75話『ナゴタの町、タルテの故郷』 その2
そんなやり取りをしつつ数日間、街道に沿ってファミレから東に進むと、景色が平原から田園へと切り替わった。
「お、やっとナゴタにご到着か」
「ナゴタの町は農業や畜産が盛んで、食糧の生産量はワホンでも随一ですからね」
シィスの声が幾分弾んでいるように聞こえるのは、説明できる喜びに由来してるからだろうか。
真相はどうあれ、ファミレと違ってのどかな所だな。
窓の外から牛の鳴き声が遠くから聞こえてきたり、緑の匂いが流れ込んでくるのも拍車をかける。
俺の故郷のロロスもこんな感じだったなと、ふと思った。
「どうよ、久々に戻ってきて」
聞いていいものか少し迷ったけど、尋ねてみた。
「いい思い出はないわ。あの人たちにお母様と、朝から晩まで農作業や家畜小屋の掃除をさせられたり……」
こちらとは目を合わせず、外の景色を眺めながら、タルテが答える。
「大変だったのはわたしたちだけじゃなくて、町の人たちもだったけど」
「ワホンでは爵位がほぼ形骸化していますが、ナゴタはタルテさんのご実家のフォンダーン家が町長を兼ねていますからね」
「ちっ、支配者権限って訳かよ」
「正直に申し上げてしまいますと……町民からの評判は、決して良くはないようです」
「いいわ、気にしないで。事実だもの」
タルテの顔は、外に向けられたままだった。
駅馬車をファミレ~ナゴタ間まで乗り続けた乗客は、俺達だけだった。
「もうお屋敷に行かれるんですよね」
円形の広場となっている終点で馬車を降りると、早速シィスが切り出してきた。
「そのつもりだけど。まさか疲れたとか、乗り物酔いか? 休むか?」
「いえ。少しやっておきたいことがありますので、別行動を取らせて頂きたいなと」
「分かった、好きにやってくれ。頼んだぜ」
シィスの"秘密裏な行動"の効果は軽視できない、いやそれどころかいつも大きな恩恵をもたらしてくれるのは証明済みだ。
「すみません、失礼します」
大げさなくらいに頭を下げ(なおその際眼鏡を落っことした)シィスは住宅地と思われる建物の密集地帯へと走って行った。
「タルテは疲れてないか」
「平気よ。……行きましょう。屋敷への道はこっちよ」
「よし……って待った! すまん、俺の方が意外と疲れてたみたいだ。急に疲れがどっと押し寄せてきやがった。少し休憩取らせてくれねえか」
「……ありがとう」
「な、何でお前がお礼言うんだよ。か、勘違いするなよな」
こっ恥ずかしくなってタルテの顔から視線を外すと、持っていた荷物の1つ――メルドゥアキの弓と目が合った。
目が合ったって言っても、未使用状態だから魔眼は閉ざされたままなんだが。
近くにあった長椅子で少し休んだ後、俺達はフォンダーン家の屋敷へと向かうことにした。
屋敷は小高い丘の上にあって、馬車を降りた地点からでも白い建物が目視できた。
見下ろされているようで、この時点でムカついてくるな。
道中、何人もの町の人とすれ違ったが、誰もこちらに気を留めることはなかった。
そんなに外部の人間に排他的な地域ではないんだろうか。
「知ってる顔はいるか」
小声で尋ねると、緊張した面持ちのまま微かに首を振られる。
「いざってなったらブラックゲートで飛んでビックリさせてやろうぜ。ついでに道の短縮にもなるし」
おどけて言ってみると、少し表情が緩められた。
冗談半分、本気半分だったんだけどな。まあいいや。
一応有事に備えて、しっかりと腹は減らしておいてある。
歩いていて気付いたが、結構町の中でも貧富の差があるように見える。
土地の高低差がそのまま直結しているというか……
ただ、治安は悪くなさそうなんだよな。妙にのどかだし。
「ごく少数の富裕層と、大多数のそれ以外……変わってないわ。ミスティラがいたら、なんて言うかしら」
ふとタルテが、独り言のように呟いた。
「『このような愚行、許されるはずがありませんわ! 貴族というものは民の模範たるべき……』って感じじゃね?」
