76話『タルテ、義理の母と兄と対峙する』 その2
「おい!!」
「……!?」
自分の内側で暴れていた素直な気持ちを全てこの短い一言に圧縮して放つと、対面している相手は息を詰まらせた。
「さっきからゴチャゴチャうるせえんだよ。あんまり調子こいてると、半殺し程度じゃ済まさねえぞ」
使用人に向けた時とは違って、今度は本気だ。
この場にタルテがいなかったら、とっくに俺は想像を行動に移していただろう。
「これで分かったろ。あんたらが何の目的でタルテを探してたか知らねえが、タルテはもう二度と言いなりになりたくねえんだってよ。
つーか土下座するのはてめえらの方だろ。この場で、今すぐ、これまでタルテにしてきたことを詫びろ」
「待って、ユーリ」
反応があったのは、何故かタルテの方からだった。
何で止めるんだよ、という言葉を反射的に飲み込んでしまったのは、争いを避けたいから諌めたんじゃないように見えたからだ。
もっと別の力のようなものを、茶色の2つの瞳の奥から感じた。
「……わたくしに」
その一方、ババアがブツブツと独り言をつぶやき始める。
「わたくしに……わたくしに責など、あろうはずがありません! 元を辿れば、あの御方が下賤な端女などに手を出したせいなのよ!」
こんなのが嫁だったら、そりゃ別に奥さん持ちたくもなるわなと思ったが、流石に言うのはやめておいた。
「穢れた女から産まれた女もまた穢れているのは摂理! だからこそ、わたくしは制裁を……! そう、これは正義の名の下の制裁! 正妻による制裁! 故にタルテ! この度呼び戻したのは、お前を新しく別の資産家の所へと仕えさせ……」
「行きませんっ! 絶対に!」
おお。いい声の張り方じゃねえかタルテ。
「それと……お母様を侮辱するのは、やめて下さい!」
「黙りなさい! 穢れた豚が!」
「黙りませんっ!」
「この……っ!」
激昂したババアが、持っていた扇を投げつけてきた。
が、ホワイトフィールドによって阻まれ、タルテへは届かない。
ババアもクソ兄貴も、阿呆のように口を開けて驚いているのが痛快だった。
そりゃそうだ、種を知らなきゃ扇が意思を持ったように激突を拒んだように見えるよな。
「なあタルテ。以前、ミスティラとこれが似てるって言ってたけど、こんなのと比較したらあいつに失礼じゃね?」
追撃として、親指を立ててタルテに合図を送り、言ってやった。
「……確かに、そうね。ミスティラはもっと気高くて、優しい、尊敬できる人だったわ」
ミスティラが何者かは知らないはずだが、侮辱されたことは理解できたらしい。
「きぃぃぃぃっ! ディング! 母に代わって、貴方の鋭き刃にてこの無礼者共に制裁を加えてちょうだい!」
金切り声を上げて、息子に攻撃を引き継ぎやがった。
「承知しました、母上」
待ってましたと言わんばかりにクソ兄貴が剣を抜き、嗜虐的な笑みを浮かべて、卓を飛び越えて切りかかってきた。
が、当然、さっきの扇と同じ結末を辿るだけだ。
「馬鹿な……!」
素人のように焦ってブンブン振り回す様が、滑稽で仕方ない。
「"鉄屏風"……!? いや、しかし、魔法を使った形跡は……!」
「無駄だよ、無駄無駄。やめとけって。お行儀の悪さを晒してるだけになるぜ、貴族様」
「だ……黙れ黙れ黙れっ!」
せっかく忠告しているのに、今度は標的をタルテに変えようとしやがった。
「やめろっつってんっだろ!」
絶対に安全だと分かっていたのに、タルテに刃を向けたのが許せなくて、ついクリアフォースを放ってしまった。
一応威力は抑えておいたが……クソ兄貴はうめき声を上げて部屋の端まで吹っ飛んでいった。
「ディング! ……嗚呼、わたくしの可愛いたった1人の愛息! 痛くない? 大丈夫?」
取り乱し、駆け寄り、抱き起こすババアを見ても、全く罪悪感なんて湧いてこない。
