しかし、謎は更に深まる。

 ダメだ。目の前の不自然な光景に頭がついていかない。


「久しぶりねえ、悠里」


 本降りになり出した冷たい雨と同時に、母ちゃんが食い物にかぶりつき、咀嚼しながら、更に不可解な言葉を口にした。


「久しぶり? 何言ってんだよ母ちゃん」


 憑依じゃない。

 じゃあ何だってんだ?

 他に考えられるのは……


「まさか、魔物が変身して……!?」

「魔物ぉ? 違えっつうの。相変わらず頭悪いガキだな」


 魔物でもないことが判明するのと同時に、妙に頭の片隅で引っかかりを感じた。

 正確には、覚えがある。

 あの柄の悪い喋り方、いちいち眉根を寄せて威嚇する表情の作り方……


 もう遠い遠い昔の記憶。

 だけど、忘れようにも忘れられない、望む望まないに関わらず、深く強く焼き付けられてしまった記憶。


「そんな……あり得ない!」

「あり得ないなんてことないでしょ? 私は正真正銘、あんたの"お母さん"なんだから」


 そう……あっちの世界……

 俺が安食悠里だった時の母親の特徴と一致していた。


「今日起きたら、やっと完全に記憶が戻った、っつーか思い出せたわ。昔、何度か頭が痛くなって、情緒不安定に見えたことがあったでしょ? あれ、うっすら記憶が戻りかけてたのよ。何でか、元のババアの記憶の方が邪魔をしてて、中々上手く行かなかったんだけど……やっと元に戻れたわ。あースッキリした」

「う、ウソだ……こんなの、おかしい……」

「おかしいのはてめえだバカガキ。これだけ説明してやってんのに何で分かんねえんだよ。じゃあてめえの存在は何なんだっつうんだ」


 違う。

 頭が分かっていても、心が理解を拒んでいた。

 どうしてこっちの世界に、しかも母親の体に宿ってやがったんだよ。

 俺のことはもう放っといてくれよ。

 どうしてまた、俺の前に現れるんだよ。

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