「確かに言いそうね。……少しでいいから、勇気を分けてほしいわ」
「お前は充分勇敢だよ」
俺達はそれ以上何も言わず、繋いだ手の力で意思伝達を行った。
蛇行した緩やかな坂道を上り切ると、ようやくタルテの実家――年代を感じさせる石壁に囲まれた、フォンダーン家の敷地に辿り着いた。
「ブラックゲートで飛んじゃうか?」
冗談めかして言ってみたが、無表情で首を振られた。
それにしても、こうやって振り返って上から町を見てみると、農場が広大なだけじゃなく、結構大きい所なんだなってのが分かる。
一通りの施設はあるみたいだ。
……で、
「こっちも随分デカい敷地だな」
広がる石壁の範囲から推測するに、クィンチや、空白の皿の隠れ家に使われていた屋敷よりも広いんじゃないだろうか。
「大丈夫か」
早くもタルテは激しい緊張状態に突入していた。
「……平気よ」
これ以上の言葉は無意味と判断した。
……よし、誰も見てねえな。
周囲を確認してから、タルテの体を――抱きしめた。
程なくして、背中に腕が回される感覚。
「気が済んだら手で背中をポンポンって叩いてくれ」
正確に数を数えてはいないから分からないが、背中を叩かれるまでにかかった時間は、短すぎず長すぎず適切だったと思う。
「たぶん正面から入ろうとしても門前払いされるわ。使用人の出入口から行きましょう」
タルテの緊張や恐怖は完全に消えてはいなかったが、このまま進んでもいいと判断できる程度には目に力が感じられた。
言う通り、妙な圧迫感のある、獅子の意匠を施された正門の鉄扉を避け、少し離れた壁沿いにあるやや小さめの扉へと移動する。
「わたしが……叩くわ」
胸に手をあてた後、タルテが叩き金を使って戸を叩いた。
何があっても対処できるよう身構えておく。
「どなたでしょうか」
開けられた扉からぬっと姿を現したのは、そんな悪そうには見えない、丸々と太った中年男だった。
タルテの目がわずかに開かれる。知り合いなんだろうか……と思っていると、男の顔つきがみるみる険悪になっていく。
「……お久しぶりです」
「……ふん」
タルテの精一杯の愛想笑いも、鼻で笑って一瞥をくれるのみで終えやがった。
この時点でぶん殴りたくなってきた。
「何の用だ」
「はあ? そっちの主人が呼びつけたんじゃねえんすか」
つい苛立ちを隠しきれず、こっちも刺々しい態度を取ってしまう。
「ザッハ様からもディング様からも、そのようなお話は聞いておらん。帰った帰った!」
虫でもどかすように、手を払う動きをされる。
「そんな……」
「おーい、なめてるんですかー? それともボケてるんすかー?」
「何だと……ひっ!」
スールのとは質も精度も及ぶべくもないが、殺気を思いっきり飛ばしてやったら、男はひっくり返ってしまった。
「はっ、何腰抜かしてんだか。手貸してやろうか」
別にこれ以上の悪戯心はなかったってのに、男はこっちの差し出した手を無視して、自力で立ってしまった。
人の厚意を無にしやがって。
「……申し訳ありません、ご案内致します」
更には妙にかしこまった態度に豹変し、中へと促してくる始末。
最初追っ払おうとしたのは、困らせてやれとでも指示を受けてたのか?
真相がどっちだろうと関係ないが。出合い頭の挙動を見た限り、こいつも同罪だ。
タルテの実家の庭は、聖都の空中庭園ほどではなかったが、美しい場所だった。
小さな森のような区画が設けられていたり、石垣で囲った大小の人工池が作られていたり、美しい花々が風に揺られていたり……
「変わってる所はあるか」
「最後に見た景色と変わってないわ」
穏やかな声色から、今彼女が何を思っているのかが想像できた。
俺達が話している間も、使用人は無言を貫いていた。
おまけに足取りがひどくおぼつかない。
「ちゃんと案内しろよな。使い走りもまともにできねえのかよ」
「ユーリ、やめて」
窘められてしまったので、これ以上はやめておく。
ただ一度やったことはもう覆しようがない。
結局、己の使命を終えるまで、使用人はずっと萎縮していた。