「この蛮人め、よくも呪わしい力を用いてディングを……! お前にも地獄の苦しみを味わわせてやるわ! ミヤベナ大監獄に送りつけてやるわ! 誰か! 誰か来てちょうだい!」
懐かしい言葉が出てきたもんだから、つい吹き出しちまった。
「何が可笑しいの! 虚言ではないのよ! フォンダーン家の力をもってすれば……!」
「別にぶち込みたきゃそれで構わねえけど、意味ないぜ。あそこを仕切ってる王様や大臣とは知り合いでさ。すぐ出てきちまうぞ」
「な……!」
「あとな、地獄の苦しみとやらも、もう腹一杯堪能したんだわ。5層の底の底でな」
てっきり「嘘おっしゃい!」とかまたキャンキャン言ってくるかと思ってたけど、悔しそうに睨み付けられるだけに留まった。
いや、息子と何か小声で喋っているみたいだ。
会話の内容までは聞き取れなかったが、どうせろくなことじゃねえだろ。
やがて会話が終わり、母親の手を借りて息子が立ち上がった。
床に転がった剣を収め、埃を払って、
「……来い。お前に見せるものがある」
そんなことを言い出した。
「どちらへですか」
「お前達の住んでいた家だ」
タルテとクソ兄貴のやり取りの直後、武装した使用人たちがゾロゾロとなだれ込んできた。
「ザッハ様! ディング様! どうなさいましたか!」
「何でもありません。2人だけ残り、下がりなさい」
「しかし……」
「2度言わせないでちょうだい! この無能共!」
コロコロ変わる命令に戸惑いながら、誰が残るか話し合っている使用人たちを見て、少しだけ同情心が込み上げてくる。
「この程度の命令を実行するのに何故時間をかけるの!? つくづく使えないわね!」
あ、また怒鳴られたし。
ババアとクソ兄貴に先導され、使用人2名を背後につけた形で、俺とタルテはフォンダーン家の敷地内にある、かつてタルテと母親の住んでいた離れの家へと移動していた。
見せたいものとは、一体何だろうか。
既にタルテが尋ねていたけど、「来れば分かる」の一点張りで教えてくれなかったんだよな。
念の為、ホワイトフィールドは展開し続けている。
この連中が全く信用に値しない人間、いや、いきなり暴力に訴える蛮人だってのはもうよく分かった。
到着先、いや道中でさえ、何をしてくるか分かったもんじゃない。
正面玄関から屋敷を出て、庭を歩いて、隅の方へ向かって……
警戒は怠らなかったが、何も仕掛けてくる気配はない。
会話は一切無かったが、目的地に近付くにつれ、タルテの様子がほんの少しずつだけど変化していくのが読み取れた。
懐かしさのような感情が滲み出ている。
そりゃそうだよな。
大好きな母親との色々な思い出が詰まった場所だ。
それにしてもタルテ、最初こそ過去の残滓に囚われていたものの、思いのほかすぐ克服できて、ちゃんと相手に言い返せたな。
本当に強くなったんだな。あとでたくさん褒めてやろう。
心中ほくそ笑んでいると、道の先、敷地の隅の所に、家と小屋が見えてくる。
家の方は新しいが、小屋の方はひどく粗末で酷い有様だった。
タルテの視線の動きや表情の変化で、かつて住んでいたのはどちらだったか読み取れてしまった。
既に負の値に深く突入していた、前方の2匹への好感度が益々下がっていく。
その当事者はというと、何かを探すかのように、あるいは何かを待っているかのように、辺りをきょろきょろ窺っている。
一体何企んでやがるんだか。
「……!?」
明確に目視できる距離まで近付いた所で、小屋の異様さに気が付いた。
すぐ近くが石壁で日当たりが悪すぎるとか、物置や家畜小屋になっていたとか、そういう問題じゃない。
屋根の上に伸びる細い柱に、何かがくくりつけられている。
それは棒状だったり、いびつな球形だったり、羽を広げた蝶のような形をしていたりしている。
大分年月が経過しているのか、色褪せて……っておい、あれって!