77話『ユーリ、故郷に戻り、家族と再会する』 その6
「ねえねえ兄ちゃん」
恐らくこの手の大人の話題の機微などまだ知る由もないであろう可愛い弟が、くいくいと腕を引っ張ってきた。
「今日からしばらく家にいるんでしょ? ボク、じゃなかった、俺に剣を教えてよ! 俺も悪魔をぶっ倒したり、いつか技を使えるようになりたいんだ!」
「む、良かろう。だが私の稽古は厳しい。覚悟するが良いぞ」
「わーい、やったぁ!」
何となくアニンの物真似をしてみたが、当然面識がない弟には伝わるはずもなく、師匠っぽい口調や雰囲気を喜ばれるだけに終わった。
「とりあえず今日はもう遅いから、どうこうするなら明日からにしな。みんな食べ終わったね? ほら、父ちゃんも酒はもうおしまい!」
ここで母ちゃんが、半ば強制的に打ち切りを宣言した。
そういやいつの間にかすっかり夜も更けちまってたな。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでしたー!」
本当に美味いメシだった。
そして、楽しい団欒だった。
「片付けは母ちゃんがやっとくから、みんなは……っと」
立ち上がった母ちゃんが、急に頭を押さえてふらついた。
それを見て、ドキリとしてしまう……が、すぐに母ちゃんは持ち直した。
「おいおい、大丈夫か母ちゃん」
「ああ、平気だよ。何でかねえ、また急に頭が痛くなっちゃって」
頭が痛くなった、という言葉を聞いて、再び心臓が嫌な感じに跳ね上がる。
「変なこと思い出すんじゃないよ。あの時は母ちゃん、ちょっと疲れてたりしておかしかっただけだから。あんたはあんただよ。母ちゃんの立派な長男坊だ」
過去の記憶が自動的に脳内に再生される前に、母ちゃんが笑ってそんなことを言ってくれたため、何とか落ち着いたままでいられた。
「もう痛くなくなったから心配ないよ。一晩寝ればスッキリさね」
「母ちゃんはもう休んでろよ。洗い物とかは俺が全部やっとくからさ。片付ける場所とかは変わってないんだろ?」
「わたしもやりますから、皆様もお休みください」
強引に母ちゃんを含め他の家族を引っ込めさせた後、俺とタルテは洗い物や片付けを済ませた。
で、その後はもうやることもないので、明日に備えてもう寝ることになったんだが、問題は場所だ。
居住空間がそんな広い訳でもない我が家に、客間や空き部屋はない。
かつて俺が使っていた部屋は弟のものになっている。
俺がオリングと同じ部屋で寝るのは何ら問題がないが、タルテをアザミと同じ部屋にするのは、何というか、今日の時点ではあまり良くない気がする。
結局、俺達はひとまず居間に寝具を持ってきて寝泊まりすることにした。
寝るだけなら全く問題はないし、季節的にも寒暖に煩わされることもない。
「ごめんねえタルテちゃん、こんな所じゃ疲れが取れないかもしれないけど」
寝具を運ぶ時、再び現れた母ちゃんが、そんなことを言ってきた。
「いえ、充分快適ですよ。こちらこそ急に押しかけてしまって申し訳ありませんでした」
「そうだぜ、旅してた時は色んな所で寝泊まりしてたんだから」
そこまで言ったところで、急に母ちゃんの顔が真剣になる。
「どうしたんだよ、急にマジな顔になって」
「2人とももう年頃だし、どういう関係なのかは母ちゃんもみんなも分かったつもりだよ。だから別に何をやってても、口を挟みはしないけど……きちんと責任は取りなさいよ、ユーリ」
「……え?」
い、いきなり何言い出すんだこのクソババア!
「いや、その、俺達、色々とまださ……!」
「あ、いえ、わたしたち、そんな、まだ……!」
「……その様子だと、まだ色々と時間がかかりそうだねえ。おやすみ」
どこか呆れたような、妙に納得されたような、名状しがたい表情を浮かべながらため息をついて、クソババアは居間から出ていった。
クソババアがとんでもねえことを口走ったもんだから今もずっとドキドキしっぱなしで、灯りを消して毛布を被っても、ちっとも眠気がやってこない。
タルテとの距離も微妙だった。
ぴったりくっつくでもなく、離れすぎでもなく、手を少し伸ばせば触れ合えるくらいの……
なんて考えていると、手が勝手に横へ伸びて、探していた。
止めようとしたけど、止められない。
程なくして毛布の感触が、そしてそれを隔てた下にある柔らかい感触が伝わる。
毛布の端を探して、その下に滑り込ませると、体温よりも少し高い熱が手全体を包む。
そして、直に皮膚に触れる感覚。
ここは、タルテの手じゃない。
滑らかで、熱くて、気持ちがいい。
どこに触れても、タルテは一切抵抗しなかった。
また、声にこそ出さなかったが、息遣いが早く、短くなっているのが、静寂のおかげではっきりと聞き取れた。
前々からそうだけど、別に俺だって全く欲求がない訳じゃない。
想いを打ち明ける前にそういう想像をしたことはあるし、伝えた後の船の中とかでも、そういう雰囲気になりかけたことだってある。
……でも、恐怖感がどうしても完全には拭えなくて。
あの人たちと同じにはなりたくない、という嫌悪感が、また邪魔をしてきて。
「まだ、怖い?」
手を止めてしまった少し後、闇の中から、囁き声が聞こえてきた。
「……ごめん」
「いいのよ」
柔らかい声で言った後、もぞもぞと音がした。
闇に慣れ始めた目を凝らすと、タルテが身を起こし、両腕を広げていた。
誘われるがまま、俺はその中へと飛び込む。
「わたしだって同じよ。少し怖いもの。それに、あなたはあなたのままでいいのよ」
「……うん」
「わたしたちなりの歩き方で、いっしょに、ゆっくり進んでいきましょう?」
ああ、ダメだ。
やっぱり俺は、タルテのことが大好きだ。
「ありがとう」
「……っ」
ありったけの感謝と愛情を込めて、深く、長く、唇を重ねた。
「とりあえず、今日はもう寝よう」
「ええ」
「明日っからまたこき使われちまうし、オリングの相手もしねえといけねえし。あーあ、せっかく実家に帰ったってのに、ゆっくりする暇もねえな」
「そういうこと言わないの」
軽く、額を手刀で叩かれる感触。
「なあタルテ、新しい家族ができた感想はどうだ?」
少しの間待ってみたが、言葉による答えは返ってこなかった。
今度は俺が受け止めて、包み込む番だった。
「俺達みんなで、幸せになろうな」
熱と、力が更に強くなる。
そうだ、お互いこれまでの人生で色々あったけど……俺達だって、自己犠牲するだけじゃなくて、幸せになっていいんだよな。
いや、幸せになっていいんだ。