76話『タルテ、義理の母と兄と対峙する』 その3
「あ、ああああ……! お母様! あんなことを……!」
タルテが、両手で顔を覆って崩れ落ちた。
何てことを……こいつら、まさかわざわざタルテの母親の墓を暴いて……!
既に免疫があったため、俺の方は驚かずにいられた。
皇帝の宝物庫でアニンの母親を見せられた時ほどの残酷さはない。
しかし、込み上げてくる嫌悪感や殺意は、あの時の比じゃなかった。
「この……ゲスがッ!!」
手を出さずにはいられなかった。
クソ兄貴の胸倉を掴み上げ、怒鳴りつける。
「てめえらが見せたかったのはこれかよ! つくづく悪趣味な奴だな!」
「ち、違う。あれでは……」
答えを待つよりも先に顔面を殴ってやろうとした直前、視界の端、小屋の周囲に、石板が幾つも突き立てられているのが映った。
明らかに小屋を飾ったりする意図でそうなっているようには見えない。
「おい、ありゃなんだ」
墓石ではないみたいだが……
「あ、あれは……」
はっきり答えようとしない。
そんなにイラつかせたいのか。
埒が明かないので、クソ兄貴を突き飛ばし、自分で確かめに行くことにした。
……なるほど、そりゃ言葉を濁す訳だ。
痩せた土の上に突き立てられた石版、その全てにびっしりと、第三者に説明するような形式で、タルテと母親を罵倒する文章が長々と刻まれていた。
これは本人には見せない方がいいな。
「……!」
と、その本人から、異様な気配が流れ出しているのに気が付く。
普段はまるで無縁な感情。
悲しみ?
怒り?
違う。
これは……明らかな、殺気!
「ッ!」
今まで見たことのないような形相をしたタルテが、短剣を構えて地面を蹴り出していた。
狙いは言うまでもなく……義理の母親の背中に定められている。
想像もできなかった激しい感情に圧され、判断が一瞬遅れてしまう。
「ひっ……!」
流石にババアとクソ兄貴も気付いたのか、振り返り、驚きに短い悲鳴を上げる。
「待てタルテ!」
……間に合え!
咄嗟にブラックゲートでババアの傍に跳躍、突き飛ばして狙いを外させ、続いて突進してくるタルテを抱き止める。
多少の負傷は覚悟していたが、何とか無傷で事を成し遂げられた。
「邪魔しないで!」
腕の中でもがきながら、タルテが悲鳴混じりに叫ぶ。
細い体からは想像もできないくらいの凄まじい力だ。
抑えるのに結構苦労してしまう。
「この人たちは、亡くなった後もお母様を侮辱したのよ! もう許せない……! 殺してやる! 2人とも殺してやる!」
俺は何て間抜けなんだ。
タルテの本心をまるで読み誤ってたなんて……
変な話だが、この時ようやく俺は、タルテの真意を理解できた。
先日ファミレで奴らの名前を聞いた時から、タルテはずっと復讐を考えていたんだ。
いや、正確には、最初は復讐すべきかすまいか葛藤していたんだろう。
ずっと緊張しているように見えたのも、恐怖感からではなく、答えを出すべく考え続けていたからだ。
そして、母親があんな風に扱われているのを見た時、復讐心が決定的になった。
「あいつらは人間なんかじゃない! 悪魔よ! この悪魔! 殺す! 絶対殺してやるから!」
聞いているこっちが痛くなるほどの口汚い言葉。歪ませた声。
気持ちは痛いほど理解できる。
理解できるから、自分の好きな人には尚更やらせたくはなかった。
例え身勝手だと思われたとしても。
「そうだな、お前の言う通りだ。奴らは人の皮を被った悪魔だ。だから代わりに俺がやる。お前が手を汚す必要はねえ」
「わたしがやらなきゃ意味がないの!」
だけど、タルテも頑なだった。
身をよじらせ、俺を振り解こうとしながら、激情を一向に鎮めようとしない。
「苦しみを味わわせて、それと死んでく所を見たいんだろ。俺がやっても同じじゃねえか。だからさ」
「そうだけど、それだけじゃないの!」
どこか支離滅裂というか、要領を得なかった。
感情が昂って論理的に考えられていないせいだろうか。
「よ……よくも、よくも、よよくもよくもよくもくも!」
こっちが四苦八苦している他方で、ようやく状況が飲み込めたのか、呂律が回ってないながらも、ババアが再び震えて騒ぎ出す。
ったく、話がややこしくなるから黙ってろよ。
「こ、このあばずれ! 恩知らず! 狂人! よくも、このわたくしに刃を向けるなどと……!」
「母上、お静まり下さい」
「どうして止めるのですディング! 血の繋がった実の母がこのような目に遭わされたというのに、貴方は心動かさずにいられるのですか!?」
「そうではありません。……私や母上が手を下さずとも、直に手筈が整いましょう。さすればこやつらの数々の無礼も多額の利子付きで返済されようというもの」
手筈?
やっぱり悪巧みしてやがったな。
「……そうですわね。流石は我が愛息。このような場面でも冷静さを失わないとは、母として誇らしい気持ちです」
親子揃って、卑しい笑みを浮かべる。気持ち悪いな。
「そんなの関係ない! あんたたちは……絶対、わたしが殺してやるんだから! 邪魔するならそれも全部……!」
タルテの怒気は一向に治まる様子がない。
さて、どうしたもんか。
「聞きなさい蛮人共。あの建物には、金で雇った兵士共を住まわせているのよ」
隣の家を扇で差しながら、ババアが勝ち誇ったように言う。
「ファミレでお前の捜索に向かわせた屑共とは比較にならないほどの力量を持った手練れ共よ。
蛮人、いくらお前が奇妙な力を行使できたとしても、大群でかかれば勝ち目などないわ! 覚悟しなさい、そのあばずれを含めて、楽に逝けるとは思わないことね」
つい鼻で笑ってしまった。
アホくせえ。大切な人を守るって看板背負ってる今の俺が負ける訳ねえだろ。
せめて屋敷にでも潜ませるなり、奇襲をかけるなりしてこいよな。
多分、屋敷の中に入れたくないからわざわざここまで移動させたんだろうが。
「面白えじゃねえか。さっさと全員出せよ」
「威勢がいいのも今の内よ。すぐに助命を乞わせてやるわ!」
「……」
「……」
「……」
流れるのは、静寂と沈黙。
……あれ?
こっちはもう臨戦態勢を取ってるってのに、いつまで経っても肝心の敵が出てくる様子がない。
「何故、いつまで経っても現れないのかしら。全く、高い給金を払っているというのに、穀潰し共め」
ババア側にとっても予想だにしていない展開のようだ。
使用人たちとの接触もあったから、連絡不行届ってことはないだろう。
「母上、ご覧下さい」
お、来たか。
クソ兄貴が指差した建物の正面扉が、ゆっくりと左右に開く。
どれくらいの数で、どんな相手かは関係ない。
タルテを守りながら全員ぶちのめす。やることは至って単純だ。
ホワイトフィールドへ更なる意識を注ぎ、敵の襲来を待っていると、何者かが出てきた。
まずは1人か。
一体どんな……っておい、あの姿、見覚えがあるぞ。
「シィス!?」